2006年9月29日(金)「しんぶん赤旗」

韓国・パキスタンを訪問して

志位委員長の報告(大要)(下)


パキスタン訪問について(9月16日〜21日)

今回の訪問の特徴と意義について

 つづいてパキスタン訪問についての報告をおこないます。

 日本共産党代表団は、九月十六日から二十一日までパキスタンを訪問しました。六日間の日程ですが、最初の十六日と、最後の二十一日は、ほぼまるまる飛行機での移動にあてましたから、パキスタンで活動したのは実質四日間でした。

 この訪問は、韓国訪問とはまた違った、独特の重要な特徴と意義があるものとなったと思います。まずそれについて報告いたします。

パキスタン政府の公式招待による訪問

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(写真)会談を終えて握手するシャウカット・アジズ首相(中央右) と志位和夫委員長(その左)=18日、イスラマバード

 今回のパキスタン訪問は、パキスタン政府の公式招待によるものでした。訪問の準備の過程で、駐日パキスタン大使館に緒方副委員長(国際局長)がうかがいますと、駐日大使のカムラン・ニアズさんは、私たちを「ステート・ゲスト」(国賓)として招待したいということでした。こういう形での訪問は、わが党の歴史でも初めてのものであります。

 わが党の野党外交は、一九九九年六月の第四回中央委員会総会の決定で、外国の諸政党との交流では、これまでの共産党間の交流にとどまらず、相手の党が保守的な政党であれ、革新的な政党であれ、与党であれ野党であれ、双方に交流開始への関心がある場合、「自主独立、対等・平等、内部問題不干渉」の三原則にもとづいて、関係を確立し、率直な意見交換をおこない、可能な場合には共同の努力をはかるという方針を決めたことから始まりました。二〇〇〇年十一月に開いた第二十二回党大会の決定では、この四中総での決定を確認するとともに、外国の政府との関係でも、平和と進歩の課題で交流を発展させるという方針を決めました。

 これらの方針の具体化の最初の重要な第一歩が、一九九九年九月の不破委員長(当時)を団長とする東南アジア歴訪でした。この時は、不破さんご本人が「あたって砕けろ」という精神で、この道を切り開いたとのべたように、これまでまったく関係を持っていなかったマレーシアやシンガポールなどに大胆な訪問をし、訪問してみたら「打てば響く」という反応が返り、交流が始まりました。これは、いまからふりかえりますと、重要な意義をもつ最初の大きな一歩だったと思います。

 その後、わが党の野党外交は、大きく発展していきます。ただ、これまでの私たちの外交というのは、相手国政府との関係では、こちらが訪問し、相手が応対してくれるという形でした。私も、二〇〇二年の十二月に、インド、スリランカ、パキスタンの三国を訪問しましたが、これも先方の政府の公式の招待があってのものではありません。こちらが訪問し、相手が迎えてくれるという形のものでした。

 それが今回は、パキスタン政府の公式招待ということになりました。ここにはわが党の野党外交の一つの質的な発展があると思います。

 ここにいたるまでには、わが党とパキスタン政府との交流の積み重ねがあります。そのいきさつは、七月十九日の党創立記念日の講演でも紹介しましたが、ことの始まりは、前駐日パキスタン大使のトキール・フセインさんが、日本共産党という自主独立の党が日本にあることを“発見”したことにありました。二〇〇一年のアフガン戦争のさいに、わが党は緒方さんを団長とする日本共産党代表団をパキスタンに派遣しました。帰国して緒方さんがその報告かたがたフセイン大使を訪問すると、大使は「日本共産党に会うのははじめてだ」とのべ、緒方さんは大使から質問ぜめにあったというのです。「モスクワとの関係はどうなっていたのですか」、「中国との関係はどうなっているのですか」、「歴史の古い党なのですか」などと詳しくたずねてきました。緒方さんが、日本共産党は、ソ連のアフガニスタン侵略などに反対し、覇権主義とたたかった自主独立の歴史があることを話すと、「たいへん興味深い」とうなずきながら聞き、「ぜひまたわが国を訪問してください」とのべました。フセインさんが後に明かしてくれたことですが、これを契機に日本共産党を研究して、本国政府に報告書を書いたとのことでした。いったん重要な相手だとわかりますと、その相手を研究するのですね。

 そういう経過を経まして、二〇〇二年十二月に、私を団長とする日本共産党代表団がパキスタンを訪問し、そのときに現駐日大使のカムラン・ニアズ外務次官補、現首相のシャウカット・アジズ財務大臣などと会談し、イラク戦争が切迫する状況のもとで、戦争反対の一致点を確認しました。

 さらに昨年八月、アジズ氏が首相となって来日したさいに、ふたたび会談して、「国連憲章にもとづく平和秩序を築く」という大きな問題で意気投合しました。その会談の席で、アジズ首相から私に「パキスタンをふたたび訪問してください。今度は私自身が招待します」という話があり、今回の訪問となったというのがことの経過です。

