2006年12月8日(金)「しんぶん赤旗」

太平洋戦争開戦 65周年に考える

歴史認識問題の「いま」


 一九四一年十二月八日、日本は東南アジア全域にわたる侵略戦争を開始し、アメリカにたいしては真珠湾への奇襲攻撃を加えて、太平洋戦争に突入しました。それから六十五年。いまだに日本の戦争をどうみるかという歴史認識問題が政治の熱い焦点となっています。この問題がどこまできたのかを考えます。(藤田 健)


「靖国史観」追いつめた論戦

遊就館の展示物批判され変更へ

 東京・九段にある靖国神社。その境内にいま、「遊就館臨時休館のお知らせ」が掲示してあります。

 靖国神社の軍事博物館・遊就館を、十二月二十六日から三十一日まで「館内整備」のため閉鎖する告知です。

 遊就館は、日本の戦争を「自存自衛」「アジア解放」の「正しい戦争」だとする靖国神社の中心施設。館内の「戦史回廊」で「靖国史観」を展開しています。

 今回の休館について、同神社は「展示内容を変更する予定」と本紙に回答。内容については「正月号の社報で中間報告する予定です」とのべ、明らかにしていません。

 報道では、太平洋戦争開戦について、「米国民の反戦意志に行き詰まっていた…ルーズベルト」が「資源に乏しい日本を、禁輸で追い詰めて開戦を強要」したためだったとする“陰謀”説が変更の対象とされます。

 展示内容変更の背景には、昨年以来の「靖国史観」批判が内外に広がったことがあります。『諸君』十一月号では、「昨年来、(遊就館に対する)批判の声が国内外から高まっている」として、展示パネル編集責任者が質問に答えています(「米中の靖国『遊就館』批判に応える」)。

契機となった不破講演と報道

 防衛庁防衛研究所幹部が「遊就館批判が国内外一般に広まるのは、去年の五月になされた不破哲三共産党中央委員会議長の時局講演会とそれに続く『しんぶん赤旗』の報道を契機としてである」(『諸君』四月号)と指摘したように、この問題では日本共産党の「靖国史観」追及が国内外の世論を動かす力となりました。

 不破氏は、靖国神社自体が日本の侵略戦争を「正しい戦争」だとする宣伝センターになっていることを遊就館の展示内容を示して告発しました。「赤旗」論評「“靖国史観”とアメリカ」(二〇〇五年五月二十七日付)は、靖国神社の「攻撃の矛先は、日本と戦ったすべての国ぐに――アメリカをはじめ、反ファッショ連合国の全体に向けられてい」ることを明らかにしました。「靖国史観」という言葉は、この論文のなかで初めて使われたものです。

 その後、「靖国史観」への批判は欧米メディア、アジア諸国に広がりました。米紙ワシントン・ポストのコラムでの批判に応え、安倍首相のブレーンとされる岡崎久彦元駐タイ大使が「遊就館から未熟な反米史観を廃せ」(「産経」八月二十四日付)と主張するまでになっていました。


靖国問題と日本共産党

2005年

4月
  中国で「反日デモ」

5月
  日本共産党の不破哲三議長(当時)が「日本外交のゆきづまりをどう打開するか」と題し講演。その後、「しんぶん赤旗」に「“靖国史観”とアメリカ」(5月27日付)、「ここまで来たか“靖国史観”」(6月7日付)、「首相参拝と“靖国”派の要求」(6月11日付)を掲載

6月
  衆院予算委で日本共産党の志位和夫委員長が首相に靖国神社の歴史観をどう考えるかと質問/欧米有力紙が靖国参拝問題を特集

9月
  米上院外交委員会で靖国問題公聴会

10月
  小泉純一郎首相(当時)が5度目の靖国参拝、日本共産党が批判/中国、韓国の駐日大使が抗議。米国務省報道官が中韓に「理解」を表明

11月
  日米首脳会談で米側が対中政策を質問/日韓首脳会談で韓国側が抗議

12月
  外務省協力の外交誌に首相参拝を批判する元外務次官の論文掲載

1月
  志位委員長が代表質問で靖国参拝は戦後国際秩序の否定だと指摘、中止を要求

2006年

4月
  安倍晋三官房長官(当時)が極秘に靖国参拝/防衛庁幹部が遊就館批判は不破講演が「契機」だったと指摘(『諸君』4月号)

6月
  日米首脳会談で米側が再度日中問題を提起

7月
  昭和天皇がA級戦犯合祀(ごうし)に不快感を示していたというメモを「日経」がスクープ。志位委員長が参拝中止の決断を求める談話

8月
  小泉首相(当時)が終戦記念日に靖国参拝。志位委員長が批判談話

10月
  安倍首相に志位委員長が歴史認識ただす。首相は「村山談話」「河野談話」の継承を答弁/日中、日韓首脳会談で安倍首相が「適切な対処」を約束、歴史共同研究で合意。志位委員長が「歓迎」の談話


