日本共産党

創刊80周年「しんぶん赤旗」ジャーナリズム対談
「しんぶん赤旗」2008年1月27日付より

メッセージ
発言
対談雨宮処凛
対談石川文洋

ただ一紙、戦争の真実伝える
いしかわ・ぶんよう 1938年、沖縄県那覇市生まれ。65年から68年まで、フリーカメラマンとしてベトナム戦争を取材。朝日新聞社のカメラマンを経て、現在フリー。『沖縄わが故郷』、『戦場カメラマン』、『ベトナム 戦争と平和』、『日本縦断 徒歩の旅―65歳の挑戦』など著書多数。
写真/報道写真家 石川文洋さん

写真/赤旗編集局長 奥原紀晴 生まれた日からタブーに挑戦
おくはら・としはる
1945年長崎県生まれ。68年赤旗編集局入局。06年1月から赤旗編集局長。党常任幹部会委員。著書に『「赤旗」は商業新聞とどう違うか―現代ジャーナリズム論―』


 2月1日、「しんぶん赤旗」は創刊80周年を迎えます。創刊のときから不屈に真実を書きつづけた「赤旗」の役割と日本のジャーナリズムの現状について、報道写真家の石川文洋さんと奥原紀晴赤旗編集局長が語り合いました。

トンキン湾事件の記事 切り抜き今持ってます

 奥原 きょうはお会いできるのを楽しみにしていました。「赤旗」との出合いは、ベトナム戦争の最中、北爆下のベトナムだったそうですね。

 石川 ええ。当時の北ベトナム(ベトナム民主共和国)は入国が非常に難しかったんです。

 本多勝一さん(ジャーナリスト、当時「朝日」記者)と一緒に行ったんですが、ハノイのトンニャットホテルには、常駐されていた「赤旗」の木谷八士さんらが待っていました。それがつきあいの始まりで、その後、一緒に食事をしていろいろなことを話し合ったり、情報交換もしました。あの北ベトナム取材の感動は、いまも忘れることはできません。

 奥原 一九六〇年代に南ベトナムで取材された様子を著書で拝見しましたが、「よく生きて帰って来られたな」と思う状況ですね。戦争の現場を目の当たりにされ、初期のころからアメリカは勝てないと直感されていたようですね。

 石川 それはすぐわかりました。戦場はすべて村なんですね。彼らのいうベトコン(ベトナムの共産主義者)を探すために村を攻撃し、村人を殺す。家は焼き払われ、大勢の子どもが犠牲となりました。そういうことを支援する人は誰もいないですよ。私だってその村で生まれていたら、鉄砲を持ってたたかいますよ。今のイラクでも、アメリカは当時と同じようなことをやっているんですから。

「アカハタ」紙面
「アカハタ」1964年8月6日付1面

 奥原 一九六四年八月、ベトナムのトンキン湾をパトロールしていた米駆逐艦が、北ベトナムの魚雷艇の攻撃を受けたという口実で、アメリカが北ベトナムへの爆撃を開始した事件は、後にアメリカのでっち上げだと明らかになるわけですが、当時、日本の商業新聞はアメリカの筋書き通りに報道しました。

 石川 そうですね。私はそのトンキン湾事件のとき、世界一周無銭旅行の始まりで香港にいて、事件を知り、その直後に南ベトナムのサイゴン(現ホーチミン市)に入ったんです。

 奥原 「赤旗」は「米艦、領海に侵入、挑発」「“公海での交戦”はでたらめ」と書きました。

 石川 その「赤旗」の記事は私も切り抜いて持っていますよ。(切り抜きのファイルを取り出して)この記事の価値は非常に高いと思いました。謀略だとわかったのは、七一年にペンタゴン(米国防総省)の秘密文書がニューヨーク・タイムズに掲載されてからです。それをいち早く見抜いたわけで、私の「赤旗」への信頼は、そういうことの積み重ねだと思うんです。

うそで戦争に突入/イラクで繰り返された

 奥原 トンキン湾事件で思い出すのが、一九三一年の「満州事変」です。まったく同じパターンです。日本の関東軍が南満州鉄道を自分で爆破しながら、「支那軍」がやったといって戦争をしかけたのが始まりでした。そのときからすべての新聞が戦争礼賛にどっと流れていきます。