 最初の出会いが二〇〇一年ですから、わずか五年で、両者の関係がここまで発展したことは、それ自体がたいへんに感慨深いものがあります。

「パキスタン国家、政府、国民にとっての賓客」(サイド上院外交委員長)

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(写真)下院外交委員会であいさつする志位和夫委員長=19日、イスラマバード

 私たちの代表団が、実際にパキスタンを訪問してみますと、パキスタン政府の側は、まさに「ステート・ゲスト」にふさわしい応対ぶりでありました。

 私たちのパキスタンでの行動には、パキスタン政府が全責任を負い、実に心配りのきいた応対をしてくれました。私たちがイスラマバード空港に着いてみますと、パキスタン外務省の東アジア・太平洋局長のイフテカール・アジズ氏が、出迎えに来てくれ、さっそく私たちと、深夜の空港でしたが意見交換が始まりました。私が、「アジズ首相との会談を楽しみにしています」と伝えますと、先方も「首相も楽しみにしています」というやりとりがあり、そこから交流が始まりました。

 パキスタン政府は、私たち代表団の車両での移動、宿舎の手配、そして警護についても、すべてに責任を持って丁重な応対をしてくれました。パキスタンは、テロとのたたかいのいわば「最前線」に立たされている国です。要人を狙ったテロやホテルの爆破テロなどもあり、懸命にテロ根絶のために努力している国であります。私たちへの警護も、たいへんに重視されていました。移動のさいには、必ずパトカーが先導し、自動小銃を構えた兵士が警護にあたりました。ホテルでも、私たちが泊まるフロアには、二十四時間態勢で警官が立ち安全を確保してくれました。こういう点でも綿密な心配りをつくしてくれたと感じました。

 私たちの行動日程も、事前に打ち合わせがすんでおり、その通りに進行しました。九月十七日はタキシラ遺跡(ガンダーラ地方最大の古代都市遺跡)の視察、十八日はアジズ首相との会談、十九日は上下両院議長との会談、上下両院外交委員長との会談、上院議長主催の歓迎昼食会、上院外交委員長主催の歓迎晩餐(ばんさん)会、二十日は巨大地震の被災地であるバタグラムの視察という日程でした。こうした日程が、事前にパキスタン政府から大使館経由で提案され、こちらも同意して決まっており、その通りに進行するというのも、私たちにとって初めての経験でした。

 四年前のパキスタン訪問の際には、イスラマバードに着くまで、だれと会うことになるのかわからないという訪問でしたから、四年間で両者の関係が大きく発展したことを、この点でも実感したものです。

 シャウカット・アジズ首相との会談は、あとで内容を立ち入って紹介しますが、世界の平和秩序、テロ根絶の方途、核兵器廃絶で、政治的一致点を確認する内実のあるものとなりました。この訪問のなかで、もっとも重要な会談となりました。

 同時に、パキスタン国会が私たちの代表団を、いわば国会あげて歓迎してくれたことが印象深いことでした。たとえば、私たちが上院を訪問いたしますと、上院本会議の視察ということになりました。私たちが本会議の会議場に入って貴賓席に案内されて座りますと、激しい議論の最中だったのですけれども、議長が議事を中断して、「日本共産党の志位委員長を団長とする代表団がお見えになっています」と紹介するのです。そうすると議員が総立ちで歓迎の拍手をしてくれました。激論を交わしていた女性議員も、私たちへの歓迎の言葉をのべて、また激論に戻る、こういう歓迎ぶりでした。

 その後、ムハマド・ファルーク・サッタル下院外交委員長との会談という日程が入っていました。私は、先方は数人との会談になると予想していたのですが、行ってみますと与野党を超えた下院の外交委員の十数人がみんなで私たちを歓迎してくれ、その場で質疑応答が交わされるという交流の場となりました。いわばパキスタンの下院外交委員会に私たちが参加したという形になったのです。

 まずサッタル委員長が歓迎の言葉をのべます。そこで私が答礼の言葉をのべます。その後、サッタル委員長は、外交委員のみなさんに、「出席者のみなさんから、活発な質疑応答がおこなわれることを希望します」とのべ、自由な質疑応答となりました。この質疑応答は、もちろんマスメディアに公開され、テレビカメラが入ったもとでおこなわれました。

 そこで私が、まず自己紹介をと思い、日本共産党のプロフィルを外交委員のみなさんにお渡ししますと、外交委員のみなさんからつぎつぎと質問が出ます。居並ぶ委員の顔ぶれも、外交委員会には有力な政治家が集まっていて、ジャマリ前首相、与党・ムスリム連盟の国際委員会責任者、最大野党パキスタン人民党幹部など、そうそうたるメンバーであります。私への質問も、世界的な視野にたった、同時にわが党に対する強い関心をうかがわせるいろいろな質問が出ました。

