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2021年1月1日(金)

新春対談

同志社大学教授 岡野八代さん
政治は何のためにあるのかを原点から見据え、新しい政治をつくる年に

日本共産党委員長 志位和夫さん
共闘の力で、菅自公政権終わらせ、新しい政権をつくる年に

 志位和夫委員長、恒例の新春対談。今年は同志社大学教授の岡野八代さんとオンラインで対談、コロナ危機を乗り越え、新しい日本をつくろうと、縦横に語り合いました。


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 志位 明けましておめでとうございます。

 岡野 明けましておめでとうございます。

 私は、新しい年を展望するうえでも、2020年、コロナ禍で何が起こったのかということを振り返らざるをえません。その点で、引き金はコロナ・パンデミック(世界的流行)だったかもしれませんが、人災の側面というのは忘れてはいけないと思うのです。

 昨年、コロナ禍で女性の自殺者が増え、自営業の方々、医療従事者の方々が大変な苦境に立たされました。感染拡大の波は夏をすぎて、いったんは収束したかに見えましたが、菅政権ができて、第3波を迎えます。しかし、この政権は女性や医療従事者、自営業の方々を苦境におとしいれたことへの何の反省もないまま、何もしない、むしろ逆行するようなことをやる。そのなかで、医療崩壊ぎりぎりまでいく。まさに人災の側面です。

 そういう学ばない政府のもとで、常に市民の側の努力が強いられました。市民の方が頑張って、皮肉ですけれども「自助」の部分が、日本の場合非常に多かったと思います。

 ですから、政治は何のために存在しているのかということを、もう一度原点に立って、しっかり見据える。そして新しい政治をつくる。これを21年の目標にしたいのです。

 志位 昨年は、新型コロナウイルスと格闘した1年でしたが、コロナ危機は、私たちの社会のもろいところ、矛盾を、レントゲンのように写し出したと思います。

 非正規の働き方を強いられてきた多くの女性が雇い止めにあい、路頭に迷う。女性の自殺増が深刻な社会問題になっています。すべてを市場にまかせて、社会保障をどんどん削っていく、新自由主義の政策が、医療からゆとりを奪い、保健所を弱体化させ、現在の深刻な事態をまねいています。世界的規模での格差拡大、環境破壊など、資本主義という制度の矛盾が噴き出し、この制度を続けていいのかが問われています。

 同時に、これまで、その価値が十分に認識されてこなかったものが、実は非常に大きな価値をもっているということが、コロナ危機の体験を通して明らかになりました。たとえば、岡野さんがずっとその重要性を主張してこられたケア労働です。医療、介護、保育、さまざまなケアなしには、人間は生きてはいけない。それが非常に痛切な形で明らかになりました。ところが、ケア労働がたいへん粗末に扱われている。そのことも明るみにでました。

 岡野 志位さんのおっしゃる、「レントゲンのように…」というのは言い得て妙で、ケア労働の価値を認めようとしない、いまの政治の冷酷さというか、残酷さが、非常にはっきりと見えてきましたね。

 志位 本当にそうですね。岡野さんは菅政権による人災といわれましたが、私もまったく同感です。これだけの大災害が起こったときに対応する能力がまったくない。無為無策と逆行を続けている。

 今年、必ずある総選挙では、共闘の力で、菅自公政権は終わりにして、政権交代を実現し、新しい政権をつくっていきたい。日本共産党自身も大いに躍進したいと決意しているところです。

 岡野 ぜひ、そういう年になりますように。

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(写真)しい・かずお 1954年生まれ。東京大学工学部物理工学科卒業。1990年から日本共産党書記局長、2000年から幹部会委員長。衆院議員(比例南関東ブロック)9期。近著は『改定綱領が開いた「新たな視野」』

岡野 医療、介護、保育、教育に携わる人たちの悲鳴に耳を傾けない政治でいいのか

志位 コロナ危機の経験を踏まえ、「ケアに手厚い社会」を提案の第一に掲げた

 岡野 今度のコロナ危機の体験を通じて、政府が「経済第一」って言っておけばなんとなく国民は納得するんじゃないかという幻想も崩れ去りました。自公の政治家が考えている「経済第一」はアベノマスクで、その本当の姿が明らかになりました。それ以前には、お肉券やお魚券だなんてことが出てきて、私たちの生活をいったいどう思っているんだって思いました。つまり、彼らがいう経済というのは本当にごく一部の、大企業中心ということです。10万円の一時金の支給で、やっと命を永らえるような人が多数いるこの社会の中で、ああいう税金の使い方ができる人たちが、今の日本社会を牛耳っていたということが明らかになったわけです。

 志位 その通りですね。

 岡野 保育士は、一般職に比べれば月10万円も月収が低い。これは、政治が決めている現実です。ところが、そうした保育や介護など、私たちにとって本当に大切で、命にかかわる、しかも未来を、あるいは社会の土台を支えている人たちを、これだけ侮辱しながら、そうした人たちから吸い上げた税金を大企業に流しているのです。日々、一生懸命、責任を持って職務に携わっている人たちを罰するような社会になっています。

 コロナ禍で、医療従事者、介護関係者、教育に携わる人たちが、これほどの悲鳴を上げていますが、一切耳を傾けないような政治。こんなことが政治家としてというよりも、人としてあっていいのだろうかぐらいの怒りを感じています。

