2006年6月8日(木)「しんぶん赤旗」

主張

ドミニカ移民訴訟

国は「棄(す)てた」人につぐなえ


 「戦後最悪の移民事業」といわれるドミニカ日本人移民の国家賠償請求訴訟で、東京地裁は七日、「時の壁」を理由に移民側の請求を棄却する判決を言い渡しました。

 判決は不当なものですが、国側が否定し続けた政府の責任を厳しく指摘しました。「国の棄民で失われたかけがえのない人生を返せ」という移民の訴えを重く受けとめ、政府は謝罪し、補償に踏み出すべきです。

「生き地獄」を生き抜いて

 ドミニカ移民は戦後の一九五六年から五九年にかけ、中米カリブ海のドミニカ共和国に農業移民として渡った人たちです。

 「カリブ海の楽園」をうたった国の宣伝に応じた移民は三年間で二百五十家族千三百人。国は「肥沃(ひよく)で広大な農地の無料譲渡」を約束し、全国から希望者が殺到しました。しかし、ドミニカの現実は「生き地獄」ともいわれる過酷なものでした。

 配分された土地は政府の約束の三百タレア(十八ヘクタール)の半分もなく、地権も認められませんでした。「岩の間にわずかに土があった」という荒れ地、一面を塩が覆う砂漠。飲料水にさえ事欠く水不足、灌漑(かんがい)施設もなく、耕作は不可能でした。軍事独裁政権のもとで行動の自由も奪われました。入植地は隣国ハイチとの国境地帯に並び、日本人移民は「国境地帯のドミニカ化」の役割を担わされました。

 数年のうちに、移民の半数は集団帰国や他の南米諸国に転じ、ドミニカを去らざるをえませんでした。「約束」の履行を迫る残留者にたいして、政府は誠意ある態度をとらず、自力ではい上がることを求めるだけでした。絶望し、自殺する人も多数あったといいます。

 当時の日本は七百万人もの引き揚げ者(復員軍人を含む)で失業・人口問題をかかえ、政府は積極的に移民政策をとりました。ドミニカ移民も「国策」として行われたものです。

 しかし、もともと農業移民を受け入れるほどの土地を持たないドミニカへの移民は、十分な現地調査もせずにすすめた無謀なものでした。政府は募集条件の説明で、重要な事実を隠し、偽りました。移民たちは徹底して「だまされた」のです。

 判決はこの事実をあげて、「国は農業に適した土地を備えた移住先確保に配慮を尽くしておらず、国家賠償法上、違法の評価を免れない」と国の責任を明確に認めました。政府のこれまでの言い逃れが通用しないことがはっきりしました。

 訴えを退けたのは二十年間の除斥期間が経過して賠償請求権が消えたというだけの理由です。それでも「原告らが、ドミニカ移住により物心両面にわたって幾多の苦労を重ねてきたことが十分に認められる」とのべた判決は、国の違法行為の被害者である移民への対策を促すものです。

自国民をだまし、苦しめ

 「自国民をだまし、苦しめ、殺し、棄てるのが祖国なのでしょうか」―判決を受けての原告の言葉です。

 小泉首相はすでに国会で、ドミニカ移民問題について「過去のこととはいえ、外務省として多々反省すべきことがあった。このような不手際を認め、移住者にしかるべき対応を考えたい」と答えています(〇四年三月十日、参院予算委)。この首相の言葉の重みが問われています。

 ドミニカ移民への政府の仕打ちは、日本国憲法がかかげる「基本的人権の尊重」を幾重にも侵したものであったことはいまや明らかです。政府はその被害をつぐなう道を真剣に考えるべきです。


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