 当時、「赤旗」は、「支那軍」がやったというのはでたらめで、日本が「新しい領土略奪の為の戦争を準備」していたところに原因があると見抜いた記事を載せています。

 石川 満鉄の爆破でもトンキン湾事件でも、日本のジャーナリズムは、真実を国民に知らせるという点で、まったく機能していなかった。トンキン湾事件では、ワシントン情報を流すという間違いを犯したといえます。そういうなかで「赤旗」は、ただ一つ真実を報道した。

 奥原 イラク戦争が始まって今年で五年になります。ここでもまったく同じことが繰り返されています。

 開戦の口実はイラクが大量破壊兵器を保有しているというものでした。ところが、実際にはどこにもない。そのことは、あとでアメリカ政府自身が認めました。うその口実で戦争に突っ込んでいったということです。

 「赤旗」は、イラク戦争は国連で承認が得られないまま、アメリカが強行した侵略戦争だという立場から報道しました。商業紙との違いは明らかです。

 石川 私は、イラク戦争にもちろん反対しましたが、日本はいち早くアメリカを支持しました。これは想像力の問題だと思うんです。

 爆撃すれば、子どもや女性ら民間人が死んだり、けがをしたりするのは明白です。実際そこに行っていなくても想像できる。私の場合はベトナムで見てきたこともあるし、沖縄出身ということもあって、沖縄戦の悲惨な体験も知っていましたからね。

 当時の小泉純一郎首相は、そういう想像力がなかった。想像しようともしなかったのかもしれません。

 想像するための基本は、かつて日本が起こした戦争だと思うんです。日本の戦争がどんなものであったか、なぜ起こったか、その結果どういうことになったか。それをきちっとわかっていないと、戦争の悲惨さを想像できない。

 それがいま日本で一番欠けている部分だと思うんです。教育の中でも、そうですよね。そういうなかで、この戦争は間違っているんだとはっきり伝えてきた「赤旗」は貴重だと思います。

 奥原 ありがとうございます。

 小泉元首相がイラクの開戦後ただちに支持を表明したとき、評論家の加藤周一さんが?この内閣はアメリカが明日やるかもしれないことに今日イエスという?とおっしゃった(笑い)。なるほどと思いました。とにかく日米同盟が第一だということで、侵略戦争を支持し、その戦争に自衛隊も加担させていった。その結果、いま大変な泥沼です。当初参戦した国も次から次へと撤退をはじめ、アメリカは孤立しています。

 石川 そうですね。アメリカは「テロ対策」といって正当化していますが、戦争は最大のテロです。あれだけ爆弾を落として街を破壊し、多くの人命を奪いながら、「テロ防止」というのは成りたたない。そんなことは、誰が考えてもわかることです。その戦争に日本が協力するおかしさも。

 奥原 日本の大新聞の報道は、日米同盟を絶対とする立場からのものでした。さすがにここへ来て、多少は反省もでていますが。

 それに対して、国連憲章にもとづく平和のルールによって解決するという立場から見ると、報道の姿勢は百八十度違ってきます。「赤旗」は後者の立場にしっかりたって報道をつづけてきました。本多勝一さんがイラク戦争を「侵略戦争」と言った日刊紙は「赤旗」しかないと書いてくださっていますが、それはそういう立場の違いを指摘したものだと思うんです。

 石川 私も、あれを侵略戦争と言わずに何を侵略というのかと思っています。

 沖縄では、平和教育がしっかりしていて、本土復帰二十周年のとき、ベトナム戦争の写真展を沖縄市役所のロビーなどで開いたら、保育園児や小学生が、先生の引率で見にきました。小学生が「どうして戦争をするの?」「どうして殺し合うの?」と、非常に単純な質問をするんですね。私たちおとなは、その質問にちゃんと答えられるようにしないといけないと思います。

アフガンでの援助活動/米追従で危険になる

 奥原 アフガニスタンで撮られた写真を拝見しました。すさまじい破壊で廃虚ばかり、そのなかで子どもたちが笑顔で遊んでいる。印象的な写真でした。

 アフガニスタンの問題も、泥沼に入ったままです。ただここへ来て、カルザイ政権が軍事力だけでなく、政治解決のプロセスに入る必要があると言い出しました。

 そういう方向に向かっているときに、自民、公明両党は、米軍を支援するための給油を続けると、参院で否決された新テロ特措法を衆院の三分の二の多数で再議決しました。

 石川 武力では絶対だめだというのは最初からわかっていることなんです。

 ベトナム戦争について、当時、米国防長官を務めたマクナマラ氏が回顧録で、なぜアメリカが敗北したかを分析し、ベトナムの文化や民族を理解できなかったこと、アメリカの武力に頼りすぎたこと、アメリカの価値観でベトナムを判断したことをあげています。それと同じことがイラクで起こっています。

