2004年10月25日(月)「しんぶん赤旗」
![]() 激励 住民に様子を聞く佐藤市議(右)=24日、新潟県小千谷市 ![]() 下敷き つぶされそうな車=24日、新潟県小千谷市 ![]() 仮テント 仮テントで過ごす住民=24日、新潟県小千谷市 ![]() 配給 一軒に二枚の食パンが配給された稲荷町町内=24日、新潟県小千谷市 ![]() がけっぷち 今にも倒壊しそうながけっぷちの家=24日、新潟県小千谷市 |
新潟県中越地方を中心に起きた地震で、一番被害が大きい小千谷市では、一日たった二十四日も余震が続き、家が倒壊したり、水道、電気、ガスが使えず、住民生活にとって深刻な状況になっています。
小千谷市街では、道路があちこちで段差や割れ目、陥没ができたり、中には波をうっている状況が見られます。電柱や信号機もなぎ倒され、古い住宅は半壊したり、屋根の瓦がそっくり残ったままつぶれた家も見られます。
高台にある稲荷町周辺では、あちこちの小路で石垣や土砂が崩れ、がけっぷちにある家は傾き、半壊したり、今にも崩壊しそうな家がたくさんあります。町内の住民は集会所で一夜を明かしました。
集会所に入れないで、空き地にテントを設置したり、車の中で一夜を過ごした住民も多くいました。
ほとんどの家では家財が倒れ、二十四日も避難勧告が出たまま。
一夜明けて、朝食の支給があったのは昼近く。それも一軒に食パン二枚です。昼近くまで飲まず食わずの住民もいました。
寝たきりの妻(80)を十五年介護してきた小見山忠二さん(84)は「飯台にご飯を並べたとたんガツンという音で激しく揺れた。妻には頭だけでもベッドの下にもぐらした。近所の四人が懐中電灯をもって救助にきてくれた。テントで寒くてしようがなかったが一夜を過ごした。看護師さんもきてくれて本当に助かった」と語っていました。
看護師の女性(58)は「自分にできることを協力しようと思って介護に協力したり、負傷した人の手当てをした。皆さんがそれぞれできることをしっかりやったと思います。自分のことでは、リュックをすぐ出せるところに置いてよかった。使えるものを詰めてきて助かった」と話していました。
同町内に住む日本共産党の佐藤勝太郎市議は、自分の家も被害にあいましたが、ほとんど寝ないで地域をまわって住民の安全を確認・激励し、住民要望をそのつど市役所に出向いて伝えました。
小千谷西高校の避難所にも出向き、見舞いと激励。アパート住まいの内山満男さん(61)は「激しい地震でびっくりした。家の中はメチャクチャになった。電気のかさが落ちて頭と足を打って歩けなくなった。病院にもいけない。昨夜は眠れなかった。やっとさっき人からもらったおにぎりを半分食べた。水と食料がほしい」と訴えました。
佐藤市議は、必要なときは連絡するよう伝え、激励しました。(新潟県・村上雲雄記者)