 「日本のように高度に発達した資本主義国に共産党があることに注目しています。他の先進資本主義国にはどのような国に共産党があるのですか」、「テロの根源的な原因についてどう考えていますか」、「日本共産党の財政基盤はどうなっているのですか」、「南米の動きをどう評価しますか」などです。時間は一時間を超え、「もう時間がありません。つぎの日程が押しています」と促されて終わりとなりましたけれども、互いにもっと語り合いたいという思いを残しての、ほんとうに充実した実のある懇談となりました。

 さらにモハメド・ミヤン・スムロ上院議長主催の歓迎昼食会、ムシャヒド・フセイン・サイド上院外交委員長主催の歓迎晩餐会には、与野党を超えて、パキスタン政界の首脳陣が数多く参加し、心のこもった歓迎をしてくださいました。サイド上院外交委員長主催の歓迎晩餐会は、九月十九日の夜八時から国会でおこなわれました。関係者が「普通はこの時間は国会は閉めていますが、みなさんのために今夜は特別に国会を開けています」と説明してくれました。行ってみますと、関係者、衛視のみなさんがずらりとならんで私たちを出迎え、約六十人もの方々が晩餐会に参加し歓迎してくれました。サイド上院外交委員長が、「この晩餐会は、特別の客への、特別の機会の、特別の行事です。パキスタン国家、政府、国民にとっての賓客です」と熱烈な歓迎のスピーチをおこない、最後に私がお礼のスピーチをおこないました。聞いてみますと、参加した約六十人のうち上院議員が二十五人もいたそうです。上院の定数は百人ですから、議員の四分の一が参加してくれたことになります。さらに、数名の閣僚、著名なジャーナリストや各界の有識者も多数参加してくれたようでした。

日本共産党の訪問が「両国関係に新しい展望を開いた」(アジズ首相)

 わが党が他国の政府から公式招待を受けて訪問するのは初めてのケースとのべましたが、話し合ってみますと、パキスタンの側も私たちの訪問に重要な位置づけを与えていることがよくわかりました。いくつかの印象的な言葉があります。

 まず、十八日、シャウカット・アジズ首相との会談で、首相は冒頭に、私たちの訪問について、つぎのようにのべました。

 「日本共産党が国会のメンバーを伴って訪問してくれることは、パキスタンと日本の関係をさらに豊かにしてくれます」。

 この日の会談について、パキスタン国営通信APPは、「パキスタンと日本、新しい協力の展望を開く、首相が語る」という見出しで、会談の詳細を写真入りで報じました。「新しい展望を開く」――「オープン・ニュー・ビスタズ」と書いてあります。この言葉は、鮮烈でした。私たちの訪問が、両国関係の新しい展望を開くと首相が語ったと報じたニュースを見て、私たちも「展望が開かれた」(笑い)という思いでした。

 翌日、九月十九日のスムロ上院議長との会談では、議長はこうのべました。「これまでは政府と政府との関係でしたが、日本共産党の訪問は、両国の関係に新しい次元を加えることになります」。「新しい次元」――「ニュー・ディメンション」という言葉を使ったのですが、これも、たいへんに印象深く私たちは受け止めました。

 「新しい展望」「新しい次元」――これらの言葉は、パキスタンの政府と国家が、私たちの訪問をどう位置づけているかを端的に示していると思いました。これまで日本とパキスタンの両国政府は、良好な関係を持っています。特別の紛争問題が両国政府間にあるわけではありません。同時に、日本共産党の訪問は、日本とパキスタンの友好関係を、アジズ首相の言葉を借りれば「さらに豊かにする」と、先方は位置づけたわけであります。

 パキスタンのマスメディアは、連日のように、私たちの代表団の動向を伝えました。APP配信の記事は、ウルドゥー語の現地新聞に写真入りで掲載されました。私は、パキスタン国営放送のインタビューも受けましたが、ニュース専門のテレビ局がありまして、連日のように、しかも繰り返して、私たちの訪問を伝えました。一日何回も同じニュースが放映されます。先ほど紹介した下院外交委員会での質疑の様子なども、何回も放映していました。ただ残念なことに、ウルドゥー語がわかる団員がいなかったので、わかる言葉といえば「日本共産党」と言っているらしいということと、「志位和夫」という言葉が聞き取れたくらいで(笑い)、何が放送されたかは、翻訳してみたいと思っています。

 パキスタンは「親米の国」といわれます。しかし、この国の人々が心の中で何を思っているのか。印象深い懇談がいくつもありました。たとえば、私は、歓迎昼食会や晩餐会の席で、パキスタン政界で尊敬を集めているある長老の指導者と懇談しました。

