2005年8月6日(土)「しんぶん赤旗」

原爆の人体実験とは?


 〈問い〉 原爆開発をめぐって人体実験がされたということですが、どんな「実験」だったのですか?(滋賀・一読者)

 〈答え〉 “米政府の指示で、1945年〜47年、大学研究者が18人の市民にプルトニウムを秘密裏に注射していた”

 1993年、米国ニューメキシコ州で、女性記者アイリーン・ウェルサムが書いた連載は、大きな反響を巻き起こしました。被験者となった人々の名前まで突き止めた最初の報道でした。これを機に、同様の実験があちこちで行われていたことが次々に明るみに出て、ついに94年1月、クリントン米大統領は「放射線被曝実験諮問委員会」を設け、翌95年10月925ページに及ぶ最終報告書をまとめます。

 報告書によると、44年〜74年にかけて、米政府は約4千件にもおよぶ放射線被曝実験のスポンサーになり、被験者から同意を得ないで人体実験をすすめていました。内容は、病院患者へのプルトニウム注射、精神障害児へのラジオアイソトープの投与、囚人を使った睾丸(こうがん)放射線照射、兵士による核戦争被害の実験、ウラン坑夫の被(ひ)曝(ばく)体験調査、マーシャル人の被曝体験調査・実験、シンシナティ大学でのがん患者88人におこなった全身放射線照射実験、放射線散布実験など多岐にわたりました。人体実験の材料にされたのは抵抗のできない社会的弱者でした。

 この詳細は、河井智康著『原爆開発における人体実験の実相』(新日本出版社)で分析されています。河井氏はその中で、これが明るみにでた背景には多くの被害者と世論の批判があったこと、しかし同時に諮問委員会の上に米国防長官などの顧問グループがあり、政府関係者に不利なものは隠されたと推察できること、最大の人体実験でもあった「広島」「長崎」の項目はないことなどをあげています。

 94年来日した元米海軍兵士A・ガリスコ氏(当時、25万人の被曝米兵の被害者の会会長)は、54年のビキニ環礁での核実験のさい、「海上には大小の艦船約百隻が爆発地点を囲むようにおかれ、何隻かの艦船には、羊、犬、猫、ネズミなどが積まれていた。それに人間も。私たちも実験材料にされた」と語りました。人体実験は、アメリカだけでなく、旧ソ連でもおこなわれ、イギリスでも50〜60年代にオーストラリアの核実験場でおこなっていました。(喜)

 〔2005・8・6(土)〕


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