 アフガニスタンについていえば、国連が承認すれば自衛隊が地上でも軍事行動をしてもいいという民主党の小沢一郎代表の主張はおかしいと思います。国連の承認があろうと、なかろうと、銃を持った軍隊が引き金を引けば相手が死ぬということですから。

 奥原 民主党の「対案」は政府案よりひどいものです。アフガンの地上にも自衛隊を送る、給油だけではなく、海上阻止行動もできるようにする、新テロ特措法は時限立法なので自衛隊をいつでも派遣できるように恒久法をつくる、というものです。だから、自民党はそれを否定しないで継続審議にしたんです。

 石川 アフガニスタンを取材したとき、この国の人たちは親日的だったのに、日本政府がアメリカの政策を支持しているから、日本人が危ない目に遭うのではないかと心配しましたね。

 「ペシャワール会」現地代表で医師の中村哲さんも、日本から自衛隊を送られたら困るといっています。自衛隊が行くことによって、中村さんたちの活動がかえって危険になっていくという考えはわかります。自衛隊は、アメリカに追従していくわけですから。

 奥原 中村さんは昨年九月、「赤旗」のロングインタビューにも登場されて、「アフガン人はみんな『殺しながら助けるなんて、そんな援助があるのか』と言っている」と指摘していました。日本が軍事的にアメリカに協力していけばいくほど、中村さんたちの活動は危なくなると。

 石川 その通りです。世界の人たちは、アメリカや日本の動きをきちっと見ています。アメリカ追従の姿勢では、世界の信頼を得られないですよ、本当に。

 奥原 世界を見ると、アジア、ヨーロッパ、中南米に平和の共同体をつくろうとする流れが広がり、アメリカ一国では世界を思い通りにできなくなっています。アメリカの「裏庭」と呼ばれた中南米でも、ベネズエラをはじめ、アメリカの支配から離脱する自主的な政権が次つぎと誕生していますね。

 石川 中米のニカラグアへは二回行きましたが、ラテン民族独特の明るさが印象的でした。その明るさが、変革のエネルギーの源になっていると感じました。キューバもですが、アメリカの目と鼻の先ですからね。そういうところで、ずいぶんがんばっているなと感じましたね。

 奥原 文洋さんが行かれたころは、たぶんキューバは中南米でも孤立していた時代だったと思います。いまはそのキューバがベネズエラなどと協力し、目の白内障の手術を、中南米諸国からの希望者があれば無料でやってあげるということで、六百万人の手術を目標にしているそうです。

 石川 私も白内障だから、キューバへ行ったら見てもらいましょう。(笑い)

 奥原 とくに南米諸国は、昨年暮れに南米銀行をつくったんですね。ベネズエラなどを中心に、それぞれが出資して。アメリカ主導のIMF(国際通貨基金)だとか、アメリカの金融に頼らない、自主的に自分らの域内で融通しあうと。

 エネルギーの協力体制もできていますし、あらゆる面で共同を広げているんですよね。

 石川 中南米って大変おもしろい地域だと思いますね。

 メジャーリーグだって中南米パワーの爆発がなければ、成りたたないですから。そういう国の変化も細かく伝える「赤旗」の国際面は、私のような仕事をしている者にとっては欠かせない情報源です。

「九条の会」のがんばり/切り抜きがいっぱい

 奥原 私は戦争と平和で重要なのは、憲法九条の問題だと思います。安倍晋三前首相は、戦後はじめて任期中に憲法を改定すると公約した首相です。

 「戦後レジームからの脱却」を掲げ、憲法にもとづく戦後民主主義の体制から脱却し、戦前型の体制に戻ることを掲げました。

 しかし、昨年の参院選で国民は、そういう政権を許さない審判をくだし、安倍前首相は選挙後に政権を放り投げた。憲法九条を守るという国民の意思が示されたと思います。

 その背景の一つには、二〇〇四年に発足した「九条の会」が急速に発展し、いま、全国各地で七千近くの会が結成されていることがあります。それと並行するようにマスメディアの世論調査で憲法改定を求める声がだんだん減ってきた。象徴的なのは、改憲の旗を振ってきた「読売」が昨年の憲法記念日の直前におこなった世論調査で改憲派が三年連続して減り、「九条を守れ」という声が五割を超えるところまで増えました。それを「読売」は悔しそうに報道していましたが。(笑い)

