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2020年8月7日(金)

広島 75年 朝

苦しみ忘れぬ 条約批准を 体験継ぐ

被爆者・遺族ら誓う

 原爆が投下されてから75年の広島。6日午前4時半、夜が明けやらぬ平和記念公園には、原爆碑に向かい、手を合わせる被爆者や遺族らの姿がありました。(石黒みずほ)


写真

(写真)原爆犠牲者を悼んで焼香する女性=6日早朝、広島市の平和記念公園(細川豊史撮影)

 日ごろから原爆碑に手を合わせているという女性(72)=広島市=は「義父は爆風で飛んできたガラスが体に入り苦しんでいた。被爆のことは話したがらなかったけど、お酒を飲んだ時に何度か打ち明けてくれた」と振り返ります。核兵器禁止条約に背をむける日本政府について「いつまで米国に追従し続けるのかがとても気がかり」と話し、「原爆で苦しんだ人たちのことを忘れないために、できるだけここに来て祈り、思いをはせたい」と語りました。

娘と共に

 男性(49)=広島市=は、当時高校生の叔母が犠牲になり、祖父が懸命に捜すも再会できなかったと聞かされました。「核兵器は絶対に使ってほしくない。日本は核兵器禁止条約を批准してほしい」と語り、一緒に碑に手を合わせた娘(9)も「戦争がなくなってほしいし、世界が平和であってほしい」と話しました。

 被爆3世の家族写真の撮影・展示など被爆体験の継承活動を行う写真家・堂畝紘子さん(38)は「被爆者が亡くなったという電話が次々入ります。どうやって継承しようか、気持ちを新たにしています」。9歳になる娘と参加し、「毎年一緒に来ることで、原爆のことについて自分で考えるようになってほしい」と語りました。

母しのび

 夫と共に献花した女性(71)=東京都東久留米市=は、被爆した母親が胃がんで亡くなった10年前から毎年来ています。「原爆の映画やドラマを見るたび、母は『あんなものじゃない』とよく言っていました。式典に参列できないのは残念だけど、また今日ここに来られたことがよかった」と笑顔をみせました。


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