2007年1月6日(土)「しんぶん赤旗」

戦前の日本共産党のたたかい 不滅の意義とは?


 〈問い〉 日本共産党の綱領を読むと、戦前のたたかいを「不滅の意義をもった」としていますが、どういう意味ですか?(福島・一読者)

 〈答え〉 戦前、治安維持法による弾圧が原因で命を落とした人は、判明しているだけでも1682人にのぼりました。日本軍国主義の敗北をまえに、1943年3月に党中央委員だった国領五一郎(40歳)が堺刑務所で、45年3月に市川正一(53歳)が宮城刑務所で、哲学者の戸坂潤も敗戦直前の45年8月9日に、三木清は敗戦直後の9月26日に、獄死に追い込まれました。治安維持法による送検者は、28年〜45年に7万5千人をこえ、逮捕者は数十万人、予防拘束や警察への勾留は、数百万人におよびました。この数は、専制政治の野蛮さとともに、平和と民主主義を求めた日本国民の抵抗とたたかいの規模、勇敢さを示すものです。

 日本共産党が党を創立したのは22年ですが、ここに日本共産党ありという旗を国民の前に立てて活動できたのは、28年2月の「赤旗」発行から35年3月の党中央の解体までの7年間だけでした。それもたいへん小さな勢力での出発でした。その党と、また党を軸にする科学的社会主義の理論と運動が、強大な天皇制国家に立ち向かい、野蛮な権力に正面から対峙(たいじ)しながら、短期間に急速な成長をとげて影響力を広げた、そこには犠牲もあり、誤りや失敗もあり、裏切りや脱落もありました。しかし、日本共産党以外のすべての政党が侵略戦争に協力、加担したなかで、命がけで侵略戦争に反対し、主権在民の旗をかかげつづけた党の戦前史は、世界の近代史のなかでも、誇ることのできる歴史です。

 戦後かちとられた主権在民をはじめとする日本の民主主義は、世界の資本主義諸国の中でも、もっとも野蛮な抑圧のもとにあった戦前の日本で、日本共産党と多くの民主主義者のたたかいが社会進歩の流れに沿っていたからこそ実現したものです。

 15年にわたる戦争が侵略戦争であったという歴然たる事実すら歴代自民党政府が認めず、戦争責任がアジア諸国からきびしく問われつづけているいま、日本共産党の戦前史は、国際的にもかけがえのない意義をもっています。その党だからこそ、アジアの諸国民とほんとうの平和・友好の関係をきずく立場をつらぬけるし、その歴史は、アジアの人びとからの信頼の基盤ともなっています。

 その意味で、戦前の日本共産党と党員たちの不屈のたたかいは、世界と日本の歴史にしっかり刻みこまれ、「不滅の意義をもった」といえます。(喜)

 〈参考〉『日本共産党の八十年』(党出版局)、『日本共産党史を語る・上』(不破哲三著、新日本出版社)

 〔2007・1・6(土)〕


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