2005年7月21日(木)「しんぶん赤旗」

シンガポールの「血債の塔」とは?


〈問い〉 シンガポールにある「血債の塔」とは、どんな塔ですか? (愛知・一読者)

〈答え〉 シンガポールの戦争記念公園内にそびえ立つ四本の柱からなるクリーム色の「日本占領時期死難人民記念碑」は「血債の塔」といわれます。血債とは、中国語で「人民を殺害した罪、血の負債」という意味です。

 1941年12月8日、日本軍は真珠湾攻撃の数時間前からマレー半島への上陸作戦と並行してシンガポールを空爆し、翌42年2月15日にシンガポールを占領。直後に山下奉文司令官名の「布告」をだし、中国系住民を指定地へ集合させました。日本軍は「良民登録」のためと説明しましたが、実際には現場を封鎖して虐殺対象者を選別し、氏名を英語で書いた者や眼鏡をかけた者は「知識人」で「抗日」だろうといった基準で、集めた人々を、トラックで人気のない海岸などに運び、まとめて殺害しました(中島正人『謀殺の航跡―シンガポール華僑虐殺事件』など)。「華僑(中国系住民)粛清」と称したこの作戦は、マレー半島でもおこなわれ、多くの住民が虐殺されました。

 1961年12月、イーストコーストの工事現場から、白骨が続々と発掘されました。大虐殺事件の被害者でした。発掘は全島でおこなわれ、63年8月には「殺人は命で、血債は血で償え」のスローガンを掲げ、日本にたいし血債の償いを求める集会が数万人の市民を集めて開かれる事態に発展しました。

 華人の組織中華総商会は「日本占領時期死難人民遺骸善後委員会」を発足させ、67年に記念碑を完成させました。

 虐殺は5万人というのがシンガポールでは「共通の認識」です。犠牲者数をめぐっては元日本軍政当局幹部が「5千人」と著書で書いたり、日本の文部省が教科書検定で「2万人」という記述を「6千人以上」に書き換えさせたりする問題が起きたことがあります。(宮)〔2005・7・21(木)〕


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