 この方は、私に切々と、つぎのように語りかけてきました。

 「アメリカは国際法を一切尊重していません。彼らのいう国際社会とは、自分自身と自分を支持する英国などの諸国だけです。イラクは将来のテロリストの基地となっています。アメリカはイスラエルへの無分別な支持をやめなければなりません。アメリカは、アフガニスタンからソ連が撤退した後、その責任を果たさず、自分たちで始末をつけろといわんばかりに撤退してしまいました。それがアフガニスタン、パキスタン、地域全体を苦しめています。アメリカこそ、テロ国家といわなければなりません」。

 私が、「私たちの見解と近いです」とのべると、にっこり笑って握手となる、そういうやりとりもありました。

 帰国してみますと、私たちが訪問した同じ時期、九月二十一日に、国連総会に出席したパキスタンのムシャラフ大統領が、アメリカのCBSテレビのインタビューに答えて、9・11同時多発テロのあと、パキスタンが米国の対テロ戦争、すなわちアフガニスタンへの報復戦争に協力しなければ、米国はパキスタンを爆撃すると脅されていたと語ったことが報じられました。ムシャラフ大統領によると、この脅迫は、アーミテージ国務副長官(当時)によっておこなわれ、パキスタン政府の情報局長に伝えられたとのことでした。アーミテージ氏はこういったといいます。「爆撃されるのを覚悟しろ。石器時代に戻る覚悟をしておけ」。ムシャラフ大統領は、それは侮辱であり、「きわめて無礼な言葉である」と語ったと報じられました。同時に、大統領が「人は自分の国の利益に従って考え、行動しなければならない。そして、私はそうした」と語ったともCBSテレビは報じました。

 これらには共通して、アメリカの覇権主義へのきびしい批判があります。アメリカは、ソ連がアフガニスタンを侵略すると、それに対抗させるためにウサマ・ビンラディンなどのテロリストを支援・養成した。ところがソ連が撤退すると、この地を見捨てた。9・11テロが起こると「石器時代に戻してやる」と脅迫して、アフガン報復戦争への協力を無理やり迫りました。さらに無法なイラク戦争を引き起こして、テロリストを増殖させた――という批判です。パキスタンは、その甚大な被害に耐えながら、テロ根絶のためにたたかっています。しかし、アメリカはそれを理解せず、「まだ足らない」と圧力をかけてくる。この超大国の横暴勝手への怒りが、さまざまな懇談で伝わってきます。言葉にこそ出しませんでしたが、それに追随する諸国の政府への不信も感じられました。

 パキスタンは、周辺諸国との関係でも難しい問題を抱えています。インドとの緊張関係は、ようやく和解の方向がほのみえてきたものの、依然としてきびしいものがあります。隣国のアフガニスタンでは、タリバン勢力が復活し、一部の国からその責任がパキスタンにあるかのような非難がされています。アメリカは圧力をかけてきます。そのもとで私は、パキスタンなりに懸命に国づくりにとりくんでいると思います。それを理解してほしいという気持ちがたいへん強いのであります。

 パキスタン政府が、わが党訪問団を「ステート・ゲスト」として歓迎してくれたのは、わが党の自主独立の立場などへの共感もありますが、わが党が、パキスタンの置かれた立場への理解者であるということへの信頼もあったのでないかと、私は思います。

 もちろん、わが党は、どの国であれ、その国の内政・外交を無条件で支持するような自主性のない立場はとりません。パキスタン政府のとっている個々の政策について、とくに内政問題については、それを支持したり、あれこれ批判したりということは、私たちはしません。

 その国には、その国なりの独自の社会発展のプロセスというものがあります。自分の勝手な価値観を押しつけてはなりません。自分の勝手な尺度で、ある国を裁断してはなりません。私たちは、その国の内的発展のプロセスを理解することが、何よりも大切だと考えています。日本共産党は、どの国に接するさいにもこの姿勢を堅持してきました。その姿勢をパキスタン政府も評価したのだと、私は考えています。

 日本共産党は野党であって、権力を持っていません。財力もありません。持っているのは、わが党の綱領路線がしめす「道理にたった外交」の力しかありません。しかし、二十一世紀の世界では、力の外交ではなく、お金にものをいわせる外交でもなく、「道理にたった外交」こそ必要とされていると思います(拍手)。私は、一連の交流を通じて、このことを痛感し、今度の訪問の意義は大きなものがあるとの確信を深めました。

会談での政治的内容の特徴について

 つぎに一連の会談の政治的内容の特徴について報告いたします。一連の政治会談は、どれも充実した印象深いものでしたが、三つの点にしぼって紹介したいと思います。

アジズ首相との会談――世界の平和秩序、テロ根絶の方途、核兵器廃絶で一致

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(写真)会談と昼食会を終えスムロ上院議長(右)と握手する志位和夫委員長(左)=19日、イスラマバード

