いま問われるマスコミの役割
 ──「しんぶん赤旗」が果たすこと

赤旗編集局長・関口孝夫  

 「しんぶん赤旗」の関口孝夫編集局長は2月13日、新潟市で「いま問われるマスコミの役割」と題して講演しました。主催は新潟県学者・研究者日本共産党後援会(加村崇雄、坂本典子、長崎明代表世話人)。その大要を紹介します。

 目次

 震災取材にどうのぞんだか

顔写真
関口・しんぶん赤旗編集局長

 ことしうれしかったことの一つは、私たちの編集局が地震で大きな被害をうけた山古志村の長島村長から丁重なお礼のことばをかねた賀状をいただいたことです。私たちは10月23日の地震発生直後から党救援センターを閉めるまでの60日間に、延べ440人の記者が現地で取材活動にあたり1100本の記事を書きました。そのために記者が話を聞かせてもらった人たちは2200人にのぼります。

 うれしいことのもう一つは、若い記者がこの取材のなかで人々の苦難をわがこととして受けとめる心を培ったことをはじめ、記者として大きく成長したことです。これも編集局長としてうれしいことでした。これからも豪雪のなか困難と立ち向かう被災者のみなさんの心を伝える「被災者の特派員」として、新潟発の記事を全国に発信していく「しんぶん赤旗」記者でありたいと思っています。

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 NHK番組改ざん事件が問いかけた
 戦後60年の原点

 NHKの番組改ざん事件は、「戦後60年節目の年」に日本のジャーナリズムのありようを振り返るきっかけとなりました。いまさらのように戦後の出発点となった60年前の原点と今との落差に驚きました。

 戦後NHKの出発点は、1946年高野岩三郎初代会長の就任のあいさつに象徴されるように「大衆のためのラジオ」「権力と距離を」「大衆と手をとりあい、しかも一歩先を」でした。それが今は政府・与党権力への「番組内容の事前報告は『通常業務の範囲内だ』」(海老沢勝二前会長)といってはばからない。新会長が就任後初の会見で「一般論として好ましくない」(橋本元一会長)といったのでホッとしたのも束の間、翌日、自民党総務会に予算案の説明に出かけて、亀井静香氏から「国会議員が番組づくりにものをいうのは当たり前だ」の恫喝(どうかつ)の前に「説明自体はわるいことではない」と後退してしまった。

 表面的には「朝日」対NHKの対立図式と映りますが、問題の本質はA級戦犯容疑者の祖父の行為を「尊敬」しその思想的DNAを継ぐことを自らよしとする安倍晋三という右翼タカ派の政府高官が、首相官邸内の官房副長官室でNHK首脳にたいして放映前の旧日本軍の戦争犯罪行為を裁く番組に「公平・中立」にしてくれと注文をつけた行為です。まさに憲法21条の事前検閲を想起させる行為です。新聞倫理綱領でいう「新聞は公正な言論のために独立を確保する。あらゆる勢力からの干渉を排する」の根本にもかかわる問題でもあります。

 日本の全ジャーナリズムが言論機関の問題として危機感を分かち合ったかどうかが試される問題でした。私たち「しんぶん赤旗」は重要局面と判断した8日間にわたってこの問題を、1面トップを中心に扱いました。
NHKの番組改ざん問題を報じた紙面(1月13日付)

 あるメディア研究者の方から「朝日の記事とNHKのニュースが今回のように対立的に事件を報道すると、真実がみえなくなり、混乱するものだ。しかし今回の赤旗の一連の記事、関係者への取材も登場人物も適切だった。何よりも『紛れもない政治介入』と本質をついていて誰にもわかりやすいものになっている」とお褒めのことばをいただきましたが、私たちが集中キャンペーンを通じて日本のジャーナリスト、メディア関係者に呼びかけたかったことは「ここでBBCはなえてしまってはだめなんだ、強くならないといけない」(ブレア政権と対峙したBBCの報道局長がニュース部門の全スタッフにおくったメール)の心と気概でした。残念ながら全国紙で政治権力にたいする言論機関のあり方の観点からの社説を掲げたのは「朝日」を除いては「毎日」だけでした。

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 日本のメディア(新聞・テレビ)は
 「社会の木鐸(ぼくたく)」の役割
 =権力に屈せず、大いに野党精神を発揮して、
 世のなかに真実を知らせ、世人を導いているか