 志位 コロナ危機のもとで、いまおっしゃられたケア労働が、どんなにとうとい仕事なのかということを、みんなが思い知りました。同時に、そういう労働を政治が粗末に扱っている。これもはっきりしました。

 医療機関がたいへんな赤字で苦しんでいます。医療従事者のボーナスが夏も冬もカットされるという事態が起こっています。看護師さんにしても、たとえばコロナ専門のICU(集中治療室)では、連続数時間も防護服を着ての過酷な労働です。心身ともにくたくたになっている。ところがボーナスがカットになる。これはどう考えてもおかしい。日本共産党は、医療機関に対する減収補てんを求めていますが、政府の支援策は、モノとベッドのためのお金は出すんですが、人のためのお金はまともに出ない仕組みになっているのです。

 それから岡野さんが言われたように、保育、介護、障害福祉、ここで働く方の賃金が一般の労働者に比べて月約10万円も少ないわけです。専門職ですから、本来、高くて当たり前なのに、逆に低いという実態があります。そのために深刻な人手不足になっています。その矛盾もコロナ危機で噴き出しました。

 ですから私たちは、コロナ危機の教訓も踏まえて、「新しい日本をつくる五つの提案」(別項)を提唱したのですが、第一の提案「新自由主義から転換し、格差をただし、暮らし・家計応援第一の政治をつくる」の冒頭に「ケアに手厚い社会をつくる」ことを掲げたのです。

新しい日本をつくる五つの提案

提案1 新自由主義から転換し、格差をただし、暮らし・家計応援第一の政治をつくる

提案2 憲法を守り、立憲主義・民主主義・平和主義を回復する

提案3 覇権主義への従属・屈従外交から抜け出し、自主・自立の平和外交に転換する

提案4 地球規模の環境破壊を止め、自然と共生する経済社会をつくる

提案5 ジェンダー平等社会の実現、多様性を大切にし、個人の尊厳を尊重する政治を

岡野 新自由主義の破たんとともに、資本主義そのものの矛盾を考えざるをえない

志位 日本固有の矛盾、資本主義体制の矛盾――日本社会は二重の矛盾に直面している

 岡野 コロナ危機を通して、新自由主義の破たんが明らかになりましたが、同時に、資本主義そのものの矛盾ということも考えざるをえません。資本主義の大きな矛盾というのは、資本主義が本来依存しているはずの労働者と、その労働者をつくる仕組み、私はこれをケアと呼んでいますが、ここを酷使し、しかもそれに見合う報酬を出さないことにあるのではないでしょうか。この矛盾は、私は資本主義である限りなくならないのではないかと思います。

 この矛盾の最たる事例が、いまの日本社会で起こっていることだと感じています。それは、OECD(経済協力開発機構)諸国の中で、日本の幼児教育と高等教育の公費負担が最下位であることや、高齢者の医療費高負担の状況を見ても明らかです。

 志位 私は、日本の現状を捉えるさいに、二重の矛盾に直面しているという捉え方が大事だと考えています。

 一つは、日本固有の矛盾です。私たちの暮らす日本社会は、欧州各国に比べても、国民の暮らしや権利を守るまともなルールがない、「ルールなき資本主義」になっている。たとえば医療費の窓口負担です。菅政権は、このコロナ危機のもとで、75歳以上の窓口負担を1割から2割にすることを打ち出しました。血も涙もない冷酷な決定は撤回させなければなりません。日本でもかつては、サラリーマン本人も、65歳以上の高齢者も医療費の窓口負担は無料でした。

 岡野 そうですよね。

 志位 これがすっかり崩されて、いまは重い窓口負担を当たり前に押しつけている。そして3割負担というところに合わせようとしている。

 一方、ヨーロッパでは、多くの国が窓口負担をきわめて低額に抑えています。医療保険というのは、いざ病気にかかったときのために、高い保険料を払うわけですから、窓口負担が重くてお医者さんにいけないというのでは、何のための医療保険かということになります。窓口負担をどんどん引き上げてきたというのは、これは「ルールなき資本主義」という、日本固有のひどさです。

 岡野 なるほど。

 志位 同時に、岡野さんが指摘されたもう一つの問題、資本主義体制そのものの矛盾が、コロナ危機のもとで噴き出していると思います。

 岡野さんは、資本主義が、労働者と、労働者をつくる仕組み――ケアを酷使し、それに見合う報酬を出さないということを言われた。これは搾取ということを言われているのだと思います。マルクスは『資本論』のなかで、資本主義は「人間材料を浪費」する、労働者の「血と肉」を浪費し、「脳髄と神経」を浪費するという告発をしていますが、長時間・過密労働、不安定雇用によって、生きた人間を使い捨てにし、健康も生命もむしばんでいく。人間が人間を搾取するということから、さまざまな害悪が生まれます。

 そして、資本主義のもとでは、資本の利潤をひたすら増やすことが生産の推進力――目的・動機となり、この「利潤第一主義」から、格差拡大、環境破壊などさまざまな矛盾が生まれています。そうした資本主義の矛盾が、コロナ危機のもとで、世界でも日本でもむき出しの形であらわれています。