行動で試される安倍首相

首相になっては言えない戦争観

写真

(写真)安倍首相に質問する志位和夫委員長=10月6日、衆院予算委

 靖国問題が日本外交の大きな桎梏(しっこく)となるなかで就任したのが安倍晋三首相です。安倍氏といえば、これまで、首相の靖国参拝を「当然の責務」といい、「従軍慰安婦」問題で旧日本軍の関与を認めた「河野官房長官談話」(九三年)を攻撃。日本の戦争を「正義の戦争」とする立場から衆院の「終戦五十周年決議」(九五年)の採決に欠席しました。根っからの“靖国”派とみられていただけに、内外の懸念もひときわ強かったのです。

 とくに、米国では「日中関係が極端に悪化すれば、アジア戦略に支障が出かねない」(米政府高官)と、安倍氏に是正を求める声が続出。九月に開かれた米下院外交委員会の公聴会では、ハイド委員長らが米国が求める日本の役割を果たすうえからも安倍氏に参拝中止を求めました。ライス米国務長官も同月二十六日、「(日中関係は)過去に問題があったことを認めてこそ前進できる」「政治的意思が必要だ」と発言しました。

 こうしたなかで安倍首相は、就任後、日本の「植民地支配と侵略」への「反省とおわび」を表明した「村山首相談話」(九五年)の継承を明言。日本共産党の志位和夫委員長の追及にたいし、「河野談話」も「受け継ぐ」と答弁しました。

 安倍首相の変化は、「首相がずっと主張してきた歴史観、戦争観は、首相になったらもう口にすることができないような性格のものだ」(志位氏)ということを浮き彫りにしました。「村山談話」と「河野談話」の継承を明言した以上、今後の行動で問われることになりました。

 首相の態度に、“靖国”派からは「事情を説明して欲しい。その説明がなければ、これまでのコアな支持層は首相に対して最も厳しい批判勢力に転ずる可能性がある」(「あたらしい歴史教科書をつくる会」の元会長・八木秀次氏、「朝日」十月十八日付)と、戸惑いの声も出ました。

歴史問題の態度アジアが注視

 胡錦濤・中国国家主席 日本の指導者がA級戦犯がまつられた靖国神社に参拝を続け、中国国民とアジアの人々を傷つけ、中日関係を困難な局面に直面させた。こうした政治的障害を除去してほしい。

 安倍首相 政治的困難を克服し、健全な発展の観点から適切に対処したい。

 安倍首相は就任後、初の外遊となった十月の日中首脳会談でこう約束し、歴史共同研究でも合意しました。続く韓国訪問でも、盧武鉉大統領から「歴史問題は大きな課題になっている」と指摘され、「過去に関する韓国国民の感情を重く受け止め、相互理解と信頼に基づく未来志向の関係を構築したい」と応えました。

 日本共産党は、日中首脳会談後、志位委員長が談話を発表し、「日中両国政府間、国民間の友好関係を前進させる転機となることを期待します」と「歓迎」するとともに、「友好関係を本格的に発展させるためには、歴史問題での障害が取り除かれ、その基本点での解決がはかられることが、不可欠だと考えます」としました。

 韓国メディアも首脳会談を「韓日関係に正常化の糸口がもたらされた」とするとともに、「安倍首相の『(靖国神社に)行く、行かないといった話はしたくない』といったあいまいな表現では現在の事態の解決にはならない」(朝鮮日報十月十日付)と報じました。「これ以上、過去の問題が韓日の国益を害してはならない。そうしようとするなら、日本がきちんと明らかにするものは明らかにして進まなければならない」(中央日報十月十日付)との指摘もありました。

歴史共同研究 日中、日韓で開始へ

 歴史認識問題との関係で注目されるのが、日中、日韓の歴史共同研究です。日中の歴史共同研究は初めてで、日韓間では小泉政権時代の2001―02年に行われた第1期につづくものです。

 日中歴史共同研究については、11月の日中外相会談でもとりあげられ、「古代、中近世史」と「近現代史」の二分科会を設け、「共同研究を通じて、歴史に対する客観的認識を深めることによって相互理解の増進を図る」ことで合意。08年中には、なんらかの成果を発表する予定ですが、外務省は研究の延長もありうるとしています。

 研究は、両国それぞれ10人の有識者からなる委員会ですすめ年内に開始します。第1回の場所は北京の予定。日本側の座長候補は北岡伸一東大教授(前国連次席大使)です。事務局は、日本側が外務省の外郭団体である日本国際問題研究所、中国側が中国社会科学院近代史研究所です。

 外務省筋は「できるだけ多角的にいろいろな資料を整備し、事実を発掘し、議論をしたい。議論の中身はできるだけ両国民に知らせていきたい」としています。


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