2005年12月27日(火)「しんぶん赤旗」

“夢かなった”満面の笑み

新日鉄広畑争議 勝利和解

家族・仲間・共産党のきずなが力に


 新日鉄が日本共産党員への差別をやめ、従業員を公平、公正に処遇すると約束した新日鉄広畑争議。半世紀近くにもおよぶたたかいとなった原告たちの胸の内は…。(兵庫県・塩見ちひろ)


写真

(写真)勝利報告集会で乾杯する原告と弁護団=26日、大阪弁護士会館

■原告の加藤雅巳さんの思い

 「世界の新日鉄を負かすのは夢のまた夢。それが今日、かないました」――勝利和解が成立した二十六日、原告の加藤雅巳さん(64)に、満面の笑みがこぼれます。

 加藤さんは十八歳で新日鉄に入社しました。以来、クレーンの運転士、検査工、オペレーターとまったく異なる職種を経験しますが、人一倍の努力で、高度な技術と専門知識を身につけ、一目置かれる存在になります。

■スパイを強要

 ところが、加藤さんが民青同盟と日本共産党に入った途端、差別が始まりました。賃金は、同期同学歴との差は年二百万円にものぼります。

 一九七〇年からは、足かけ三年にわたり、会社の保安課からスパイを強要されました。会社は、尾行や待ち伏せをくり返し、「将来がどうなってもええんか」と脅迫し、「奥さんの実家は専業農家やろ」と攻撃の矛先は家族にもおよびました。

 しかし加藤さんは節を曲げません。「自分への攻撃とたたかえないで、世の中をよくするためにはたたかえない」

 これらの事実を職場の日本共産党員たちがビラにして門前で配り、果敢に立ち向かいました。

 九二年、会社は加藤さんを“隔離職場”の「第四クラフト」へ強制配転します。そこで待っていたのは、過酷な塗装の仕事と卑劣な日本共産党員への人権侵害でした。

 「“隔離職場”に配転することで、長年培ってきた仕事の技術も、働くものの尊厳もふみにじられました。まるでおりのない牢獄(ろうごく)でした」

 労働組合に救済を訴えましたが、取り合ってくれません。「このままでは広畑の労働運動が失速してしまう」。加藤さんは翌九三年、強制配転の是正を求めて、兵庫県地方労働委員会に救済を申し立てました。

■実態次々告発

 「無謀や」「勝てるわけがない」と周囲の声。しかし加藤さんは新日鉄の人権侵害の実態を次々告発し、ついに会社は九七年、名目上、“隔離職場”を解体しました。

 地労委への申し立てのさい、加藤家では家族会議が開かれました。

 娘は「そんなことしたら、表を歩かれへん」と猛反対。決め手は、「僕がその立場やったら、やるかもしれへんな」という息子の一言でした。「うれしかったですね。家族の応援がなければ、裁判はできなかったな」とほおをゆるめます。

 「右も左もわからない」状態から始まった争議を勝利へ導いたのは、関西電力など長期争議の経験を学び、新日鉄の全九事業所の結束したたたかい、そして全国からの草の根の支援でした。

 「人間は弱いものです。でも、仲間、家族、日本共産党という強いきずなが最後までたたかい抜く力を与えてくれました。これからは争議で勝ち取った財産を生かして、いただいた支援を少しでも返していきたい」


■勝利した主な思想差別争議

1988年3月 党京浜製鉄委員会と34人が日本鋼管(現JFEスチール)と横浜地裁で和解。15年ぶり。

1995年12月 東京電力で働く1都5県の労働者165人が東京高裁で和解。19年ぶり。

1997年11月 中部電力の128人が名古屋高裁で和解。90人の原告とともに非原告も対象。22年ぶり。

1999年12月 関西電力人権裁判4人(95年最高裁で勝利)を含む101人が大阪地裁で和解。28年ぶり。

2004年3月 石川島播磨重工業の8人が東京地裁で和解。会社は約40年続けてきた思想差別を謝罪。

2005年4月 クラボウで働く2人が和解。二十数年ぶり。03年5月大阪地裁で勝利、大阪労働局が会社・役員宅を捜査、05年2月に書類送検。

2005年12月 新日鉄広畑製鉄の5人が大阪高裁で和解。四十数年ぶり。


■21世紀に思想差別通用せず

■解説

 二十六日に和解した新日鉄広畑争議は一九六〇年代以降、半世紀近く続いた日本共産党員や支持者を“企業破壊者”と敵視する反共労務政策が完全に破たんし、崩れ去ったことを意味します。