 石川 そうですか。戦後、日本が戦争の道に向かう歯止めになってきたのが、憲法九条です。いま、日本が世界で信頼を失っているのはアメリカのいいなりだからですが、憲法九条があるために、ある程度、国際的な信頼を保っている。それさえなくなってしまえば、信頼の根拠がなくなります。

 私は一昨年、「九条の会」の講演にあちこちでかけました。憲法は日本が絶対守るべき平和の牙城ですからね。昨年は心筋梗塞(こうそく)になり、あまり行けなくなりましたが、「赤旗」をみていると、その活動ぶりがよくわかって、がんばっているなと思いますね。そういう切り抜きも、さっきのファイルにいっぱいです。

 奥原 ありがとうございます。草の根からの運動が広がり、国会では日本共産党議員団が奮闘する。私たち「赤旗」が改憲許さずのキャンペーンを張るという動きのなか、靖国派というタカ派的な流れにストップをかける世論を広げることができたと思います。

 三年前の新聞週間のとき、「産経」は、各紙の社説をまとめて、日本の大手紙から「護憲派が姿を消した」と勝ち誇って書きました。自民党が発表した憲法草案に、護憲派と思われていた「朝日」が同調的な社説をだしたからです。その翌年の〇六年の憲法記念日に、「朝日」は恒例だった憲法についての社説を掲げませんでした。ところが、昨年の憲法記念日には、九条を持つ憲法は「変えない」という結論に達したという社説を掲げるわけです。こういう変化は、改憲反対の世論が強くなれば、新聞もそれを反映せざるをえないことを示しています。

 石川 憲法九条は本当に大事です。私は自衛隊の存在そのものが憲法違反だと思っています。戦争現場の取材を通して、軍隊があるから戦争が起こるんだと実感してきました。

 沖縄戦の「集団自決」をめぐって日本軍の「強制」を削除した教科書の問題では、「赤旗」は九月二十九日の沖縄県民の怒りの大会を一面トップで紹介しましたが、私も直接、「集団自決」の犠牲者の話を聞きました。?捕虜になるぐらいなら、死になさい?という日本軍がいたから、悲劇が起こったわけです。沖縄の人たちや研究者らが「日本軍の命令があった」「日本兵に殺された人もいる」といっているのに、文部科学省はそれを否定する。こういう勢力が戦争の真実を正しく伝えないままに今日まできている。こういう状態では戦争についての正しい判断ができないし、日本が世界の信頼を失うことになると思います。

 奥原 日本の戦争の事実をしっかり国民に知らせていくことが大切ですね。それを妨げてきたのは、あの戦争が正しかったという勢力が戦後も政権のなかに居座っているからです。ヨーロッパとそこが一番違う点で、これは世界のなかでも、日本の政治の異常なところです。この点をただしていくことも、「赤旗」の大きなテーマです。

 石川 私は、大学で非常勤講師をしていますが、日本の戦争のことを知らない学生が多いですよ。大学で講演したとき、学生に感想を聞くと、「いままで戦争について知らなかった」と言うんですね。私の話を聞いて「初めてわかった」と。

 奥原 話せば、わかるんですね。

 石川 私は、戦場で子どもが倒れている写真などをスライドで見てもらっています。戦争は大切な命を奪ってしまう。そのことを学生や子どもたちに知らせる活動を、元気なかぎりつづけていこうと思っています。

 奥原 命の大切さ、戦争は絶対にやってはいけないということが、文洋さんの体にたたきこまれている感じですね。

 反戦・平和という点では、「赤旗」は生まれたときから、侵略戦争反対の旗を掲げてきました。

 きょう、ここに復刻版を持ってきましたが、創刊号は一九二八年二月一日付で、手書きの謄写版刷りです。特高(日本共産党をはじめ国民を弾圧した特別高等警察)に押収されたため、現物はありませんが、その中身はわかるんです。特高が記録してくれていた。

 石川 (縮刷版をのぞき込み)特高が記録を残したんですか…。(笑い)

 奥原 創刊号はちょうど、普通選挙法にもとづく最初の総選挙がおこなわれる時期で、この選挙にたいする日本共産党の政策を掲載しています。「君主制の撤廃」にはじまり、「男女十八歳以上の選挙権被選挙権獲得」「言論、出版、集会、結社の自由」「帝国主義戦争反対」「植民地の完全なる独立」を掲げました。これらを掲げること自体、治安維持法のもとで最大の犯罪とされていた時代にです。

