2006年11月19日(日)「しんぶん赤旗」

主張

ハンセン病問題

人間回復の願い実現へ正念場


 ハンセン病患者・元患者を九十年にわたり強制隔離してきた国の政策を違憲と断罪した二〇〇一年五月の熊本地方裁判所判決から五年半。ハンセン病元患者の人間回復をめざすたたかいが正念場を迎えています。

療養所の将来は

 最大の課題は、全国十三カ所にある国立ハンセン病療養所の将来構想問題です。熊本地裁判決を受けて厚生労働省は同年十二月、療養所の入所者に対し、「在園を希望する場合、意思に反して退所、転園させることなく、終生の在園を保障し、社会生活とそん色のない生活環境と医療の整備をおこなう」と約束しました。ところが厚労省は、その約束の具体化である療養所の将来構想を入所者の再三の要請にもかかわらず、今になっても示そうとしません。

 「国は約束を守る気があるのか。私たちが死に絶えるのを待っているのではないか」。入所者が批判の声をあげるのは当然です。

 らい予防法が一九九六年に廃止され、熊本地裁判決で「人間回復」をかちとって以降も、元患者の社会復帰は進みません。社会復帰を保障する医療、住居の整備などの課題とともに、国の隔離・絶滅政策が深い傷跡を残しているからです。

 全国の療養所に三千八十人の入所者が生活しています(五月現在)。半数を超える千六百七十九人が病気の後遺症の治療や介護が必要で、不自由者棟での暮らしです。入所者の平均年齢は七十八・二歳です。

 ハンセン病は、感染力のきわめて弱い病気です。療養所で働く職員で発病した人はいません。薬剤の開発で発病しても完治し、すでに日本では感染源はないといわれています。戦前戦後、多く発病者をだしたのは、貧困と侵略戦争が招いた食料不足による抵抗力の衰えからでした。

 ところが日本政府は一九〇七年「癩(らい)予防ニ関スル件」を制定し、一六年「癩予防法」に改定以来、ハンセン病患者を療養所に強制隔離してきました。患者は「日の丸の染み」とされ、男性には断種、女性に妊娠がわかると堕胎を強いました。患者の絶滅政策です。それは戦後も長く続きました。厚労省は、この真相究明にも真剣ではありません。

 国の誤った隔離、絶滅政策は、国民のあいだに根深い偏見、差別をうみました。絶滅政策は、入所者にとって頼るべき子ども、孫の存在を奪いました。ふるさとに帰りたくても帰れない現実があるのです。入所者は、すでに療養所で数十年間、生活しています。隔離された療養所が、悲しいこととはいえ「第二のふるさと」になっています。

居ながらにして

 「住みなれたこの地で生涯くらしたい」と入所者自治会や地元自治体が共同して、十三の療養所の特色を生かした将来構想を模索しています。群馬県草津町では、ハンセン病療養所栗生楽泉園にある温泉を生かしたアトピー性皮膚炎治療施設の併設による療養所の社会開放が構想されています。入所者にとって居ながらにしての社会復帰です。

 実現の壁となっているのが「らい予防法の廃止に関する法律」二条の規定です。「ハンセン病療養所は、現に入所しているものに対して、必要な治療をおこなう」として、入所者以外の治療を認めていません。先の赤旗まつりでのシンポジウムに続き東京で相次いでシンポが開かれ、「法改定を含め壁を壮大な運動で打ち破ろう」と話し合われました。

 「生きていてよかった」と元患者が思えるよう、日本共産党は切実な願いの実現に力を尽くします。


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