日本共産党

2004年8月19日(木)「しんぶん赤旗」

日露戦争をどう考える?


〈問い〉 日露戦争は日本の近代化に大きな役割を果たしたという論調が流されています。日本共産党はどう考えていますか? (東京・一読者)

〈答え〉 日露戦争は、1904〜5年、日本と帝政ロシアとが中国東北部(「満州」)と朝鮮半島の支配権を争った戦争であり、双方の側からの中国・朝鮮への侵略戦争でした。

 「義和団事件」(1900年)を機に中国での軍隊駐留権を得た日本は、やはり同事件に乗じて「満州」を占領し朝鮮半島にも進出したロシアとの間で「満州」や朝鮮半島での利害をめぐって激しく対立していました。

 1904年2月8日、日本海軍が朝鮮半島仁川沖と中国・旅順港でロシア艦隊に奇襲をくわえ、同10日に宣戦を布告、ロシアとの戦争が始まりました。戦争は日本軍の優位で推移しましたが、両国とも数万の犠牲をだし、1905年9月、アメリカの調停により、ポーツマス講和条約が結ばれて終結しました。

 この結果、日本は、ロシアから朝鮮半島への独占的支配権を認められ、中国の旅順・大連の租借権と「南満州」の鉄道利権、サハリンの南半分を譲りうけ、沿海州とカムチャツカ半島の漁業権を獲得しました。また、日露戦争後は、日本資本主義の重工業化が進みました。しかし、国内では戦費の債務にくわえ、軍拡や植民地経営のため、国民に大きな負担が強いられました。他方、日露戦争と並行して、日本は1904年2月、韓国政府に日本軍への全面協力を約束させる「日韓議定書」を押しつけ、8月には日本政府が推薦する財務・外交顧問を送り込む第1次日韓協約を結ばせていました。さらに、講和条約締結後の1905年11月、韓国の外交権を奪う第2次日韓協約(保護条約)を強要しました。

 このように日本は、韓国の植民地化を着々と進め(1910年に韓国併合)、さらにアジアへの覇権を広げていきました。日露戦争を“日本の近代化に役立った”などと美化することは到底できません。(土)

 〔2004・8・19(木)〕



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