日本共産党

「しんぶん赤旗」創刊80周年記念対談「しんぶん赤旗」日曜版・2008年2月3日号より

メッセージ
発言
対談雨宮処凛
対談石川文洋

偽装請負の告発などガンガンやってほしい

あまみや・かりん
1975年北海道生まれ。フリーター、愛国パンクバンド「維新赤誠塾」のボーカルなどを経て、作家に。過酷な競争社会を告発し不安定雇用に苦しむ若者を支援。新聞・雑誌に執筆、講演活動も。『すごい生き方』『プレカリアート』など著書多数。『生きさせろ! 難民化する若者たち』で07年日本ジャーナリスト会議賞受賞
写真/雨宮処凛さん・作家

写真/奥原紀晴・赤旗編集局長 どんな困難があっても真実を書き続けます
おくはら・としはる
1945年長崎県生まれ。68年赤旗編集局入局。06年1月から赤旗編集局長。党常任幹部会委員。著書に『「赤旗」は商業新聞とどう違うか―現代ジャーナリズム論―』

 2月1日、「しんぶん赤旗」は創刊80年を迎えました。戦前・戦後の荒波を越えてきた「赤旗」はいまどう読まれているか――。「大変役に立っています」と語る、作家の雨宮処凛(かりん)さんと、奥原紀晴・赤旗編集局長が対談しました。司会は松宮敏樹日曜版編集長。

貧困と雇用

 司会 雨宮さんは、著書の『生きさせろ!』のなかで若者の深刻な雇用問題を描いています。このなかで「生きさせろ。できれば過労死などなく、ホームレスにならずに、自殺することなく、そしてできれば幸せに」と書かれていますね。若者の実態を描くなかで、「赤旗」日刊紙や日曜版の記事も引用されています。雨宮さんは「赤旗」をどのように知り、どこに注目されたのですか。

 雨宮 私が労働問題の取材を始めたころ、まずインターネットで見ていたんですね。ネット上で「過労自殺」などのキーワードで検索していたら、なぜかほかの新聞ではなく、「赤旗」に行きつくことが多い。そこで見たデータや情報を勝手に使わせてもらっていたんです(笑い)。それが最初ですね。

 それから、派遣社員で過労自殺した上段(うえんだん)勇士さんの取材をしていたら、「赤旗」の記者さんと知り合った。「労働問題をやるんだったら」と勧められて日曜版読者になりました。読んでみたら、偽装請負とか、ほかの新聞ではやってないことがわかりやすく書いてあって。大変役に立つんです。

 最近びっくりしたのは、ここ11年の餓死者数867人が「赤旗」日刊紙(07年7月23日付)に出たじゃないですか。あれはすごく私の周りでも話題になりましたね。

 奥原 雨宮さんは貧困問題をライフワークとして取り組まれています。本の中で、「取材を通して、多くの同志と出会った」と書いていますが、私も「同志」を見つけたと感じました。(笑い)

 若者の雇用問題、貧困の問題などで、「赤旗」を評価していただきましたが、「赤旗」は国民がどういうことで困っているか、その原因は何かをまず知らせていく。そして、大事なことは、どうやって解決するかを示すことだと考えています。

 いま多くの青年がひどい労働環境のなかでも、“自分の努力が足りないんだ“ “自己責任だ”と思いこまされています。そうじゃないんだよ、原因はちゃんとある、それを見極めて、手を組んで一緒に変えていこうじゃないか、というメッセージを送っているんです。

 雨宮 私も最初は、“自己責任だ”という言葉に、政治の責任を覆い隠す意図があるなんて全然知らなかった。自分の状況が悪いのは全部自分のせいだから、助けられる価値がない、そんなふうに思えて…。自分の周りの人はそれを真に受けて自殺した人もいる。餓死のような自殺も結構あったんですね。本人は自分を責めちゃう。政治や社会に、怒りが向かう回路が最初から絶たれてる気がするんです。

 奥原 バブル崩壊後に大企業・財界の使い勝手のいいように、どんどん法律が改悪されて、人間らしい働き方が破壊されていきました。その結果、今や非正規雇用が若者の2人に1人という状況です。日本共産党と「赤旗」はその流れに一貫して反対し、警告してきました。

 雨宮 私は何が起きているのか、10年ぐらいわからなかった。問題の背景には、労働の破壊があり、グローバリズムや新自由主義があると知ったとき、やっと敵がわかったんです。

