1999年12月27日(月)

 “安全神話への固執は日本だけ”とは?



 〈問い〉 東海村での臨界事故に関連して、”安全神話に固執しているのは日本だけ”といわれますが、どういうことでしょう。(福島・一読者)

 〈答え〉 死者まで出した核燃料加工会社JCOでの臨界事故は、日本の原子力行政に重大な欠陥があることを、内外に示しました。

 欠陥の根底にあるのは、「原子力は安全なものだから心配ない」という安全神話です。政府も原子力産業界も、安全神話を宣伝するだけでなく、みずからも「神話」にとらわれ、「臨界事故は起こりえない」としてきたことが、今回の最悪事故の背景にあります。原子力安全委員会が設置した今回の事故の調査委員会報告書も、安全神話の「標語は捨てるべきだ」と指摘したほどです。

 世界の原子力行政は、安全神話と手を切ってきています。出発点は、スリーマイル島(アメリカ、七九年)とチェルノブイリ(旧ソ連、八六年)の二大原発事故の教訓でした。スリーマイル島の事故調査委員会の報告書は、「原子力発電所は十分安全だという考えが、いつか確たる信念として根をおろすに至ったという事実がある。…こうした態度を改め、原子力は本来危険をはらんでいる、と口に出していう態度に変えなければならない」と強調しました。チェルノブイリ事故の時にも、原発は安全なものという思い込みが事故を引き起こしたという教訓が出され、世界の諸国は「原発は危険なもの」という立場で行政をすすめるようになりました。

 その経過にたって世界の諸国は、「原子力の安全に関する条約」(九六年発効)を結び、原子力の推進機関と規制機関を効果的に分離することを各国に義務づけました。推進する側の安全確保だけでは十分な安全確保には至らず、独立した規制機関が必要なことを強調したのです。

 日本では、形の上で原子力安全委員会があっても、諮問機関であり、認可の権限も補助的なものです。体制も貧弱で、安全確保に十分な機関とはなっていません。推進機関と規制機関の分離をはじめ、原子力分野の隅々まで安全神話を一掃していくことが求められています。(日)

 〔1999・12・27(月)〕


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