 そういうなかでアメリカなどでは、若い人のなかで、「社会主義」への希望が大きく広がる状況があります。格差拡大も、環境破壊も、まずは資本主義の枠内で解決のための最大の取り組みを行うことが大切ですが、根本的解決のためには資本主義をのりこえて社会主義にすすむことが必要です。社会主義にこそ希望があることを大いに語っていきたいですね。

岡野 ケアの価値を共有することで、価値を上げていくとりくみを

志位 ケアとは多様な個人の尊厳を大切にする営み、競争原理を持ち込むのは間違い

 岡野 私は、資本主義のこうした問題に出会ったのは、まさにケアの研究からでした。

 ケアという営みが歴史的にどうおとしめられてきたかという、どちらかというとフェミニズムの角度から見てきたのですが、おっしゃるとおり、ヨーロッパの先進国の中では、コモン、つまり共有という考え方が見直され始めています。医療や教育、そして余暇は、みんなが使えて、それは誰か一人の人に私有化させないという考え方が広がりつつあります。

 教育、医療、文化・芸術などをみんなが共有し、そして広がり、価値が高まっていく。それは金もうけとは全く違う論理です。ケアもおそらくそうです。みんなでケアしあえば価値が高まる。そのケアという価値が共有されず、誰かに押しつけているから、どんどんおとしめられているのだと思います。声を掛け合ったりとか、ただ一緒に歩いたりとかだけでも、人間にとっては喜びなのです。そういう行為をおこなう時間が、金もうけ主義の中で削られています。私たちが本来持っている1日24時間のあり方がどんどん金もうけ主義の中で貧しくされているということを、おそらく多くの人が気づき始めています。

 私たちは人と一緒に分かち合うことで、喜びを、価値を上げていくことってこんなにたくさんあるんだということを、もう一度、今年から、21世紀を最初からやりなおすつもりで考えたいと思います。

 志位 革新懇のシンポジウム(昨年12月19日)で、岡野さんが、保育には競争がない、一人ひとりの子どもはみんな多様なので、その子どもにあわせた保育をやる必要があり、競争はそのなかにはない、とおっしゃっていました。それが小学校に入ると、みんな競争に追い立てられ、つらいことになってしまうという指摘でした。

 もともとケアは、医療にせよ介護にせよ保育にせよ、広い意味では教育もそうだと思いますが、多様な一人ひとりの人間としての尊厳をどうやって守り育てていくかという営みだと思います。そこに競争原理を持ち込むのは、根本から間違ってくると思います。いま岡野さんは「価値を共有する」と話されましたが、多様な個人の尊厳を大事にするところに、ケアの一番大事なところがある。そこに市場原理を持ち込んできているのが、いまの政治の一番の問題だと思います。

 岡野 本当にそうです。これも革新懇でふれたことですが、たとえば同じ3歳児でも、4月生まれの子と3月生まれの子では、この1年の違いってとても大きい。それでも一緒に過ごしながら、ご飯もともにし、うまく箸が使えなかったり、言葉が出なかったりする子たちを、みんなで待ったりとか、用意がちゃんとできない子をみんな手伝ってあげたりとか、むしろ、いまの日本のおとな社会よりも人間的なのです。

 それを感じると、何かいまの日本の教育は、不幸な人をつくっているのではないかと感じます。人間として、いままで保育園でぬくもりの中で受け止められた子が、小学校に入ると、成績をつけられて、しかも、いきなり35人クラスとか40人クラスになって、急激な変化、落差が大きすぎます。

 それは私たちおとなだって同じです。みんな一人ひとり違うわけで、個人が、一人ひとりのニーズや環境も違って、これだけ広く、多様な人たちが、それぞれの環境で生きているわけです。ところが、政治家、とくにいまの自公政権は、本当に一部の人たちしか見ていない。私は、政治家に、この私たちの多様な生き方をもっと知ってほしいとすごく思っています。

 志位 いまの日本の教育のどこが問題かということについて、第1次安倍政権(07年)の時の教育基本法改悪のさいに、私は国会で、だいぶ突っ込んで論戦をしたことがあります。

 国際的な状況なども調べ、日本の教育の一番の問題は、異常な競争主義、序列主義にあるということを痛感しました。競争と序列の教育こそが、一番子どもを傷つけています。テスト、テストで尻をたたく。学校でも家庭でも尻をたたかれたら、子どもには居場所がなくなってしまう。異常な競争教育こそが、私は一番の反教育的なものであり、子どもに対するいじめのようなものだと思います。

 もう亡くなりましたが、小学校の教員をやっていた私の父の口癖は、「教育で大事なことは、『できる』子を育てることじゃない。『わかる』喜びを伝えるのが教育なんだ」というものでした。「『できる』と『わかる』は違う」と言うのですね。「できる」というのは、他の人との関係で比較して「できる」「できない」になるから、「できる」子もつらいし、「できない」子もつらい。ところが、「わかる」というのは、たとえば算数についても、理科についても、さまざまな真理、法則、物事の仕組みを発見していくわけですから、子どもにとって喜びであるわけです。「『わかる』喜びを教えるのが教育」というのは、本当にそうだと思います。教育のあり方も、根本から変えていく必要があると思います。

