2005年3月18日(金)「しんぶん赤旗」

主張

非核「神戸方式」

核艦船の入港を止めた30年


 ちょうど三十年前の一九七五年三月十八日、神戸市議会は、「核兵器積載艦の神戸港入港拒否に関する決議」を採択しました。

 これにもとづき、神戸市長は、神戸港の管理者として、核兵器を積載していないという証明書を提出しない軍艦の入港を拒否する措置をとることになりました。原爆の恐怖を知る日本の自治体が、市民と核兵器は共存できないとの見地を鮮明にした歴史的措置です。

非核三原則の実効措置

 非核「神戸方式」が実施される前年の七四年秋、アメリカのラロック元海軍提督が、米艦船による日本への核兵器持ち込みをあきらかにしました。「核持ち込みはない」との日本政府の説明がウソであることがはっきりするなかで、自治体として可能な非核の措置が検討されました。

 神戸市の行政措置は絶大な効果を発揮しました。フランスやイタリアなどの軍艦が非核証明書を提出して入港する一方、六〇年の日米安保条約締結から決議まで四百三十二隻入港していた米艦船は、決議後は入港の申請すらやめました。核の存否をあきらかにしない政策のためです。

 非核「神戸方式」は、核兵器を「持たず、作らず、持ち込ませず」の非核三原則を実効あるものにする力をもっています。

 政府は、日米安保条約の事前協議制度が、「日本側が知らないうちに核兵器が持ち込まれたりするようなことがないようにするため」(外務省『新しい日米間の相互協力・安全保障条約』)の規定であり、米側から事前協議の申し出がないのは核持ち込みのない証拠といってきました。しかし、事前協議は一度もありません。六四年、米原潜(シードラゴン)が初めて日本に寄港し、次いで、六八年に原子力空母エンタープライズが寄港する計画が表面化しました。唯一の原爆被爆国である国民の反核世論と運動は一気につよまりました。これを抑えこむために六七年、佐藤首相が「核抑止力維持」などとともに示したのが非核三原則です。七一年十一月の沖縄返還協定採決のさいに衆院本会議で決議され、その後政府が、「国是」というまでになりました。非核三原則にもとづいて核持ち込みの協議の申し出があれば拒否すると説明しました。

 ところが、事前協議制度には国民をあざむく密約がありました。日本共産党が入手した「米陸軍参謀部資料」には、日米両政府が、六〇年一月六日に、「合衆国艦船の日本領海や港湾への立ち入り」は事前協議の対象外だと合意したことを示す文書がありました。事前協議などあるはずがありません。核兵器が持ち込まれていたことは、いまや明白です。

 神戸市が、非核「神戸方式」の実施によって非核三原則を忠実に履行し、核兵器持ち込みを拒否してきたことはきわめて重要です。

 今年は、被爆から六十年。核兵器の廃絶を求める世界的な世論と運動が高まっています。三十周年となる非核「神戸方式」が、あらためて注目を集めています。

ますます大事になる

 歴代の米政府は核使用政策をすすめてきました。とくに、ブッシュ政権は核使用の敷居を低くし、先制攻撃戦争で核兵器を使用する政策をすすめています。日本への寄港の回数が激増している米攻撃型潜水艦に核弾頭つき巡航ミサイルを再配備する方針もきめています。

 日本への核持ち込みを拒否する非核「神戸方式」はますます重要になっています。


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