 第一は、九月十八日のアジズ首相との会談で、世界平和の基本にかかわる重要な問題での意見の一致が確認できたということであります。

 アジズ首相とは三回目の会談です。四年前にイスラマバードで初めて会談したさいに、アジズさんが、「私は、日本共産党を研究しました」と言ったことは、私の記憶に鮮明に焼きついています。相手もよく日本共産党の基本路線を知っています。だから私は、こちらも相手をよく研究しなければと考え、日本で取り寄せられるかぎりのアジズ首相の演説や論文などを読みました。そうしますと、よく一致する点、まだ一致がないと思われる点などが見えてきます。そのうえで、私たちは、会談で、世界政治の三つの基本問題についての意見交換をおこないました。

 第一の主題は、国連憲章を中心とした平和の国際秩序をつくることが重要だということ、とくに東南アジアでのASEAN、ユーラシア大陸を縦断する上海協力機構(SCO)など、平和の地域共同体をつくる動きが大切だということであります。これは、私が、アジア政党国際会議で発言した主題でもあります。この点では、アジズ首相と私の意見はまったく一致したと思います。

 アジズ首相は、私の意見に同意し、パキスタンは、南アジア地域協力連合(SAARC)、上海協力機構、中央アジアと中東が参加する経済協力機構(ECO)なども重視している、多国間主義を重視しているという立場を説明しました。

 私は、北東アジアでは六カ国協議の枠組みが大切であること、これを成功させて朝鮮半島の非核化を達成し、平和のための共同の機構に発展させることが大事だと考える日本共産党の立場を説明しました。

 アジアを大きくみてみますと、東南アジアのASEAN、ユーラシア大陸を縦断する上海協力機構(SCO)などで平和の共同体の流れが前進するもとで、紛争問題をかかえている不安定な地域は、北東アジア、南アジア、この二つの地域となっていると思います。ですから、この二つの地域の平和と安定がたしかなものになれば、文字どおり面をなす形で、アジアに平和の共同体が広がることになります。私は、それをめざして、それぞれの地域で、お互いがそれぞれの立場で努力し、アジアの平和のために力を合わせようということを話し、この点でまず一致しました。

 第二の主題は、テロ根絶の方途の問題です。パキスタンは、この問題でたいへんな苦労をしている国です。とくにこのところ米国による無法なイラク戦争がいよいよ破たんし、イラクは内戦寸前の状態に陥っています。アフガニスタンではタリバン勢力が復活してきています。そういうなかでパキスタンはテロとのたたかいの文字どおりの「最前線」に立たされています。パキスタンが、この問題で直面している課題はきわめて複雑です。ですから私は、現地の実情を知りうる立場にないわが党が、パキスタン政府がとっている個々の措置にたいして、あれこれと注文をつけたり、また支持したりすることは、適切なことではないと考えました。

 そこで私は、テロ問題については、テロ根絶のための原則的な立場について話し合おうと考えました。私は、日本共産党はテロ根絶のために、つぎの三つの原則が大切だと考えていると、アジズ首相に話しました。

 一つは、テロが生まれる根源を除去することです。すなわち貧困をなくし、地域紛争を平和的に解決することが必要だということです。

 二つ目は、テロを特定の宗教や文明と結び付けてはならないということです。テロとのたたかいを「イデオロギー闘争」と特徴づけた議論があります。しかし、テロとのたたかいは、特定の思想や価値観と呼べるものとのたたかいではなく、犯罪とのたたかいです。

 三つ目は、テロ根絶の方法は、国連中心に、国連憲章、国際法、国際人道法、基本的人権と両立する方法でおこなわれなければならないということです。そうでなければテロリストを喜ばせるだけのことになります。それはイラク戦争で証明されました。

 このことを私は、まとまってまず話しました。そうしますとアジズ首相は、私の言葉の一つひとつに、「まったくそのとおり」、「正しいことです」と言葉をはさみ、私が、話し終わりますと、「いまのべられた点は、たいへん重要な点です」として、つぎのように続けました。

 「テロの背後には、社会的疎外と結びついた根本的原因があります。それはきわめて重大で、民主主義や議会制度の破たんもあるし、紛争や人権、希望の喪失など、さまざまな形態があります。イラク、アフガニスタン、パレスチナなどで人々は世界から取り残され、見捨てられていると感じています。イスラムの思想は平和と調和です。イスラムはテロとは関係ありません。イスラムは平和の宗教です」。

 私は、この問題に関連して、「いま一番の問題はイラクです。パキスタン政府は、イラク戦争に反対し、軍隊を一兵も送りませんでした。困難な中で反対を貫いたパキスタン政府の態度を私はたたえたいと思います。いまイラクは内戦の瀬戸際にあります。期限を切った外国軍の撤退が必要です」、こうのべました。そうしますとアジズ首相は、「そのとおりです。米国はイラクからの出口戦略を持っていません」と応じました。世界にテロを拡散する根源となっているイラクに居座る米軍の撤退を求めることでも意見が一致したことも、たいへん重要なことだったと考えるものであります。(拍手