 石川 いまでも通用する主張ですよ。

 奥原 ここに掲げたもののほとんどが、いまの憲法に盛り込まれているんです。

 石川 「赤旗」はその当時も貴重でしたが、いまもその精神が生きていますね。

餓死の記事を読み衝撃/庶民の暮らしに目を

 奥原 文洋さんは、日本列島縦断徒歩の旅をして、さまざまな日本の現実にカメラを向けてこられましたね。

 石川 日本を縦断して感じたのは、日本は人口が多く、人口密度も高いが、それは都会に限ってのことなんです。歩いてみて、日本はこんなに農村地帯、森林地帯が広かったのかと改めて思いました。

 農村はお年寄りが多く、過疎化が進んでいます。休耕田や空いている畑がたくさんある。若い人たちがなぜ出ていってしまうかというと、農業や漁業の収入が労働に見合わず、食べていけないからです。一方、若者が仕事を求める都会では、企業が臨時雇用で正規社員を雇わない。

 農業、漁業をもっと豊かにし、若者たちに魅力のあるものにし、生活できるものにしていかないといけないと思います。

 奥原 文洋さんは、徒歩の旅で秋田県の大潟村も通られたでしょ。国が八郎潟を干拓してモデルケースとして育成してきた大規模経営の稲作地帯です。政府が米の価格保障を廃止して市場にすべてをまかせるなかで、いま米価が暴落し、こういう地域でも「これではやっていけない」と悲鳴があがっています。「赤旗」記者がルポしていますが、?生きていけない?というところまで、追い詰められてきています。

 農産物の輸入自由化で、外国のものが安く入ってくるうえ、政府が農業を守る姿勢を捨てて、すべて市場原理にゆだね、弱い者が切り捨てられていく状況が農業分野でも広がっています。

 石川 個人の問題ではなく、農政の問題だと思います。いま小麦が足りなくなって輸入していますが、私たちの子どものころはたくさん麦畑がありましたよね。日本の自給力をもっとつけていかないと。外国から買ってばかりでは、将来どうなるかわかりませんから。そのためには、農業、漁業、林業を若者たちに魅力あるものにしていく農政に変えていかなければなりませんね。

 奥原 今の日本の現実で私たちが一番心を痛めているのは、貧困の問題です。若者の二人に一人が非正規労働者で、その多くが年収百数十万円、月給で十万円ちょっとという低賃金で無権利状態におかれています。

 私たちは、日雇い派遣の問題も追跡してきました。駅前に集められてトラックに乗せられ、行き先もわからないまま連れていかれる。日当は最低賃金を下回る…。こんなひどい状況が広がっています。何とかして変えていかなければなりません。

 貧困が目立ついまの状況は自然現象ではなく、財界・大企業からの要求を、自民・公明政権がストレートに受け、弱肉強食の政策を推進してきたからです。

 いま、首都圏青年ユニオンなど、非正規の労働者を中心にした労働組合ができ、会社側と交渉し、いろいろな改善を勝ち取っています。昨年には、労働組合やNPO(非営利組織)が一緒になって、「反貧困ネットワーク」が結成されました。国民の反撃が始まっています。

 マスメディアにも変化があらわれ、今年の元日、商業紙の社説に「『反貧困』に希望が見える」(東京新聞)という見出しがあらわれました。私たちは小泉「構造改革」路線を真っ向から批判する記事を書きつづけてきましたが、ジャーナリズムのこうした変化を歓迎しています。

 石川 私たちの若いころは貧乏だったけれども、希望がありました。私は定時制高校でしたが、何が良かったかというと、みんなで助け合うことが当然で、非常に仲が良かったことです。今は企業が労働者を使い捨てにしている。そこに仲間を支え合う労働組合が生まれてきたのはいいことです。お互いを支え合うなかから夢も生まれてきますから。

 こういう問題を細かく載せているのが、「赤旗」のいいところですね。

 奥原 キヤノンの偽装請負を告発したのは、「赤旗」が最初です。このごろでは、「赤旗」のスクープを各紙が後追いする状況も生まれているんです。

 他のマスメディアは、大企業の広告を載せていますから、?お客様?にいやがられることは、なかなか書けない。

 石川 なるほど。日本縦断はアフガニスタンに行った次の年でしたから、荒廃としたアフガンと比べれば日本はまだ豊かだと思ったんです。ところが、その後、「赤旗」で、餓死の記事を見て衝撃を受けました。日本にいま、餓死はないと思っていましたからね。

