2005年8月12日(金)「しんぶん赤旗」
きょう日航機事故から20年
御巣鷹山 遺族ら犠牲者を追悼
群馬県上野村の「御巣鷹の尾根」に、乗員・乗客五百二十四人を乗せた日航ジャンボ機123便が墜落してから十二日で二十年を迎えました。前日の十一日は、夕方から遺族らでつくる「8・12連絡会」などが主催する「灯ろう流し」が上野村役場前の神流(かんな)川で行われ、犠牲者を悼み祈りました。
航空各社の相次ぐトラブルやJR尼崎線の脱線事故など、公共交通の安全が問われています。この日、遺族や航空関係者らが「慰霊の園」を訪れ、五百二十人の犠牲者を追悼していました。
娘の尋文(ひろみ)さん=当時二十四歳=を事故で亡くした河瀬周治郎さん(71)は、大阪から毎年、妻と追悼登山に訪れています。「さびしさと娘への思いがだんだん強くなっていく。二十年前も今も何も変わっていません。一年でも長くお参りできるよう元気でいたい」と語っていました。
遺族の悲しみ、心の傷は二十年の歳月を経ても癒やされることはありません。遺族らは十二日早朝から、犠牲者の追悼と空の安全を願って、墜落現場となった御巣鷹の尾根をめざします。
■神流川で灯ろう流し
■墜落時刻に全員黙とう
五百二十人の命が失われた一九八五年八月十二日の日航ジャンボ機墜落事故の犠牲者を追悼し、空の安全を願う「灯ろう流し」が十一日、群馬県上野村役場前の神流(かんな)川で行われました。「8・12連絡会」などの主催。二百人近い遺族と事故の関係者が参加しました。
墜落時刻の午後六時五十六分には、全員で黙とう。高崎アコーディオンサークルの人たちが追悼演奏する中、遺族や関係者はそれぞれの思いを綴(つづ)った灯ろうをゆっくりと川面に流し、犠牲者のめい福を祈りました。
東京・八王子市の山崎徹さん(58)は、兄の章(あきら)さん(当時四十七歳)を亡くしました。「何年たってもさみしいし、悔しい。こんな事故は二度と繰り返してほしくない。空の安全をしっかり守ってほしい」と話していました。
夫と息子の三人で灯ろうを流した川崎市の内野理佐子さん(45)は、父親の南慎二郎さん=当時五十四歳=を亡くしました。「この二十年間、夢中で過ごしてきました。とにかく元気に頑張ることが、父への一番の供養になると思っています」と語り、流れていく灯ろうをじっと見ていました。