 二つの尺度で見てみたい。

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<憲法をめぐって>

 第一に60年前の反省が生んだ戦後ジャーナリズムの原点−憲法9条がどう位置づけられているかです。

 その典型を憲法[九条の会]の報道姿勢にみることができます。

 メディアは改憲派が多数を占める院内構成のもとで、いわゆる憲法改定発言を、ことあるごとに大きく報道しています。ことは国民の運命を左右する重大問題です。

 そこで国民的視野、立場で論じ合おうと、作家の大江健三郎さん、評論家の加藤周一さんら9氏が「九条の会」を発足させた。日本の良識を代表するような人たちが立ち上がったわけです。1950年代の講和条約締結のおり、「全面講和」を求めて丸山眞男、南原繁さんら日本を代表する知識人7人が平和問題懇談会を発足させ、各地で懇談会ができたのと同じような歴史的にも重要な動きです。平和問題懇談会が当時、政治的重要なニュースとして扱われたように、「9条の会」発足もすぐれて政治ニュースであるはずです。大江さん、加藤さんはもちろん井上ひさし、梅原猛、奥平康弘、小田実、鶴見俊輔、澤地久枝、三木睦子、いずれも党派の域を大きくこえた「日本の良識」の声を代表しています。「赤旗」は当然のこととして1面トップの政治ニュースとして報道しました。
「九条の会」発足を報じた紙面(04年6月11日付)

 ところが一般紙はどうか。政治面でなく朝日は第三社会面、毎日は短信扱い、他は無視でした。あるメンバーの方が「『朝日』にしても『毎日』にしてもこれでは報道したとはいえず、本当は気がつかない、見つからないように、ハッキリとした批判を受けないように載せたというにすぎない。まともな記事にすれば改憲派から批判される、そのことを恐れた扱いといえる。まことに憂慮すべき事態」とコメントしていました。まさにそのとおりです。

 しかし、国民世論は健全でした。この会は各地でどう迎えられたか。「九条の会」が主催した各地の演説会には、大阪(4000人)、京都(2000人)、仙台(4500人)、札幌(4000人)…とどこも第二、第三会場まであふれる盛況ぶりです。京都集会を報じた『朝日』の地方版の見出しは「何が人々を駆り立てる?9条の会に2000名。大阪に続き京都も大盛況」でした。沖縄の講演会を琉球新報は1面トップで報道し、北海道新聞は特集を組みました。現実には全国でこのように明らかに大きなうねりがはじまっていることを予測させる動きが起きている。全国報道しなくともこれだけの人々が集まるというのは憲法の平和条項を「いまこそ旬」として世界におしだしていく、改悪は許さないという草の根の深部の力、マグマの熱きたぎりがあるということに確信をもつ動きだといえます。

○新聞界そのものが9条改憲の先導役とは

 元日の在京各紙の社説をみると、これからの選択すべき進路を提言した社説(新聞協会報)、『読売』は「『脱戦後』国家戦略を構築せよ」と9条憲法、教育基本法の一掃をもとめている。「産経」につづいて「日経」もわれこそは財界機関紙といわんばかりに財界の提言に追随し「新憲法制定で真の民主国家に」といずれも日米同盟強化を叫んでいる。「朝日」、「毎日」はどうかというと、改憲への論評を避けている。ブロック紙、県紙の健闘(東京、沖縄二紙、中国、愛媛、北海道、神戸、信濃毎日など)と比べ、あまりのていたらくに「しっかりせよ」と檄をとばしたくなるような状況です。後退した現状を容認して、そこに改めてラインを引き直す(護憲的実質改憲論と称す)。9条第2項削減を公言する民主党の出囃子をならし、二大政党キャンペーンを推進する背景でもあると考えます。

 憲法9条遵守は日本の新聞の最低限の倫理的義務のはずです。なぜなら9条は戦争を放棄して、二度と他国の人を戦争で殺さないと誓った条文だからです。新聞は戦前、戦中の戦争加担者として立ち回り、歴史に汚点を残した過去を振り返る義務と責任があるはずです。

