2005年4月30日(土)「しんぶん赤旗」

主張

ベトナム解放30年

アジアに広がった平和の流れ


 一九七五年四月三十日、ベトナムの解放勢力がサイゴン(現在のホーチミン市)を解放しました。南ベトナムの米かいらい政権は全面降伏、米軍ヘリが最後の米要員を乗せて逃げ出し、アメリカによるベトナム侵略戦争は完全に敗北しました。それからちょうど三十年になります。

苦難を経ての独立

 第二次世界大戦前までフランスの植民地にされていたインドシナに、日本軍が武力進駐したのは一九四〇年です。日本軍の支配にも抗して民族解放闘争を指導したホー・チ・ミン主席は四五年九月、ベトナム民主共和国の独立を宣言しました。

 しかし、フランスは独立を認めず、再び侵略してきました。ベトナムはこれを打ち破り、一九五四年のジュネーブ協定で独立を認められ、南北統一選挙を五六年に実施することもとりきめました。

 ところが、アメリカは協定を踏みにじり、南ベトナムのかいらい政権を押したて、協定の実行と独立・統一をめざす解放勢力にたいして軍事作戦を拡大しました。

 六四年には、米艦が北ベトナムに攻撃されたとウソをつき(トンキン湾事件)、「積極的報復」を実施するとして翌年早々から、大規模に北を爆撃し、全土に軍事侵攻しました。最も多い時の米軍は五十万以上で、住民の虐殺、集落の焼き払い、枯れ葉剤の投下など非道な作戦をくりかえしました。

 それでも、ベトナム人民は「独立と自由ほど尊いものはない」(ホー主席)と力を合わせ、数百万人の犠牲を払いながら、ついに独立と統一をかちとりました。

 世界各国に広がったベトナム反戦運動は、平和と独立を促進するものでした。ベトナム戦争終結により、とりわけ東南アジアでは平和と進歩の流れが大きく広がってきました。

 アメリカがタイやフィリピンをひきこんでつくった「反共」軍事同盟のSEATO(東南アジア条約機構)は十分機能せず、七七年に解散しました。アジアのこれらの国では、参戦と軍事独裁に反対する運動が盛り上がり、米軍基地撤去と民主化に決定的な力を発揮しました。アジアでアメリカと軍事同盟を結んでいるのはごく少数で、ほとんどが非同盟の国となっています。

 地域の平和、自由、中立をめざしていたASEAN(東南アジア諸国連合)は早くも七六年に、東南アジア友好協力条約を締結。後にベトナムなどを迎え入れ、敵対と分断から平和と協力、軍事同盟でなく非同盟の流れを大きくしています。

 今日、矛盾や対立があっても、話し合いによって平和的に解決し、協力関係を広げていこうとする動きが力を増しています。どんな大国の干渉も侵略も許さず、自国のことは自分たちで決めるという流れは、世界の大勢になっています。どこかの国を敵国とみなす軍事同盟を絶対視し、米国の軍事力に頼る発想は、世界の平和に逆行するものです。

戦争する国にさせない

 日本はベトナム戦争で、安保条約を拡大解釈して米軍の補給基地となり、六五年からは沖縄の米軍基地が北ベトナム爆撃の発進基地として使われました。いま自公政権は、安保条約を侵略的に大変質させ、憲法を改悪して、日本を「海外で戦争できる国」にしようと狙っています。

 この危険な企てを打ち破り、憲法の平和原則を生かして、アジアの国々、人々との平和・協力の関係を広げてゆくことこそ、戦後六十年の日本が選択すべき進路です。


もどる
日本共産党ホーム「しんぶん赤旗」ご利用にあたって
(c)日本共産党中央委員会
151-8586 東京都渋谷区千駄ヶ谷4-26-7 TEL 03-3403-6111  FAX 03-5474-8358 Mail info@jcp.or.jp