2005年7月20日(水)「しんぶん赤旗」
テロ・戦争犠牲者 追悼の旅
長崎から広島へ
1トンの碑石と歩む
|
テロや戦争で犠牲になった人たちを追悼しようと、重さ一トンの碑石を、一カ月間にわたって被爆地・長崎から広島へ運ぶ「ストーンウオーク」が行われています。碑石に刻まれた文字は「戦争で犠牲となった名もなき市民たちのために…」。哀悼の祈りをささげ、平和を願って碑石を引く人々の思いを聞きました。(佐藤高志)
■被爆60年に
ストーンウオークは、一九九九年に米国マサチューセッツ州で始まった草の根の市民運動です。これまで米国各地や英国、アイルランドで行われ、数多くの市民と手をつないできました。
中心となっているのは、米国の平和団体「ピース・アビー」(平和のための修道の家)と、二〇〇一年のニューヨークでの9・11同時多発テロの遺族でつくる「ピースフル・トゥモローズ」(平和な明日)。
「ピース・アビー」のメンバーの一人、ドット・ウォルシュさん(63)は「重い石は一人では簡単に動かせません。大勢の人の協力が必要です。それは、平和を求める行動も同じ。さまざまな人々が手を携えてゆっくり動かすことが大切なんです」と語ります。
五回目となった今回、「どうしても被爆六十年の日本で実施したかった」というウォルシュさん。今年ニューヨークで開かれたNPT(核不拡散条約)再検討会議に多くの被爆者が駆けつけ、核兵器の廃絶を訴える姿に胸を打たれました。「暴力では何も解決しないことを日本の多くの市民と一緒に考えたい」と強調します。
■連鎖を断つ
アンドレア・ルブランさん(61)は、9・11テロで、夫のロバートさん=当時(70)=を失いました。夫が世界貿易センターに突っ込んだ航空機に乗っていたのです。
「このとき、遺族たちの中に、何かをしなくてはならないという重圧感が広がった」と言います。でも、アンドレアさんは言います。「私たちは“憎しみ”を選択しませんでした。なぜなら、不信と憎悪は、新たな暴力を生み出すだけだからです」
しかし、米国では多くの市民が報復攻撃を支持しました。「家族を失う悲しみをアフガニスタンの人々にも味わってほしくない」と、報復戦争反対を訴えるのは大きな勇気が必要でした。
そんなとき、アンドレアさんたち「ピースフル・トゥモローズ」に最初に共感の手を差しのべてくれたのが、被爆者の方々と日本の人たちだったと言います。
七日のロンドンでの同時テロの報を聞いて「ひどく心が重くなった」というアンドレアさん。「罪のない市民の命が“墓石”の重みに加わりました。どうか、復しゅうでは解決しないこと、暴力の連鎖を断ち切らなければならないことを、多くの人にわかってもらいたい」と話します。
■国籍を超え
日本では多くの人がストーンウオークをサポートしています。長崎、佐賀、福岡、山口、広島の五県で、それぞれ実行委員会が結成されました。
福岡実行委員会代表の植木智子さんは、長崎、広島の被爆の実相を海外で伝えるボランティア活動「ネバー・アゲイン・キャンペーン(NAC)」のOGです。
植木さんは、「平和を願う人々の気持ちは国籍も宗教も超えて一つになれる。一人でも多くの人に参加してもらいたい」と話します。
長崎県佐世保市の山本文代さん(61)は、夫とともに参加しました。「今では私にとって碑石は、ただの石ではありません。多くの人の平和への願いが詰まった石です」
インターネットや口コミなどで知った人たちが日替わりで参加することもあり、その輪も関西や関東まで広がっています。“報復や戦争でなく、信頼と平和を”。世界の人々が手を取り合う草の根のストーンウオークは八月四日、被爆から六十年を迎える広島市に到着します。
◇ストーンウォーク・ジャパン2005ホームページ
http://homepage2.nifty.com/tomokonet/stonewalk/