 「昭和がだめになったスタートの満州事変」(半藤一利『昭和史』)の口実とされた関東軍の鉄道爆破を日本の新聞は、「奉天軍」の仕業だとする大見出しをたて号外をだした。新聞・通信の132社は「満州国の厳然たる存在を危うくする如き解決策は断じて受諾するべきにあらざること」とする共同宣言を発し国際連盟脱退をあおり15年戦争の旗振り役をはたしました。そして日本国民310万、アジアの人たち2000万の犠牲者をだしたあの侵略戦争へと導いた。その重い責任が新聞にはあるはずです。
 当時の新聞人の「もしも全国の新聞社が真に一体となって不当な侵略戦争に反抗することができたなら、太平洋戦争は起こりえなかっただろう」(伊藤正徳・共同通信社理事長)のことばが重く響きます。

 対比して戦前の日本共産党機関紙「赤旗(せっき)」の役割をふりかえるとき、早くから関東軍の動きに警鐘をならし、「満州から撤退を」「朝鮮、台湾の植民地から手を引け」と警告を発しています。その新聞をもっているだけで過酷な拷問をうけた治安維持法の迫害の下、勇敢に反戦の主張を貫いた歴史があります。第二次大戦前と同じ題名で戦後も継続した新聞が一紙も許されなかったドイツやイタリア的道義基準でいけば、反戦の主張を貫いた「しんぶん赤旗」のみが戦後継続の資格があることになります。
「満州事変」勃発のまえから侵略拡大を告発した「赤旗(せっき)」1931年7月6日付)

 もちろん、「朝日」は「国民とともに立たん」(開戦より戦時中を通じ…真実の報道、厳正なる批判の重責を十分果たしえず…国民をして事態の進展に無知なるまま今日の窮境に陥らしめた罪を天下に謝)す)、「読売」は「人民の機関紙たらん」と宣言しました。その精神にたつならどうして、改憲の水先案内役になどなれるでしょうか
 今、その反省のうえにたちはたして木鐸としての役割をはたしているかの問いかけをする必要があると思います。

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<イラク戦争報道をめぐって>

 第二にイラク戦争報道をめぐってです。

 この戦争は疑いなく国連憲章に背を向けた大義のない先制攻撃であり侵略戦争でした。戦争の動機とされた大量破壊兵器のウソは、日本が中国侵略を拡大するきっかけとなった満州事変(1931年)のウソ、ベトナム海域で米艦船がベトナムの船から攻撃をうけたと北爆を開始し、侵略を拡大する口実としたあのトンキン湾事件(1964年)のウソとならび「侵略戦争はうそから始まる」を地でいった例でした。

 問題はどの新聞がこの戦争の本質と正面から向きあったか、です。ジャーナリスト本多勝一さんの次の指摘は真剣に受けとめるべきものだと思います。

 「イラク戦争は合衆国の完全な侵略なのに新聞もテレビも『侵略』とは絶対に表現しません。日刊紙で侵略を明言しているのは、政党機関紙とはいえ『しんぶん赤旗』だけです。まるで戦前の日本の権力による言論統制があったみたい」「(九月のパウエルが開戦理由とした大量破壊兵器はうそだった発言)こんどのパウエル証言はイラク開戦と同等の大ニュースである。開戦理由そのものが当事者によってうそだったと明言されたのだ。ところがマスコミの扱いはどうだろう。イラク開戦は大大大ニュースとして巨大活字を踊らせておきながら、それがうそをもとにしていたという大大大ニュースの方を一面トップにした記事が私の知る限り一社もない。それをやった日刊紙はまた政党機関紙とはいえ赤旗だけだった。赤旗はファルージャその他での米軍の無差別攻撃による多数の一般市民虐殺を報じ『侵略戦争今も』というゴチックの見出しを掲げた」(いずれも『週刊金曜日』誌)
パウエル米国務長官の発言を報じた紙面(04年9月15日付)

 ワシントン・ポストは国民をミスリードしたと反省して8月に大量破壊兵器報道を検証する記事を大きく報道しました。ブッシュのいうなりに報道してきた、まずかったと読者にわびた。
日本のメディアはどうか。開戦数日後、1面で大量破壊兵器存在情報を、段をたてて報じた複数の全国紙の見出しがいまも記憶に鮮やかです。イラク戦争が始まる前に戦争の是非が国連でこれほど突っ込んだ形で論議されたことはなかったといわれるもとで、日本のメディアはいずれもその国連を無力とみる姿勢は変わらなかった。その幅と広がりにおいてはベトナム反戦をしのぐといわれた空前のイラク戦争反対の動きを無視、軽視する姿勢は共通していました。イラク戦争を「ブッシュの目」でのみ報道するその偏向姿勢は「自動洗脳機にかけられた日本のイラク戦争報道」(大手放送元欧州総局長)、「(イラク戦争報道では)情報過疎地帯たる日本」(国際問題評論家)と痛烈に批判されています。