 岡野 志位さんのお話を聞いていて、私がかつて大学の学部で教えていたときに、授業とは別に学生たちと一緒に読書会をしたことを思い出しました。成績も関係ないし、私も友達と一緒に英語の本を読んでいるみたいな感じで学生に接しました。そうすると、分からないことは分からないって学生も言うし、私も本当にそれが楽しくて、教えているほうも試験がないときが一番楽しいですね(笑い)。成績がつかないと分かると、学生も素直に分からないって言えるし、知らないことを発見していく。知らないことを知ることは、新しい発見につながっていく、そこに喜びがあります。

 志位 そこに一番の喜びがありますね。試験がないときが一番楽しいというのは、本当にそうですね。(笑い)

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(写真)おかの・やよ 1967年生まれ。同志社大学大学院教授(西洋政治思想、フェミニズム理論)。「安全保障関連法に反対する学者の会」呼びかけ人。著書に『フェミニズムの政治学』など。昨年10月には訳・著『ケアするのは誰か? 新しい民主主義のかたちへ』を出版

志位 強権とともに、説明する能力がない政治は、強いようでいてもろい

岡野 恐怖政治、強権政治は、実際にはめちゃくちゃもろい

 岡野 私は、最初に安倍首相(第1次政権)が出てきたとき、新自由主義を推し進め、これは最悪だと思っていた小泉純一郎首相より悪い首相がいたのかと驚いたのですが、憲政史上最長にして最悪の安倍政権(第2次政権)のあと、それよりもひどい菅義偉政権が登場しました。

 やはり政治家というのは結果責任だと思いますが、菅首相は最初の態度として、私は責任をとりません、だから人の話も聞きません、国民にも説明しませんと。こんなに無責任を体現したような人が一国の決定権を握っていていいのかと、恐怖を感じています。最初にいった「新しい政治」を本気で追求しなければなりません。

 志位 私は、安倍政権と7年8カ月対決してきて、「戦後最悪の政権」と批判してきました。これ以上悪い政権はそうそう出てこないと思っていたんですが、後任者はもっと悪い人が出てきた。無責任を体現しているという指摘はその通りですが、無責任な人が強権だけはしっかりふるう。

 日本学術会議への人事介入の怖いところは、任命拒否の理由を一切言わないことです。説明をしないというのも一つの権力行使であり、最も悪質で卑劣な権力行使だと思います。説明なしで拒否するとどうなるか。国民の誰に対して、いつ、異論排斥の矛先が向けられるかわからなくなる。理由も言わずに異論を排斥することが横行したら、全体主義国家に転落することになります。だから、どうしても任命拒否の撤回まで頑張らなきゃいけないと決意しています。

 岡野 同時に、説明する能力もないんですね。

 志位 そうですね。国会で質問をやっていて驚くのですが、どんな質問でも必ず紙が出てきて、菅首相は、それを次から次へ読んでいるだけです(笑い)。説明する能力も、国民にわかってもらおうという意思もない。そして「既得権益」とか平気でデマをいいます。首相がデマをいうと、応援団がフェイクの大合唱を起こしています。

 強権とともに、説明する能力がないという、両面があると思います。これは強いようでいて、実のところもろい政治です。それが深刻な形であらわれているのが菅政権のコロナ対応です。感染を広げる「Go To」事業に固執する。感染拡大の真っ最中に、持続化給付金など直接支援の打ち切りを宣言する。医療機関への減収補てんはやらない。やるべきことをやらない無為無策と、やっちゃいけない逆行だけです。ウイルスは「忖度(そんたく)」してくれませんから、コロナ危機に対応できない。そうした姿が、国民の強い批判をあび、支持率がぐんと下がっています。

 岡野 政治学的に権力というのは独占すると、実は非常に弱いんですよね。それは、本人もわかっているので、恐怖政治あるいはまさに強権政治と言われる政治のあり方が特徴になり、人を恐怖で震え上がらせるんです。それで政治を動かしていくっていうのは実際にはめちゃくちゃもろいのです。

 志位さんもおっしゃったことですが、菅政権であらわれてきた政治とは何かというと、つまり命令して従わせることです。それは俗にいう権力の行使ですが、本来権力というのは、命令ではなくて、みんなが納得すればそれで動くわけで、みんなが問題を共有してそこに向かって動いていけば、それは政治的にはとても強い力が発揮されるわけです。

 志位 その通りですね。菅さんには、安倍さんと比べても説明する意思がないですね。説明してわかってもらおうというのがないですね。安倍さんの場合はでたらめなものなんだけど、何か説明はしましたよね。(笑い)

 岡野 たしかにしました。(笑い)

 志位 菅さんは、一言で答弁が終わってしまう。コミュニケーションの拒否です。ただコミュニケーションの拒否が、コロナ危機のもとで行われているのが怖いことです。コロナ危機のもと、一国のリーダーは、国民に対して、こういう方向で苦難を乗り越えていくんだという強いメッセージを出し、安心してもらって、みんなの気持ちを一つにして乗り越えなきゃなりません。菅さんには、そういうものが全くない。これは本当に恐るべき事態です。