 奥原 いま、若者自身が立ち上がりはじめ、ある全国紙が元日の社説で「反貧困に希望が見える」という見出しをかかげるほどに事態が動いてきました。

 雨宮 「反貧困に希望」というのは最悪の希望ですが、だからこそ、「逆ギレ」みたいに出てくる勢いがすごいですね。写真

 奥原 そういう点では、ますます「赤旗」の出番だと思っています。日曜版でも雇用問題は継続的に取り上げてきましたが、最近「赤旗」日刊紙の1面で「ハケン集う駅」という記事を載せたことがあります。駅前に集められて、(紙面を広げながら)こんなふうにトラックの荷台で運んでいたんです。モノ扱いですよ。会社を突きとめて、「お宅はこんなことをしているのか」と追及したら、早速バスに変わったし、その後、この派遣自体が違法と摘発されました。

 雨宮 だれかの告発ですか?

 奥原 労働者からの電話でした。執念をもって暴けば変わるんですよ。

 雨宮 すごいですね。

写真=日曜版編集部を見学する雨宮さん(中央)。右は松宮日曜版編集長、左は奥原編集局長。



雨宮> 非合法だったときはどうやって読んだの? 奥原> 靴の底にしのばせて手から手へひそかに…

「赤旗」の歴史

 司会 「赤旗」創刊の歴史に目を向けたいのですが、奥原さんから。

 奥原 「赤旗」は80年前の1928年2月1日に創刊されました。天皇絶対で、支配体制を変えようと結社をつくったり、その指導者になった者は極刑に処せられる。そんな時代に、非合法で発行されたんです。

 雨宮 非合法だとどうやって読むんですか。

 奥原 当時はうすい和紙に刷られていたので、小さく折りたたんで靴の底にしのばせたりしながら、手から手へひそかに渡していったのです。

 雨宮 見つかってもいけないんですね。

 奥原 「赤旗」をもっているだけで逮捕される時代でした。

 雨宮 (1931年当時の「赤旗」紙面を見ながら)この絵、かっこいいですね。(笑い)

 奥原 実は、創刊号から26号までの現物は残っていないんです。弾圧で悪名高い特別高等警察、特高が全部押収して、写しをとった。それが残っているんです。最初は手書きでした。ガリ版といってろう引きの原紙に鉄筆で書いて、1枚1枚謄写版で刷るんです。

 創刊号では、雨宮さんの『生きさせろ!』ではありませんが、「生活を保障せよ」と主張しています。

 「君主制の撤廃」や「言論、出版、集会、結社の自由」、「一切の反労働者法の撤廃」などを掲げて、どんな弾圧があっても本当のことを伝えようと、決死の覚悟でつくられたんですね。

 こうした創刊以来の精神でいうと、どんな困難があってもひるまず本当のことを書きつづける新聞だと自負しています。

他紙との違い

 司会 雨宮さんは、「赤旗」とほかのマスコミとの違いをどう感じていますか。

 雨宮 同じ雇用や貧困の問題を扱っても、「赤旗」は、事実を書いたうえで怒りがあって、さらにこうしなくちゃいけないということまで書いてあります。ほかのメディアは事実しか書かなくて、物足りない。

 一番、感じる違いは大手メディアが企業名をできるだけ出さないことです。私もメディアに書きますが、一番嫌がられるのが企業名を出すことです。他紙がぼかしている企業名を知るために「赤旗」で確認するということがありますね。

 奥原 「赤旗」以外のほとんどのマスコミは、半分は広告収入で成り立っています。大企業を敵に回して、広告を引き揚げられたら持たないという恐怖感が基本にあるんですよ。

 雨宮 企業名は告発という意味でなくても出すべきだと思うんです。読者への当然の情報提供まで隠している。人をばかにしてますよね。

 奥原 日本経団連の会長企業であるキヤノンが率先して偽装請負とか違法行為をやっています。問題になったら御手洗会長は「法律が悪い」といいだした。さすがに反撃が起きてあまりいえなくなりましたけど、労働者を使い捨てにする企業は社会的に糾弾されて、企業経営自体が成り立たないぐらいまで持っていかないといけないですね。

 雨宮 「赤旗」には、偽装請負の告発など、これまで通りがんがんやってほしいです。そういうことをやってくれる政党が日本にあるというだけでも励まされますし、どの新聞よりも経済や労働問題がわかりやすい。究極のわかりやすさをあてにしています。(笑い)

 奥原 どんな困難があっても本当のことを書きつづけるんだ、1歩でも2歩でも前進するためにいい新聞をつくるんだという気構えで頑張っていきます。これからも応援してください。どうもありがとうございました。


「しんぶん赤旗」の歩み

写真右=「赤旗」創刊号(1928年9月)
写真左=1931年4月8日付「赤旗」(第38号)


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