2006年5月27日(土)「しんぶん赤旗」

A級戦犯合祀の経緯は?


 〈問い〉 靖国神社にA級戦犯はどういう経緯で合祀(ごうし)となったのですか?(青森・一読者)

 〈答え〉 靖国神社でのA級戦犯の合祀は、1966年に厚生省が祭神名票対象者に書き加えて靖国神社に送り、1970(昭和45)年に靖国神社崇敬者総代会(遺族会、宮内庁関係者、財界人や反動的学者などで構成)で決められましたが、当時の筑波藤麿宮司が天皇参拝の障害となりかねないことを懸念して、宮司預かりとなっていました。

 1978年3月20日に筑波宮司が死去し、松平永芳氏(故人)が第5代宮司となりました。松平宮司は海軍少佐から戦後は自衛隊一等陸佐で定年退職した人物で、神職出身ではありませんでした。松平氏を靖国神社宮司に推挙し、説得したのは「英霊にこたえる会」会長の石田和外元最高裁長官でした。

 松平氏が宮司となった78年の10月17日(秋季例大祭前日)、A級戦犯の刑死7人と獄死7人の14人が秘密裏に合祀され、これを朝日新聞が翌79年4月19日付でスクープしました。

 靖国神社の祭神は戦前、「現人神(あらひとがみ)」の天皇の裁可で決められましたが、戦後、連合国軍総司令部(GHQ)の国家神道廃止を命じた神道指令発令直前の1945年11月、祭神を名簿化しないで臨時大招魂祭をおこないました。その後、陸海軍省の事務を引き継いだ厚生省引揚援護局(現厚労省社会・援護局)が、靖国神社の依頼にもとづき、判明した戦没者身分等調査票を神社側に提供して、祭神名票が作成されてきました。

 1952年4月28日に公布されたサンフランシスコ条約による「独立」の2日後には戦傷病者戦没者遺族等援護法が制定され、改正恩給法を根拠とした支給対象に戦犯も含まれることになりました。この対象者が祭神名票のもとになっています。ただし、靖国神社は、敵前逃亡や自殺などを除く、としています。靖国神社は1959年にB・C戦犯刑死獄死者を合祀し、最後にA級戦犯を「昭和殉難者」と呼称して合祀したのです。(平)

〔2006・5・27(土)〕


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