岡野 歴史的に受け継がれてきた言葉、知の積み重ねに対する侮蔑意識がある

志位 科学を政治のしもべにしてはならない

 志位 昨年10月に、古事記・日本書紀・万葉集などを研究する「上代文学会」が、学術会議の任命拒否問題に対する抗議声明を出したのですが、そこで、首相の無内容な答弁を批判して、「頼むから日本語をこれ以上痛めつけないでいただきたい」と訴えました。基本のコミュニケーションができなくなっていることは、政権としても本当に行き詰まりだし、国民に見抜かれてきていると思います。

 岡野 菅政権の悪いところのその最たるものがまさに言葉の軽視ですよね。科学的な知は、自然科学でも社会科学でも全ての科学において、人から人へとつなぎ、たくさんの人に共有してもらえばもらうほど、ある言葉や概念の価値観が上がるわけです。たくさんの人がその言葉や考え方を使い、多様に分散させる。私たちが使っている言葉、あるいは私が学ぶフェミニズムの言葉も全部、見たことも会ったこともない人たちの言葉を引き受けて、その中で自分が社会を見る目を豊かにしていくのです。それによっていろんな角度から社会が見えてくる喜びもあります。

 こんなに政治がひどいけれど、それでも人間のすばらしさを感じる時、他人から歴史的に受け継がれてきた考え方とか言葉、知の積み重ねというのは、とても大切な働きをしています。日本学術会議の任命拒否問題にあらわれた学術に対する侮蔑意識は、そうした人間観への冒涜(ぼうとく)だと思います。菅首相は、この問題に対して、学者の集団がこんなに怒るとは多分思っていなかったのでしょう。

 志位 日本学術会議元会長で東大名誉教授の広渡清吾さんが、この問題の本質として、政治と科学の関係をきちんとたてることが大事だと話しておられました。私も、そこが大切なところだと思います。

 私は、政治と科学というのは論理が違うと思います。政治というのは、少数意見を大切にして議論をつくす必要がありますが、最後には多数決の論理が働きます。しかし科学は違います。科学の価値は何ではかられるかといったら、真理かどうかではかられるわけです。真理かどうかを、どうやって判定するかといったら、実験、観測、実証、論理、そして岡野さんが言われたような知の積み重ね、それによって最終的に判定されていくわけです。そして大事だと思うのは、新しい価値ある学説というのは、最初は必ず少数から始まるということです。ガリレオ・ガリレイの地動説もそうだし、アインシュタインの一般相対性理論もそうです。最初は少数から始まるけれども、結局それは真理だったということになるわけです。

 それからどんな科学も、既存の科学に対する批判がなかったら進みません。それまでの科学の批判から始まるわけです。マルクスも、スミスやリカードゥなど古典派経済学を徹底的に批判するなかで、『資本論』を書きあげていったわけです。

 新しい価値ある学説は、少数から始まるし、批判から始まるわけで、そこを否定したらもう科学ではなくなるわけです。そして、そうして見てみると、科学に何が大事かと言ったら、自由、自主性、独立性が何よりも大事だということになる。こうして、学問の自由は、科学が内在する論理からも導かれると思います。そこをまったく理解しない人たちが、政治の論理で科学を裁断し、科学を政治のしもべにしては絶対にいけない。そういうことになったら、科学の価値を損ない、国民みんなが被害を受けることになります。

 岡野 ガリレオ・ガリレイが、よく日本学術会議の任命拒否問題で例にあげられますが、私の専門の政治哲学でいうと、まず哲学者ソクラテスです。ソクラテスはまさに、若者をたぶらかし、ろくでもない考え方を広めたということで、アテネの陪審裁判で死刑になりました。そこから政治哲学は始まるんです。

 国民に反感を買うような事実がとくに政治の場にはあるわけです。そのことに対してきちんと言葉にして、「何がおかしいか」と言うことは、私は政治学、政治思想の使命の一つだと思っています。社会的責任だと思っています。「おかしいって思ったことはおかしい」って言っていいんだということを市民の人たちに伝えたい。多くの人にすれば「突拍子もない」ことかもしれないけれど、それでも、その数少ない言葉が広がり、これまでも実際に、女性の権利や労働者の権利など、社会が少しずつだけど良くはなってきてはいます。私たちは、過去には認められなかったさまざまな権利を獲得してきました。

 志位さんが、「#MeToo」の運動に参加されたのは画期的なことでしたが、そうした行動や言葉が人に勇気を与えて、少しずつだけど「これも権利として言っていいんだ」「これは社会がおかしいんだ」という思いが広がっていく。そうして、「おかしい」って声をあげた人たちのおかげで社会はよくなるわけです。

 志位 本当にそう思います。

 岡野 思想の自由がなくなった、学問の自由がなくなった社会というのは、それは、一部の権力者たちの考えていることをうのみにさせられる社会です。未来のない、暗い、閉ざされた社会ですよね。

 悲しいことに、いま日本は確実にそうなってきています。世界的に見ても閉ざされていて、日本の外どころか、自分の周辺以外に関心があまり向けられていません。ニュースの偏り、国際報道のなさにそれは顕著です。これは国際的に見ると驚くようなことだと思います。学術会議会員の任命拒否問題は、日本史上に残る汚点、政治からの学問への攻撃であり、絶対に許してはなりません。

