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2020年7月30日(木)

きょうの潮流

 ねずみ色の雲がもくもく上がってきて、そのうち空が真っ暗になり、雨が降ってきた。外にいた私と弟が家に帰ると、白いシャツには黒い染みができていた▼1945年8月6日の朝、当時5歳だった本毛(ほんけ)稔さんは、そのときの黒い跡が忘れられません。弟は日に日に具合が悪くなり1カ月後に肝硬変で死亡。自身も小さい頃から鼻血が止まらず、白内障や緑内障を患い3度も手術。いまも後遺症に悩まされています▼本毛さんの自宅前には水内(みのち)川が流れています。その川が黒い雨指定地域の境にされました。本毛さんの集落は国の援護の対象外に。黒い雨を含んだ沢の水を飲み、畑の野菜も食べた。「なぜ、国はこんな線引きをしたのか」▼被爆を認められない苦しみや怒りは数冊にもおよんだ証言集にも。その訴えに背を向けてきたやり方を覆す判決が広島地裁でありました。これまで対象外とされた原告を被爆者として認め、医療費が無料となる手帳の交付を県と市に命じました▼被爆75年に至り、ようやく正された理不尽さ。判決までの5年の間に16人もの原告が亡くなっています。原爆被害にあい、さらに国から冷遇されて命を落としていった人たちの無念はいかばかりか▼『黒い雨』の著者、井伏鱒二は後に語っています。取材を通じて「ぼくはことがらにたいしてまじめになった。作家としてではなく、社会的なまじめさに」。圧倒的な事実と真摯(しんし)にむきあったこうした姿勢が国にあれば、もっと早く多くの被爆者が救われただろうに。


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