
「しんぶん赤旗」は2月1日に創刊80周年を迎えました。各界から祝いのメッセージを寄せていただきました。(五十音順)
池辺晋一郎さん |
海老名香葉子さん |
小山仁示さん |
ジェームス三木さん |
高尾秀紳さん |
竹澤團七さん |
中谷健太郎さん |
羽生善治さん |
早坂暁さん |
林家正雀さん |
普天間かおりさん |
帆足正規さん |
松井朝子さん |
森繁久彌さん |
渡辺えりさん |
私たち個人にとって「戦後」はすでに十分に長い時間だ。だが「国」という巨大な生き物にとっては、決して長いものではない。
この個と国のギャップを利用して、たとえば憲法を変えようという計画に国民を巻き込もうとする動きがある。大きなスパンを具備すべき国が、都合のいい短さの個の尺度に、便宜上乗り換えているのだ。このような国家的ごまかしを見過ごす国民であってはならない。
しかしそうはいっても、「個」の立場は弱い。しっかりした支えが必要だ。その支えこそ「しんぶん赤旗」。日常の心、腰のすわった心を常に表明し、読む者に大きな示唆を与えてくれる。
本来目的になり得ないはずの「経済」に重心がかかりがちな昨今にあって、「経済」は人間が人間として生きるための手段でしかないことを示してくれる。
その八十年の歴史は、まさにその「支え」の証明だ。
おめでとうございます。幾星霜、試練を乗り越えられての今日の「赤旗」です。庶民の期待にこたえた新聞です。
昔、共産党は「赤」といった怖いイメージでしたが、いまや私たち庶民の味方です。おおいなる信頼を寄せることができます。
「赤旗」は日本のジャーナリズムの中で大きな役割を果たしてきたと思います。中国への侵略戦争が本格化していくころに創刊された「赤旗」は戦争に反対する主張を敢然と掲げました。
一方、「朝日」や「毎日」などの商業新聞はどうだったか。「満蒙はわが国の生命線」という軍部のスローガンそのままの報道を流し、侵略戦争を応援してきました。
商業ジャーナリズムは現在も体制に迎合しがちです。戦前、厳しい弾圧にあっても命がけで戦争反対を貫いた伝統をもつ「赤旗」に信頼感があります。世の中の流れをつかむうえで欠かせない新聞です。
医療や福祉の報道でも先見性があります。常に弱者の味方でいる。これからもがんばってほしい。
この半世紀、日本のテーマは一貫して『生活の向上』でした。それも大切ですが、生活は人生の一部にすぎません。人々が心から求めているのは『人生の充実』です。
人生の目的は、楽しみ、やすらぎ、生き甲斐であり、つまるところは愛と信頼ではないでしょうか。いかに生き、いかに死ぬか、何をもっておのれを律するか、どんな理想を持つかが、文化の原点なのです。そして政治や経済は、文化を支える手段です。
ところが政治や経済は、優劣勝敗にこだわり、核兵器や投機ファンドを生みました。自由と民主主義を広げるために、もっとも不自由で非民主的な軍隊組織を使うのは、論理崩壊の最たるものです。
文化には対立がありません。私たちは外国の小説やドラマにふれて、人生についての価値観を共有できます。世界平和への最短の道は、文化の交流なのです。
「赤旗」の強さと優しさに期待します。
「赤旗」創刊八十周年おめでとうございます。
十一年前、第二十一期新人王戦で初めて「優勝」という経験をさせていただき、大きな自信となりました。
その後、山下棋聖や張栩名人と決勝戦でたたかうことができ、負けはしましたが、貴重な財産となりました。伸び盛りの時期に新人王戦で、強いライバルと切磋琢磨(せっさたくま)できたことは、その後の僕の棋士人生における礎となっております。
八十年という重みある新聞に、若手棋士の登竜門である新人王戦の棋譜を載せていただけるのは大変光栄です。若手棋士にとって、普段一緒に勉強している仲間やライバルと競い合うのは、楽しくもあり、また力が入る棋戦でもあります。
今後もフレッシュなたたかいが見られる新人王戦を盛り上げていただけたらと思います。
終戦のとき私は小学四年でした。父は「戦争に負けた」と肩を落としましたが、母は「これで終わった」と安どの表情を見せたのを覚えています。
その少し前、B29が撃墜された場所を見に行ったのですが、何人かが米兵の遺体を足でけっている。一人の男性が「やめなさい。死ねばだれもが仏さんだ」というと、数人に囲まれ連行されていきました。子ども心に戦争の残酷さを感じました。
そのようなことがあって、私は子どものころから反戦です。戦後、平和憲法がつくられ、中学校では「民主主義」と書かれた教科書で習いました。
「赤旗」は平和と民主主義が根底にあると思います。私にとっては身近で大切な新聞です。
今、憲法を変えようという動きに胸を痛めています。「赤旗」が果たされる役割に期待します。
僕らは、花と水と木を大事にしていこうと念じて、「花水木(ハナミズキ)」という雑誌を出してきました。
この村が成り立つためには、食べものやオカネの他にも豊かな水や、木陰の憩いや、美しい花が必要です。
人間は、国家と個人だけでは生きていけない。地域ごとに生き方の容(カタチ)があり、理想があり、花があります。
「しんぶん赤旗」に、「地域連携」の触媒になってほしいですね。
「仲間の考え」を確かめ合うだけでなく、「みんなの考え」を結び合わせる、そんな「大きな心の拠り所」になってほしい。今の国家単位の政治や行政の中では育てにくい、“心の花・水・木”を「地域」の間にしっかりと育ててゆく。僕らがやってた小さな「ハナミズキ」運動と「赤旗」とは、根っこが似ていると思います。