志位 任命拒否撤回への一番の早道は政権交代の実現

岡野 どうせ選挙は勝つだろうとあぐらをかいている自公政権に審判を

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(写真)滝川事件を報じる「帝国大学新聞」1933年5月15日付

 志位 その通りです。ただ、私は、この問題では希望もあると思っています。多くの学協会のみなさんが反対声明を出されています。かつてない広がりではないでしょうか。「映画人有志」や「野鳥の会」のみなさんも、学問の自由が侵されたら、次は自分たちの活動も危うくなると、抗議声明を出しています。「生長の家」が反対声明をあげたのは、うれしい驚きでした。

 岡野 私も驚きました。

 志位 “学問の自由を大事にしない政権が信教の自由を大事にするわけがない”というものでしたね。

 岡野 もっともな声明ですよね。

 志位 日本学術会議への不当な人事介入に対し、反対の輪が広がってきています。

 歴史を考えても、この問題は絶対に引くことはできないと思います。1933年の滝川事件、35年の天皇機関説事件など、戦争に向かう時期に、政権の意に沿わない学者が弾圧され、これが歴史の大きな分水嶺(れい)になっていきました。

 天皇機関説事件の後、「国体明徴声明」というのが出されました。「国体」=天皇中心の神の国が神聖不可侵だという観念が社会全体に徹底的にたたき込まれました。敗戦までの最後の10年間は、子どもたちにも「国体」を徹底的にたたき込んで、軍国少年、軍国少女をたくさんつくりました。

 まず科学者の口を封じ、そして国民の口を封じ、戦争に動員していった歴史があります。だから今は分水嶺だと思う。今度の事件を曖昧にしたら孫子の代に禍根を残すことになります。任命拒否を撤回させないといけません。そのために一番の早道は政権交代です。政権交代を実現して、この問題を解決しないといけない。

 岡野 研究者って、平気で10年、20年、同じこと、同じ問題を、ずっと追求し続けているわけです。私もケアに関してはもう15年以上研究しています。だから、菅政権とその周りの人たちが思う以上に、恐らく、研究者は根に持つタイプですから。

 志位 なるほど。(笑い)

 岡野 私の知り合いでも、これまでとくに政治的なことは全く発言しなかった政治思想を研究する友人が、「これは絶対許せない」といろいろ動いてくれていて心強く思っています。

 菅政権を政治の世界で倒さなければいけませんが、この問題は研究者として学問の世界でもしっかりと落とし前つけないといけないと思っている人がかなりいると思います。研究者としての生命線だと私は思っています。

 学問上の決着がつく前に、ぜひ、政治的な決着のためには政権交代が必要ですよね。どうせ選挙は勝つだろうとあぐらをかいている自民・公明政権に審判をくださないといけませんね。

岡野 男女平等で一番大きいのは意思決定に女性が入ること

志位 さらに努力していきたい。学び、自己改革するという姿勢で進みたい

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(写真)JCP With Youのイベントで語りあうゲストスピーカーの各氏=2019年6月20日、東京都北区の池内さおり事務所

 岡野 共産党は昨年1月の大会で、京都選出の倉林明子参院議員を党中央の副委員長に選出するなど、多くの女性を登用されました。今回のUNウィメンの五つの提言もそうですが、男女平等をいうときには、どんな組織でも意思決定の場、非常に枢要な場所に女性を登用することが大事です。

 コロナ禍の下で、私が今研究しているケアとか子どものこととか、一見、資本主義の社会の中で周縁に置かれているように見える問題が、実は、周縁ではなくて資本主義社会を中心で支えているということが明らかになりました。

 これは語弊がある言い方かもしれませんが、いかに男女平等といっても、そうした周縁に置かれている人の経験は、近くにいたとしても男性には見えないものがあります。

 志位 そう思います。

 岡野 共産党でばりばり運動されている男性には、やはり家庭のことだとかが見えない。その男性たちが日ごろ依存している女性の活動などは知らないことがあると思うのです。ですから、私は、男女平等で一番大きいのは意思決定に女性が入ることだと思います。

 志位 そうですね。

 岡野 せっかく政治に女性が参入しても、やはり女性的なことしかいわないとよく批判されます。「女だからやはりそんなこというのか」という捉え方をするのではなく、まったく逆にいままで政治のなかで無視してきた女性的なものに耳を傾けなければなりません。私は、男性が知らなかった価値を、女性たちというのはケア実践をつうじて蓄えていると思っています。それを知る喜びを男性にも感じてほしい。

 いまジェンダー平等にとって必要なのは、資本主義がないがしろにしてきた大切な人間の営み、それは、これまで差別されてきた女性や外国人が担ってきたものなのですが、その価値を世界中で、政治の場所にもう一回取り戻すことだと思います。

 私が、女性の議員の人に期待するのは、周縁化されてきた人々の声を政治の場所に届けることです。社会的弱者の人たちのために政治が何をしないといけないのかというテーマを政治の中枢に置くためには、知恵の宝庫である女性が持っているネットワークが必要なのです。

 最も苦しい人たちは、残念ながら声も上げられない。「#MeToo」に参加し、志位さんが聞かれてきたのは、そういう声です。

 志位 うんうん。

 岡野 共産党が、「#MeToo」へも関心を示してつながりを持っているというのは、「#MeToo」の声をあげている人たちにも心強いですし、それはむしろ共産党の政治へのスタンスを学ぶ機会として、とてもよいことだと思っています。

