日本共産党

2002年2月2日(土)「しんぶん赤旗」

 為替が変動相場制になった経緯は?


 〈問い〉 昔は一ドル=三六〇円と決まっていましたが、どういう経緯でいまのような変動相場制になったのでしょうか?(神奈川・一読者)

 〈答え〉 直接のきっかけは、一九七一年八月、ニクソン米大統領のもとでアメリカが金とドルの交換を停止したことです。その後の通貨危機のなかで、日本は七三年二月までに変動相場に移行しました。七六年のIMF(国際通貨基金)総会で最終的に変動相場制も容認されました。実際にはかなりの国がドルとの固定相場を維持しています。

 第二次世界大戦後設立されたIMFは、もともと各国通貨の金平価の変動を1%以内に抑える固定相場制を決めていました。設立当時、圧倒的な金保有量をもっていたアメリカが、金一オンス(約三一・一〇グラム)=三五ドルの公定価格を維持することが、この制度の存続条件でした。

 アメリカが金・ドル交換停止に踏み切った背景には、五〇年以降アメリカの国際収支が赤字となり、アメリカの保有金が減少する一方、金交換要求が出る対外ドル短期債務は増え続けたことがあります。七一年には公定価格での交換は困難となり、ドル切り下げが予想されましたが、突然の交換停止で大きな国際通貨危機となりました。アメリカの赤字の原因には、巨額な資本輸出や対外援助、軍事費の増大などが指摘されています。

 変動相場制では円とドルなどの相場は市場で決まり、国際収支不均衡などが影響します。今日でもドルはいぜん国際基軸通貨なので、アメリカの経済・財政政策の失敗が何度も国際通貨危機に発展しました。近年は金融の自由化・国際化で投機的取引がかつてなく膨れ上がり、為替相場はきわめて不安定です。

 日本共産党は九四年に発表した「新・日本経済への提言」で、より安定した国際通貨制度のためにも多国籍企業・国際銀行にたいする民主的規制の国際協力が求められること、国内でも金融自由化政策の再検討や投機的取引の抑制が必要であることを指摘しています。(

 〔2002・2・2(土)〕


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