「赤旗」の愛読者以外の人をも魅了してやまない「安心の暮らし」を、「花と水と木」を、地球のムラ・ムラに育ててほしい。多くの人が、憲法九条を大事にしようと望んでいます。その望みを、「党の機関紙」を超え、広い視点で、結び合わせていってほしい、と思います。
「しんぶん赤旗」創刊八十周年、誠におめでとうございます。今日まで歩まれ続けて来られた関係者、読者の皆様に心よりお祝いを申し上げます。
また、長年にわたり、将棋・新人王戦を主催していただき、厚くお礼を申し上げます。
私も十代の時に参加した新人王戦は青春の思い出の一ページとして今でも記憶に残っています。
「継続は力なり」という言葉がありますが、八十年という長い歳月の間にはさまざまな時代のうねりがあったと想像されます。
その中で時流だけに流されず、信念を貫く姿勢に心より敬意を表します。今後も市井(しせい)の人々の声を届ける役目として、多様性を象徴する機関として、「しんぶん赤旗」が今後ますますのご発展を遂げられますよう、期待しています。
「赤旗」なんて、私たちの日常からは縁遠いものだと思っていたのを、見事に打ち砕いてくれたのは、「赤旗」日曜版に数年間連載した私の小説「花へんろ」の執筆でした。この小説は、私の生まれ育った瀬戸内海の田舎町の昭和史です。
なんと「赤旗」は、発刊した当時から、私の田舎町に生き生きと発芽し、成長していたことを発見して、何とも言えない気持ちでした。
生家の前に小さな靴屋を開いていた「靴院長」さんが、命がけで「赤旗」を入手して、町内の人々を、少しずつ変えていったのです。
まったく昭和初期は、共産主義に心を寄せるのは、命がけの行為でありました。
そういう「赤旗」が八十年も続いているのは、“世界文化遺産”級だと思いますが、違いますか。
「赤旗」が消えるときは、日本の自由が消えるときと、私は考えているのです。
うちの師匠(故林家彦六師)が共産党大好きでして。「赤旗」もとっており、私も時々読ませていただく。それがお付き合いの始まりでした。
赤旗まつりの「青空寄席」もずっと。多くの方に落語のよさを知っていただきたい。その窓口を提供していただいているんだから一生懸命です。
「怠けちゃいけない」が師匠の教えです。噺(はなし)が体の一部になるまでけいこしろ。そして、先輩からいただいた芸を次の世代に引き継ごう。その努力ですね。
師匠と共産党の共通点は「正義の味方」でしょう。曲がったことは大嫌い。世の理不尽には黙っていられない。とにかく正義感のかたまりのような人でしたから。
いま、黙っている人が多いじゃないですか。「私が言っても」とひいちゃう。それではいけないんで、私も師匠のようにという気持ちは持ちつづけたいと思っています。
正義の味方、弱者の味方。それが「赤旗」の王道だと思います。今後ともそこのところを貫いていけば、そこにひかれる人は必ずいると思います。
「赤旗」創刊八十周年、その偉大なる継続への敬意と同時に、ふと、先人から何か問われたような気がしました。創刊当時から見た「未来」に生きている私たちは、果たして理想の世界をつくりあげているのか、と。
戦争の傷跡が深く刻まれた沖縄に生まれ育った私は、悲惨な戦争の話を祖父母から聞くたびに、子ども心にも「戦争はダメだ! 二度と繰り返してはいけない」と強く感じていました。
ただ、「平和」と聞くとあまりにもスケールが大きすぎて、いったい何から始めたらよいのか戸惑ってしまいます。でも、「平和」というのは、どこか遠い国の絵空事ではないと思うのです。
大切なことは私たちの毎日の中にあって、日々どれだけ心穏やかに過ごせるか、そしてそれを積み重ねてゆくこと、それが本当の意味での「平和」をつくるのではないでしょうか。
私は、歌でそんな想いを綴(つづ)り、祈ります。
「赤旗」が、私たち一人ひとりの祈りをつなぎ、大きな力に変えてくださることを期待しています。
私の母と妹は終戦直前の空襲で命を落としました。人間の命を守る根底には平和がなければなりません。人間の命を奪う戦争は許せません。
戦争は文化を破壊し、表現の自由さえ奪います。戦争中、能楽も他の芸能と同様、上演を禁止された作品があります。
戦前、「赤旗」は厳しい弾圧のなかで創刊されましたね。みんなの命を守るために、自分の命を犠牲にしてまでも戦争反対の主張を貫いた歴史に重みを感じます。
「日の丸」「君が代」の押し付け、自衛隊の海外派遣と戦争の時代に戻るような事態に危機感をもっています。多くの新聞やテレビが国民の知りたいことを報道しなくなってきたようにも感じます。
どんな厳しい状況でも真実を報じる新聞として「赤旗」を信頼しています。
私は「赤旗」を開く時、いつもそこに真実があると思っている。人間が平和に、幸せに向かって、自由を掲げて歩むための、心の目を開かせてくれる。
八十年前、まだ日本には「基本的人権」も、「戦争放棄」も、「国民主権」も、「表現の自由」もなかった。それどころか、「平和」を愛して闘う人々の心を踏みにじり、生命を奪ってきた。そんな弾圧と闘い続けた人々を思うと私は心が震える。
私の祖父は「赤旗」を持っていただけで逮捕されたという。今、私は堂々と電車のなかで「赤旗」を読む。見知らぬ隣の人にも見えるように記事を大きく開く。もっと多くの人々の心の目を開いてほしいと願いながら。
八十周年とはおめでたい事ですね。
「赤旗」は私の長い役者人生の中で格別のご贔屓をたくさん、たくさんいただき、たいへんありがたく感謝しております。
これからも“らしさ”失わずますますのご発展を願っております。