 日本の大企業の多くは「職場に憲法は通用しない」といって、日本共産党員への迫害や差別をてこに労働者支配をすすめてきました。

■マニュアルで党員リスト作成

 新日鉄は「厚生施設管理マニュアル」と題した極秘文書を作成し、日本共産党員や支持者とみなした者をリストアップ。「思想偏向者の把握」「特定新聞」「思想偏向者対策」「活動家の転向指導」などの項目で自治会や組合役員選挙、各種サークルでの活動、「しんぶん赤旗」などの購読について把握し、変節させるやり方まで記述しています。

 広畑の職場でも、上司が「党員をやめろ」とマニュアル通りに変節を強要。職場の野球チームから退部するよう勧告したり、仕事に必要なクレーンやフォークリフトの免許を取らせないなどの人権侵害がまかり通っていました。がんで医師から就業制限を受けて入退院をくり返していた党員に夏の炎天下に草むしりを命令。この人が亡くなると、工場長や職制を除いて、党員や支持者以外の同僚は誰一人として通夜も葬儀も参列しないという異常な事態でした。

 新日鉄は、円高不況を口実に八七年から大量の人減らし「合理化」を推進し、五次にわたるリストラで四万人を削減。広畑製鉄所では、労働者の半数以上、三千人強の人員を削減しました。労資協調を方針とする組合幹部を育成し、労働組合(鉄鋼労連加盟=当時)はことごとく「合理化」に賛成してきました。

 これに対し、日本共産党員たちは、会社の横暴勝手な「合理化」に反対し、雇用と地域経済を守れと訴えてきました。

■“隔離職場”でつづけた監視

 運動の広がりを恐れた新日鉄が設置したのが、“隔離職場”でした。

 八九年、製鉄所内の塗装や解体、製缶の仕事をするクラフトセンターに「第四クラフト」をつくり、共産党員たちを生産ラインからはずして、押し込めました。「第四クラフト」は、他のクラフトから詰め所も作業場も離れ、徹底した差別と監視を続けました。

 思想差別は、大企業職場で要求実現の先頭に立つ日本共産党員たちを排除し、労働者の団結を破壊して、自由にものがいえない職場をつくり、労働者全体の支配を強めるのがねらいです。

 昨年三月の神戸地裁判決は、新日鉄が共産党員の隔離を目的とし、系統的な反共労務政策をとってきた事実を認め、「共産党員であることを理由とする差別的な取り扱い」だと断じました。

 大阪高裁も、新日鉄が今後、思想信条を理由とする差別的処遇をしないよう憲法、法律、基本的人権を順守し、すべての従業員を公平、公正に処遇せよと勧告しました。

 新日鉄の職場はいま、極限までの人減らしによって重大災害・事故が続発し、大きな社会問題になっています。原告らが昨年六月に実施した「全国総行動」では、製鉄所を抱える、ある連合の地域組織幹部も勝利判決を喜び、激励しました。

■反共主義消滅が世界的な流れに

 世界をみても、国際労連(WCL)との統合を来年、予定している反共・労資協調主義を基本路線にしてきた国際自由労連(ICFTU)が、現行規約に明記している反共主義を意味する「あらゆる全体主義に反対」するという規定を削除。統合後の新国際労働組織の「基本原則」から、反共主義が消滅することになります。これは、労働組合が統一と団結をめざすのであれば、反共主義が原則となりえないことを示しています。

 自民党と民主党が競い合って改憲の動きを強めるもとで、思想差別をやめさせるたたかいは、国民の基本的人権と思想・良心の自由、法の下の平等、個人の尊厳を保障した憲法と労働基準法に依拠すれば勝利することを改めて証明しました。

 “前世紀の遺物”ともいうべき野蛮な思想差別の根絶と人間らしく働くためのルールを職場に確立するためにも、憲法を守るたたかいがますます重要となっています。(名越正治)


もどる
日本共産党ホーム「しんぶん赤旗」ご利用にあたって
(c)日本共産党中央委員会
151-8586 東京都渋谷区千駄ヶ谷4-26-7 TEL 03-3403-6111  FAX 03-5474-8358 Mail info@jcp.or.jp