 私は、年をとっても安心して生活でき、ゆとりや夢をもっていける社会をつくっていかなければと思っています。国が戦闘機を買わないで、その分を他に回せばいいのにと考えます。軍事利権の甘い汁をすってもうかっている連中や、軍需企業に天下りしている人たちのことより、庶民の暮らしに目を向けるべきです。こんなやさしいことがどうして偉い人たちはできないのだろうと思うんですよ。

 奥原 当然ですね。いろんな問題が噴き出していますが、なぜこんなことになるのか。戦争や貧困と格差をすすめる根源には、アメリカいいなり、大企業中心主義の政治があります。そこにメスを入れないと、根本的には変わらないんですね。それを国民のみなさんと一緒に探求するのが「赤旗」の大事な使命だと思っています。

 もう一つ、自民党と民主党の党首による「大連立」騒ぎがありましたね。自衛隊海外派兵の恒久法、消費税増税をテーマに、この動きが今後も浮上する可能性があります。「大連立」になれば政治が一色に塗りつぶされてしまい、戦前の大政翼賛会のようになるわけで、国民にとっては大きな不幸です。

 ところが、大新聞はこの「二大政党」をあおる。「赤旗」はこの流れに正面から立ち向かっていこうと思っています。

 石川 自衛隊派兵の恒久法や「大連立」の話が出たりして、なんだ民主党は結局、自民党と同じなのかと驚きでしたね。あれで本音が出たという気もします。国民が見ていますから、そうすんなりとはいかないとは思いますが。

 「赤旗」は、共産党の機関紙ですが、それだからタブーなく書けるというところがあります。ジャーナリズムというのは、反権力で民衆の立場に立たなければならないと思いますが、商業紙からはそれが伝わってこない。

ジャーナリズムの使命もって生まれた新聞

 奥原 「赤旗」は、「権力を監視する」「真実を報道する」というジャーナリズムの使命を、生まれたときからもった新聞だと自負しています。

 第一は、どんな弾圧、困難があっても、真実を書くという旗を掲げつづけた歴史と伝統をもった新聞です。先ほどもふれましたが、創刊のときから、天皇制政府の猛烈な弾圧のなかで、本当のことを書くために、非合法で発行されました。私たちの先輩が、苦闘のなかで、掲げつづけてきたこの旗を守りつづけていきたい。

 第二は、どんなタブーもなく、科学の目で真実を見極める新聞だということです。

 第三は、草の根の力に支えられた新聞だということです。四十万人の党員が二万四千の支部で、いろいろな活動をしています。地方議員が三千数百人おり、後援会員は三百万人を超えています。配達、集金、読者を増やす活動、通信活動などを含め、こういう草の根の力に支えられて、「赤旗」は発行をつづけ、中身を豊かにしています。

 他の新聞は支局をたくさんもっていますが、「赤旗」は、いわば二万四千の支局があるんだといっているんですよ。(笑い)

 石川 「赤旗」を多くの人たちに読んでもらいたいですね。食わず嫌いという人もいますが、読めばいい新聞だとわかります。最近の「赤旗」を見ていると、こんな人も載っているなというのが目につきます。自民党政権のやっていることがいけないと思っている人たちは、随分いると思うんです。そういう人たちに、どんどん紙面に登場してもらって、たたかいの輪を広げていくといいと思います。がんばってください。

 奥原 国民の幸せの実現へ社会を前向きに動かしていくため、この三つの旗をしっかり掲げてがんばっていきたいと思います。


「満州事変」
1931年9月18日、天皇制政府は、中国東北部(満州)の奉天(現・瀋陽)郊外で日本の関東軍がでっちあげた鉄道爆破事件(柳条湖事件)を口実に侵略を開始しました。翌年、かいらい国家の満州国を建国し、1945年8月までの15年にわたる侵略戦争の発端となりました。

ベトナム戦争
 アメリカが1950年代からベトナムを侵略した戦争。64年8月、米国は北ベトナムがトンキン湾で米駆逐艦を攻撃したという事件をでっちあげて、北ベトナムを爆撃、侵略を全土に拡大し、ここから戦争が本格化しました。米国は最多時、54万人の兵力を投入し、住民の虐殺や集落の焼き払い、枯れ葉剤の投下など、暴虐のかぎりをつくしました。ベトナム人民のたたかい、世界の人民支援のたたかい、米国内の反戦運動が広がるなか、米国は敗北し、75年4月、全土が解放されました。

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