 日本のメディアは自らの異常な自画像が分からないのではないか。その思いを強くしたのは「腰抜けメディアは日本だけじゃない」という米誌『ニューズウイーク』(日本版)の特集記事でした。マサチューセッツ工科大学の日本プログラム所長という肩書の人物がいわく。

 「ニュースを伝える側が、真実よりもブッシュの庇護者である軍のためにつくすようになればもう救いようがない。結局米軍に同行した600名のジャーナリストはブッシュ政権の応援団と化した。彼らはイラク戦争に肯定的な報道を垂れ流し、米兵の人間味を伝えることは成功した。だが、戦争をより大きな政治的、外交的な観点からさぐることはなかった。日米どちらのジャーナリストが臆病かと問うのは馬鹿げている。どちらも権力者のいいなりになっているケースが少なくないことは確かだ。アメリカのジャーナリストも自分たちが笑い物にしている日本のジャーナリストと大差ない。言うまでもなく、これはアメリカの民主主義にとって最悪の事態だ。日本のメディアを批判している場合ではない」。

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 日本のメディアを覆う二つの病巣

 一つは「日米同盟支持」を社是とする偏向です。

 これは日米同盟を不動の枠組みとする自民党政治と同質であり、民主党をみる日本のメディアの「目」が第二自民党育成の枠内にあることとも共通しています。同時に根底には反共主義があります。新聞倫理綱領でいう「新聞は自らと異なる意見であっても、正確・公正で責任ある言論には、すすんで紙面を提供する」がはたして実行されているか、少なくとも日本共産党の扱われ方を見るかぎり大いなる疑問を抱いています。

 憲法9条と根本的な矛盾をはらむ日米同盟を「外交の基軸」としてみる「目」だけでアフガン空爆を支持し、有事法制支持に筆をそろえる。この基本のうえにアメリカの地球規模の攻撃に日本を参加させるための9条改悪の先導役を総体としての日本のメディアがはたしているという現実をしっかりとみる必要があります。

 いまではここまで来ている例を、1月下旬、「読売」東京本社の新春所長会議、販売会議での渡辺恒雄あいさつで紹介します。
「自衛隊のイラク派遣に反対して日米同盟を傷つけることは百害あって一利なし。…読売新聞の支持がなければ、小泉首相も日米同盟堅持政策を維持できなかっただろう」(「新聞之新聞」1・28日)

 二つには政治権力と資本に弱い体質です。

 5大全国紙自体が政府行政許認可下の系列キー局を通じてテレビの全国ネットワークを影響下におくという国際的にも例がない情報産業の寡占化状態をつくりだしています。その同質性が故にメディアの首脳陣が政府の各諮問機関に参画し、政府与党と政治的同化をしています。

 他方では広告スポンサー(巨大企業、マンモス宗教団体)と持ちつ持たれつの弱い体質をももっています。ある大手全国紙の場合、広告収入で編集局の人件費を賄う関係にあります。特集記事が有名電器メーカーの逆鱗(げきりん)にふれ、数十本の広告をストップされ、編集責任者が更迭された例もあります。

 豊富な資金をもつ巨大宗教団体が組織強化と政治的宣伝色彩の強い出版物の広告を各紙に頻繁にだしています。新聞社側も広告料が一挙に数千万円もころがりこむため、最近では政治面にまで広告の進出を許し、「新たなタブー」の形成を指摘されています。

○どちらが世界の本流、多数派か

 憲法もイラク問題もどちらの立場が本流か多数派かでみる、ここが大切だと思います。世界でも日本でもこれまでの枠組みが根底から問いなおされていると考えるからです。

 改憲でどういう国家像が描けるのでしょうか。(1)日米同盟が強化される(2)徴兵制導入の危険(3)産軍体制の強化(4)軍事力強化で外交の選択の幅が非常に狭くなる──従ってアジアで孤立する。「九条の会」の加藤周一さんの見方ですが、そこに描かれる国家像は世界の大勢とまるで逆コースです。