 志位 意思決定の場所に女性を増やすというのは、党大会でも努力し、比率は上がってきましたが、まだ中央役員全体の中では少ない状況です。ただ常任幹部会では、これもまだ努力が必要ですが、女性の比重を増やしました。みなさんが、いろいろな新しい視点で発言されるので、週1回の会議がより生きいきとしてきたなと思っています。

 岡野 そうでしょう。

 志位 日本共産党は、昨年の党大会での綱領一部改定で、ジェンダー平等の実現を綱領に書き込みました。共産党の姿勢としては「#WithYou」の精神で、いろいろな運動に参加する。参加して、耳を澄ましてよく聞こう、学んでいこうと考えています。同時に、私たち自身が自己改革をやっていかないといけない。学び、自己改革するという姿勢で、みなさんと一歩一歩、一緒に進んでいけたらいいなと考えています。

 岡野 いいですね。

 志位 私もフラワーデモに参加して、お話を聞きますと、いままで知らなかった多くのことに気づかされます。こんなにもたくさんの女性が性暴力に苦しんでいたのかと。しかも、性暴力の被害にあっていたことを自分でもなかなか自覚できなくて、10年、20年、30年とたって、気づいてきた。みんなの前で話すことで、やっと今になって、人間性を取り戻しつつあるという発言もたくさん聞きました。もっと知らなければいけないということを強く感じます。

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(写真)オンラインでグータッチをする志位和夫委員長(左)と岡野八代さん

志位 エンゲルスは家事労働(ケア労働)を社会的産業として復興する展望を示している

岡野 自分の研究上も、最もコミュニズムに近い線を走っているところ

 志位 岡野さんとせっかく今日、お会いする機会ができたので、これ(岡野訳・著『ケアするのは誰か?』)を読みました。

 岡野 えっ。恐縮です。ありがとうございます。

 志位 それで、このケアの問題、岡野さんが言われていること、とても共感が持てることがたくさんあって、私たちの科学的社会主義の立場から、ケアの問題にどうやって接近していったらいいのだろうかとずいぶん考えました。

 岡野 ありがとうございます。

 志位 エンゲルスの著作で『家族、私有財産、国家の起源』がやはり大切になります。これは、モーガンというアメリカの人類学者の『古代社会』という著作について、マルクスがノートをつくり、マルクスの没後、エンゲルスがそれを引き継いで執筆したものなのですが、このなかに、家事労働――ケア労働について言及しているところがあります。それを人類史のなかに位置づけて描いています。

 岡野 ええ。

 志位 ――原始共同体の段階の共産主義世帯では、家事のきりまわしは、食料の調達と同じく、一つの公的な、社会的に必要な産業だった。

 ――家父長家族への移行とともに、その役割が変わり、家事は公的性格を失って、私的役務になった。妻は社会的労働への参加から追い出されて女中頭になった。

 ――現代の大工業は、労働者の女性たちが社会的生産に参加する道を開いた。しかしそれは、彼女が家族の私的役務の義務を果たせばという条件つきだった。近代の個別家族は妻の公然または隠然の家内奴隷制の上に築かれている。

 ――女性の解放には、全女性の公的産業への復帰が第一の先決条件となる。そのためには私的家政が社会的産業に転化し、子どもたちの扶養や教育が公務となることが必要になる。

 これがこの問題でのエンゲルスの主張の概要です。最後にのべられている女性の解放は、社会主義的変革によって可能になるというのがエンゲルスの展望でした。

 マルクス・エンゲルスは、モーガンの著作に接して、初めて、原始共同体の時代には、男女がまったく平等だった、むしろ女性優位だった社会があったことを知るわけです。そして、家事労働――ケア労働について、原始共同体の時代には、公的・社会的産業として、食料の調達と同等の値打ちがあったが、階級社会のもとでおとしめられてきた、それを社会的産業としてより高い次元で復興するのが社会主義だという展望を示しているというのは、とても重要な指摘だと思っています。

 岡野 私も「ケアの倫理」研究の中で、ケアの活動、ケアの営みが人間的にはとても価値があるのにおとしめられてきた、それは、どうしてなんだろうということを研究してきました。その出発点は、マルクス主義フェミニストたちの70年代に始まる論争なんです。

 志位 ほーっ。

 岡野 マルクスが発見した再生産労働というのをフェミニズム的に解釈し、原初的蓄積、つまり資本主義成立のなかでもっとも物質的に搾取されているのは、女性の家事労働なんだといったのは、マルクス主義フェミニストたちです。エンゲルスの『家族、私有財産、国家の起源』というのは、彼女たちにとって、自分たちの抑圧の原因を考えるさいの出発点でした。「ケアの倫理」を研究してきた私の先輩たちにとっても、一つのインスピレーションを与えてくれる本なんです。まさに、価値の転換をしなければいけないんです。

 志位 ケアをパブリック(公)な仕事にしていくということですね。

 岡野 そうです。貢献度から見れば、いまでももちろん非常に公的な営みですが、考え方として、私たち人間はいったい何のために生きているのかから考えて、人をはぐくむ、人をいつくしむ、この営みを、しっかりと政治社会の中枢に位置づける。そこに貴重なものを見ていけるような人間性へと転換していくことが必要です。