 第三の主題は、核兵器問題です。パキスタンは核兵器保有国です。パキスタン政府は、「インドへの対抗」をその理由としています。この問題では、会談のなかで、アジズ首相のほうからパキスタンが核兵器を持つにいたった経過の説明がありました。そこで私は、この問題での私たちの立場と要請を、正面からつぎのようにのべました。

 「私は、唯一の被爆国の政党の代表として率直に要請します。パキスタンがどういう論理で核兵器保有にいたったかについては認識しています。また私は、パキスタンに一方的に核兵器を放棄せよと求めているわけでもありません。それは非現実的でしょう。私が求めているのは、地球的規模での核兵器廃絶にむけて、核保有国として、また核保有国だからこそできるイニシアチブを、パキスタン政府が発揮してほしいということです。首相は、昨年、来日されたさい、長崎に原爆が投下された八月九日に演説し、被爆者への祈りをささげ、核兵器のない世界への誓いをのべられました。それは日本国民の心に響くものでした。パキスタンが、核兵器廃絶へのイニシアチブを発揮すれば、日本国民の信頼を高めることになるでしょう」。

 この問題では、両者にやりとりがありましたが、アジズ首相は、じっと私の話に耳を傾け、最後に、「わかりました。私はそうするでしょう。核兵器に対する日本国民の特別な感情は理解します」と答えました。

 パキスタン政府にとって、地球的規模の核兵器廃絶は、理屈ではわかっても、インドとの関係もあり難しい問題です。しかし、私たちも被爆国の政党として、この国に来たら、いわないで帰るわけにはいかない問題でした。アジズ首相は、私の提起を理解し、積極的な回答をしてくれました。

 会談の最後に、私は、「この会談で、世界とアジアの平和秩序、テロ根絶のとりくみ、地球規模での核兵器廃絶の三点で、意見の大きな一致ができたと思います」とのべますと、アジズ首相は、「われわれは、たいへんよく似た見解をもっています。志位委員長のパキスタン訪問に感謝します」と応じました。私は、「パキスタン外交の理性と世界的視野を認識しました。招待に感謝します」とのべ、五十分におよんだ会談は終わりました。

 つぎの日に、スムロ上院議長に会いますと、「アジズ首相から昨日の話を詳しく聞きました。たいへん楽しかったといっていました。会談も内容の濃いものだったと聞きました」といっていました。首相との会談に同席していたサイド上院外交委員長からも、「昨日の会談は、主題がはっきりしていて、内実があるものでした。首相は、会談を楽しんでいました」との感想を聞きました。

 アジズ首相と私との会談は、一言でいって相互理解の会談だったと思います。私はパキスタンの立場を理解しようと努め、研究してのぞみました。アジズ首相も、日本共産党を研究し、核兵器問題というパキスタンにとって難しい問題で、私の主張を理解してくれました。その両者の立場が共鳴しあった会談となりました。そのことを報告しておきたいと思います。(拍手

日本共産党の自主独立の立場への評価

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(写真)腕時計を自慢するサイド上院外交委員長=19日、イスラマバード

 第二は、日本共産党の自主独立の立場への共感が、両者の相互理解の根底にあるということが、一連の会談で強く感じられたということです。

 スムロ上院議長との会談は、実に楽しい会談となりました。私は、スムロ議長とは初対面なので、例によって日本共産党の自己紹介のリーフレットをお渡ししようと思いましたら、スムロ議長は、つぎのようにすらすらと、日本共産党の党史について語り始めました。議長がのべた通りのことを紹介します。

 「日本共産党について研究しました。一九二二年に創立されて以来、戦前の困難な時期、戦後の党内部分裂などをくぐり抜け、また二つの大きな共産党の干渉にもかかわらず、自主独立を維持してきました。チェコスロバキアとアフガニスタンへの侵略に対しても、自分の頭で考え、自らの路線を定めてきた政党だということを知っています。私は、あなたの党に最大の尊敬の念を抱いています」(拍手)。

 私は、あまりによく知っておられるので、「日本共産党についてそれほどの理解をしていただいているのは望外の喜びです。私たちは自己紹介の準備をしてきましたが、その必要はないようです」と応じると、一同爆笑となりました。

 上院外交委員長をつとめ、与党・ムスリム連盟の幹事長をつとめるサイドさんとの出会いも、強烈な印象を私たちに残しました。サイドさんは、二年前に北京で開かれたアジア政党国際会議に参加し、不破議長(当時)と会談し、両党の交流をすすめることで一致しています。今年一月にサイドさんが来日したさいには、緒方さんが会談しています。サイドさんは、私に会うなり、「私は、学生時代から共産主義運動にかかわってきました。ソ連、東欧、中国、北朝鮮を訪問して、現状を見てきました。日本共産党が、その中で自主独立の立場をとってきたこともよく知っています」と自己紹介しました。自己紹介なのか、日本共産党の紹介なのか(笑い)という話です。