 世界と日本の大勢はどうでしょうか。

 (1)どの世論調査でも60%の多数が9条の堅持をいっています。私たちの新聞にも宗教者はじめ各界の方々が立場を超えて積極的に紙面に登場して9条を守り抜くことの大切さを発言してくれる、かつて例がない規模と広がりです。改憲の本質が米の地球的規模での戦争に日本を副官(米英同盟)なみに参加させていく、そのための改憲、国づくりがもつ矛盾です。とても「外敵から国を守るため」などの口実ではごまかせない、日本自体が米軍に従って他国を攻める「外敵」になる、その本質的矛盾を多くの国民が見抜いているからです。私たちの訴えが届けばその輪はもっともっと広がる可能性をもっています。

 (2)世界とアジアの大勢もイラク派兵、改憲派は支持を得られないのが特徴です。イラク戦争はアメリカ一国主義の破綻、世界各国協調による平和の努力、新しい国連中心主義が時代の趨勢であることを示しました。

 イラク戦争賛成国の人口12億、反対した国の人口は50億。1対4です。アメリカの隣国カナダ、メキシコも加担協力せず、アメリカが自分の「裏庭」のように考えている中南米はいまや新自由主義反対の旗を掲げた左派政権の相次ぐ誕生で、「4分の3が赤く染まっている」(朝日報道)といわれるほどです。EUもアメリカ中心主義から脱却。国連中心の多国間主義が主流です。

アジア政党国際会議の議場全景
アジア国際政党会議(北京、04年9月)

 なんといってもアジアです。いま大きく動いている。東南アジア諸国連合(ASEAN)に中国、インドが友好条約に加わり、30億人口の一大共同友好協力条約に。ここでも戦争と武力による国際秩序づくりでなく、対話と協調による新しい潮流が主流になっています。昨年北京で開かれた第3回アジア政党会議(15ヵ国、83政党)の北京宣言に代表されるように、国連憲章とバンドン会議10原則の精神、相互理解と尊重、外交と対話を重視する精神です。そしてこの会議を欠席した日本の自民党の日米同盟偏向・国際感覚が笑い物になりましたが、自民党と同様この会議の真の値打ちがわからず、ほとんど報道しなかった日本のメディアも、実は根本が問われています。「戦争をより大きな政治的、外交的な観点からさぐることがない」と米ジャーナリストからその体質を「笑い物」にされるような、アメリカ一辺倒の「自動洗脳機」にかけられた偏向報道の垂れ流しで、国民に伝えるべき真実の「情報過疎地帯」にしないでほしいものです。

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 悪しき時流に流されないで

 いま時代がもとめている新聞は何か。それは戦後の原点である憲法9条の精神の徹底であると思います。冒頭に紹介したNHK初代会長の高野テーゼ、「大衆のためのメディア」「権力と距離を」「大衆と手をとりあい、しかも一歩先を」です。日本のジャーナリズムはこの60年前の原点と現在との落差の反省にたち、木鐸の精神で権力に屈せず、時流に流されない確かな指針を再構築する必要があります。

 現実の理不尽とは断じて妥協しない。最近「赤旗」に登場していただいた小倉和夫青山学院大教授(前フランス大使)がその著書『吉田茂の自問』のなかで「現実的対応」の危険を指摘していることに強い共鳴を覚えます。

 「そうはいっても現実を考えればその選択はあり得ない。そういうことをいうのは現実的ではなく理想論だ」という考え方です。既成事実を先行させて、それに流される、後ずさりしながら妥協に妥協を重ねる。結果としてこれしか選択肢がないんだという殺し文句。これがあの戦争を引き起こしたときに最も使われた殺し文句でした。

 「しんぶん赤旗」は、綱領の真髄でもある戦争の根源に迫る目と洞察力、戦争の対極にある平和をかちとる鋼のような意志を伝統的に先人たちから受け継いできました。綱領の目で世界と日本の政治の流れをしっかりととらえ、事の本質を広く知らせて、行動を提起し、戦争に抗する力を組織する──。

 権力に屈せず、大いに野党精神を発揮して、世の中に真実を知らせる──その役割を果たしている新聞であると自覚したとき、現状よりももっと広い読者をとらえることができるし、またそうならなければならない。日本と世界の進歩のためにも自分たちの新聞をもっともっとひろげやすいように改革しなければという編集者としての自戒と自覚と熱い思いを胸にしています。

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