 なので、資本主義によらない政治の形というのを、いま模索しています。経済的にもコモンというのを大切にして、共有していく方向に変えていく。私は今は、自分の研究上も、最もコミュニズム(共産主義)に近い線を走っているところです。

 とくにこのコロナでこんなふうにケアワーカー、エッセンシャルワーカーの人たちに光があたった。皮肉ですけれども、自分の研究上これまで考えてきたことが、多くの人たちに伝わっている感じがしていて、志位さんにも読んでいただける本を書けたというのは、研究者冥利(みょうり)に尽きます。

 志位 今、コミュニズムに近い線を走っているという話があったのですが、フラワーデモに参加し、性暴力について聞くなかで、いろいろと考えました。どういうところで性暴力が起こっているか。親と子だったり、教師と生徒だったり、権力的な関係、支配・被支配の関係があるところで、それを利用して性暴力が起こっている。

 私たちのめざす共産主義社会は、真に自由で平等な人間関係からなる社会であり、あらゆる搾取、抑圧、強制がなくなり、国家権力もなくなり、あらゆる支配・被支配の関係=権力的関係がなくなる社会です。ここまで進むことで、ジェンダー平等は完全な形で実現し、性暴力の社会的な根というのも絶たれていくのではないか。

 岡野 うんうん。

 志位 だから、ジェンダー平等というのは、まずは資本主義の枠内でもその実現のために最大の努力を傾けなければならない目標ですが、コミュニズムに進んだときには、全面的に達成できるというのが私の結論なのですが、いかがでしょう。

 岡野 「ケアの倫理」でも、暴力はどこで発生するかということを考えますが、明らかに力の不平等から発生しているのです。女性が受けている暴力がなぜここまで広範で、しかも継続してそうなのかというと、やはり女性の社会的地位が低いことが決定的なわけです。不当な権力関係がそこにあるので、いま、志位さんがおっしゃったように、どっちが先とかいうのでなく、ゴールはたぶん同じところにあると思います。

 少なくともやはり資本主義のなかで生まれてくる権力の、力の使われ方があまりにも不平等で、不正です。いま看護師の人が休みたくても休めない、やめたいけど、やめられない。目の前にいる患者の人たちを思って今、懸命に働き続けているわけで、そういった形で、その人たちを政治が酷使しています。いま政府はそこに依存しています。

 こうした不当な依存状況を変えていかなければいけません。富も分有し、苦しみも分有しなければいけない。その共有のありかたというのは、政治が決めるしかありません。

 志位 本当にそうです。

岡野 共産党躍進は、女性議員が増えるということ、力を込めて応援したい

志位 政権交代で、新しい政権をつくり、日本共産党の躍進を実現したい

写真

(写真)倉林明子参院議員(左)の応援に駆け付けた(右へ)志位和夫委員長、岡野八代さん=2019年7月15日、京都市下京区

 岡野 そうした転換のとっかかりとして、共産党の躍進は目に見える形で、女性議員が増えるということですので、私も力を込めて、京都でも応援をしたいと思っています。やはり価値観を共有できるというのは一番力になります。みなさんと一緒に、できることはやっていきたい。

 志位 19年の参院選で京都でご一緒に訴えたときに、岡野さんがすばらしいスピーチをされました。「ジェンダーというのは社会的につくられた性差とよく言うけれど、自然なものじゃない。政治がつくっている。すべて政治的なものだ」とおっしゃった。私はとても印象深く聞きました。政治を変えることこそが、ジェンダー平等への道なんだということを、日本共産党の第28回党大会の報告でも話しました。

 岡野 ありがとうございます。それで、私、「まるで新しい政党が誕生したかのような感動を覚えました」と感想を書いたのですね。

 志位 そのことを大会の結語で、こういううれしい評価もあったんですと紹介しました。私たちも一歩一歩、努力しながら、ずっと研究されてきた方々の研究成果にもしっかりと学び、現場で頑張っているみなさんのいろんな運動も学び、一緒に歩んでいきたいと考えています。

 岡野 ありがたいです。

 志位 今日は、20年を振り返り、コロナ危機の下での浮き彫りになってきた政治の問題点、資本主義の矛盾、新しい政治への展望、ケア労働、ジェンダー平等など、多岐にわたってお話をさせていただきました。

 私たちは昨年12月15日の第2回中央委員会総会で、「新しい日本をつくる五つの提案」を提唱しました。ここに書いてあるどの項目も、国民多数の願いだと思います。でも今の政権はこのどの項目にも背を向けています。

 政権を代えれば、どれも実行できます。辺野古の新基地建設も止められます。選択的夫婦別姓も道が開けます。学術会議会員の任命拒否は、総理大臣を代えればあっという間に撤回できます。

 総選挙で、市民と野党の共闘を成功させて、政権交代を実現し、新しい政権をつくり、悪いウミは全部出して、新しい日本をつくる。そして同時に、日本共産党を大きく伸ばしたい。これが今年の最大の抱負です。

 岡野 それは本当に頑張っていただきたいです。

 志位 ありがとうございます。頑張ります。


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