 サイドさんとは、滞在中何度かお会いしましたが、何と日本共産党のマークの入った腕時計をいつもしているというのです(驚きの声)。あの「四つの旗」の赤いデザインが真ん中に入っているものです。これは緒方さんが、今年一月にサイドさんに会ったさいに、記念に渡したものですが、いつも大切につけているといいます。サイドさんは、この時計を私たちに会うなり見せるのです。そして同僚の閣僚たちにも見せて、この時計を「マルクス・ウオッチ」と呼んで、「実に正確で狂わない」(笑い)とほめてくれました。サイドさんは、アメリカ大使と会った時にもこの時計をつけていき、その説明までして(驚きの声)、相手が驚いたという話もしていました。私は、サイドさんのこの時計が、いつまでも正確に動きつづけることを願ってやみません。(笑い

 パキスタンは、一九七九年のソ連のアフガニスタン侵略で、甚大な被害を受けた国です。約十年におよぶ侵略で、アフガニスタンから大量の銃、麻薬、難民が流れ込みました。それだけにソ連の覇権主義とたたかった自主独立の党というと、それだけで信頼が生まれます。緒方さんがアフガニスタン侵略にさいして、命がけでカブールに入って侵略の証拠を突き止めたと言うと、それも大きな信頼の証しになります。

 私たちは、先輩たちが営々と築いてきたわが党の自主独立の歴史の生命力というものを、この地にきて感動をもって再発見した思いでありました。

異なる価値観をもった文明の相互理解と共存の重要性

 第三は、わが党が綱領にも明記した、異なる価値観をもった文明の相互理解と平和共存の重要性を、生きた交流を通じて実感したということであります。

 パキスタンなどイスラム社会では、「こんにちは」を、「アッサラーム・アライクム」というそうです。私もこの言葉だけは覚えました。これは直訳しますと、「あなた(がた)のうえに平和を」という意味だそうです。私は、上下両院議長などとの会談で、覚えたての「アッサラーム・アライクム」からあいさつを始めましたが、このあいさつをすると、とたんに相手の顔が明るくなります。

 スムロ上院議長との会談で、私が、「あいさつの言葉に『平和を』という言葉を使うのは、世界でも珍しいのではないでしょうか。このあいさつは、イスラムが平和を求めていることを象徴しているように思います」とのべますと、議長は「心のこもった美しい解釈に感激しました。これからはその表現を引用させてもらいたい。どうか著作権を主張しないでいただきたい」(笑い)と応じました。私は、「もちろんです」と言いましたが、そんなやりとりもありました。

 私は、スムロ議長との会談でさらに、イスラムと共産主義について、つぎのように話しました。

 「私は、イスラムの教えは、平和、寛容、平等にあると理解しています。これは共産主義の理念とも共通するものがあります。本来の共産主義はそうあるべきですが、スターリンはこれを根底からゆがめてしまいました。私たちは、それとたたかってきた政党です。この意味で、イスラムと共産主義には、ある共通の精神があると感じます。今度の訪問は、イスラム社会と、本来あるべき共産主義との新しい関係の第一歩になったように思います」。

 そうしましたら、スムロ議長は、「すばらしい表現をされました。イスラムは人権の尊重、個人の独立などを旨としていますが、なかでも平等を強力に支持しています。双方に共通性が自然に生まれたことを歓迎します。最終的に問題となるのは、人間性の尊重ということになります」と応じました。

 もちろん、宗教的世界観と、私たちの科学的社会主義の世界観は異なるものです。異なる価値観をもっています。しかし、イスラムが今日の世界で巨大な人々をとらえて発展しつつある背景には、この教えのもつ普遍的な価値があると思います。そしてそれは、共産主義とも響きあうものがあると思います。

 私たちは、綱領で、異なる価値観をもつ文明の相互理解と平和共存を掲げていますが、ここでいう「価値観の相互理解」のなかには、イスラムと共産主義の相互理解も含まれていると思います。それがパキスタンでの交流を通じて確認されたことは、私たちにとって新しい発見でありました。

 スムロ上院議長との会談には、サイド上院外交委員長も同席していました。十九日の夜、開かれたサイド上院外交委員長主催の歓迎晩餐会で、サイドさんは、私たちを熱烈に歓迎するスピーチの中で、日本共産党の党員数、草の根での国民との結びつきの強さなどを紹介したうえで、イスラムと共産主義についてこうのべました。

 「イスラムとマルクス主義には共通の基盤があります。『アッサラーム・アライクム』は平和と愛を意味しています。一方、マルクス主義は、肌の色、国籍、男女の違いを超えた平等を主張しています」。

 私は、晩餐会で答礼のスピーチを求められ、「アッサラーム・アライクム」というあいさつから始めて、サイドさんの歓迎の言葉に、つぎのように答えました。

 「私は、今回のパキスタン訪問の最初に、古代の遺跡タキシラを見学しました。ここでは紀元前二世紀に、ギリシャ文明と仏教文明が出会い、融合しました。異なる文明の出会いが仏像という新しい文化を生み出しました。今日においても、同じことが言えるのではないでしょうか。文明の衝突でなく、異なる文明の相互理解と共存を通じて、平和な二十一世紀をつくるために貢献したいと思います。今回の訪問による共産主義とイスラムとの出会いが、新しい世界への第一歩になることを願っています」。

二つの訪問を終わって――共通して感じた三つの点

 以上が、韓国とパキスタン訪問の概略の報告です。

 二つの訪問を終わり、こうして報告をまとめながら、双方の訪問で共通して重要だと感じたことが三点ほどあります。

 第一は、日本共産党の歴史と綱領のもつ生命力です。韓国での交流で、私たちへの信頼の最大の根拠となったのは、侵略戦争と植民地支配に命がけで反対してたたかい抜いたという動かせない歴史でした。パキスタンとの交流で、心が通い合う土台となったのは、いかなる大国の覇権主義にも屈しない自主独立の立場でありました。さらに、アジズ首相との会談で一致点となった国連憲章にもとづく平和秩序、テロ根絶の方途、核兵器廃絶は、綱領に明記されているわが党の外交政策の中心点です。異なる価値観をもつ文明の相互理解と平和共存も、新しい綱領に明記された命題ですが、これが遠くパキスタンで、このような形で生命力を発揮するとは、私たちにとっても驚きでした。わが党の歴史と綱領は、世界のどこにでも通用する、このことに確信をもってすすみたいと思います。(拍手

 第二は、ほんとうの外交とは何かということを、私たちは考えながら旅をしました。ほんとうの外交とは、お互いの立場に心を寄せ、理解しあうことだと、私たちは学びました。日本国民が韓国国民とほんとうの友人になろうとすれば、過去の歴史について理解しあうことが必要です。また韓国国民が民族の平和的統一への強い願いを持っていることを理解することが必要です。日本とパキスタンがほんとうの友人になるためには、パキスタンが置かれた困難な状況、イスラム社会についての理解が必要です。もちろん、すべての点での相互理解は、一挙には困難でしょう。しかし、相手を理解しようと努める姿勢を貫くことが、相手の信頼を生み出し、相手もこちらを理解してくれる。この響きあいがほんとうの外交ではないでしょうか。

 私は訪問を通じ、現在の日本外交には、この点が決定的に欠けているように思います。お金をばらまくことはやっても、相手の国の困難や複雑な状況に、ほとんど関心をもたず、その国の国民の思いを理解しようともしません。そういう中で、相手を深く理解しようとする姿勢をもつ政党が日本にあることが、相手に新鮮に響くのだと思います。私は、ここにわが党の野党外交が発展する大きな根拠があると考えるものであります。(拍手

 第三は、世界は変わりつつあるということです。今回訪問した韓国とパキスタンは、アジアの東と西で「親米国家」とみなされている国であります。二つの国とも、アメリカが戦争をすすめるための拠点にしようとしている国であります。そういう二つの国を訪問し、どちらの国でも、日本共産党が先方との間で、政治的内容の濃密な一致点を確認し、心通う交流がつくられます。ここには、わが党の綱領路線の生命力とともに、世界が変わりつつあることがしめされているのではないでしょうか。

 私たちは、韓国では、民衆のたたかいによって民主主義をかちとってきたたくましいエネルギーを感じました。パキスタンでは、複雑で困難な条件のもとで、自主性と誇りをもって国づくりを前進させようという気概を感じました。世界は変わりつつあります。この流れに確信を持って、日本の政治を変えるために、私たちの綱領路線の実現――直面する民主的改革の事業を前進させるために力を尽くしたい、私は、この決意を新たにするものであります。(拍手

 韓国でも、パキスタンでも、わが党の紹介をすると、共通して驚きをもって評価されたのが、わが党の持つ草の根の力――四十万人の党員、二万四千の党支部、三千四百人の地方議員のみなさんが頑張っていること、百六十万人の「しんぶん赤旗」読者を持っていることでした。このことは、最後にとりわけ強調したいことであります。私たちは、二つの旅を通じて、わが党が、草の根の力に支えられていることの素晴らしさをあらためて痛感し、この力を大きくすることの重要性を心に刻んで帰ってまいりました。

 私たちの訪問を支えてくださった内外のすべての人々への心からの感謝を申し上げ、報告を終えたいと思います。ご清聴ありがとうございました。(拍手


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