日本共産党

2003年9月11日(木)「しんぶん赤旗」

チュニジアの七日間(18)

中央委員会議長 不破哲三

“下町”が世界遺産になる


写真

チュニスの旧市街(メディナ)のにぎわうスーク(市場)=7月30日

路地から路地へスーク(市場)の迷路を歩く

 到着第四日・七月三十日。

 午前中は、ハマム氏に、チュニス旧市街(メディナ)のスークを案内してもらう約束である。ハマム氏との合流地点は、旧市街に隣接するカスバ広場。約束の時刻は、午前十時。私たちの方が先に到着したが、ハマム氏もほぼ「シャープに」現れた。今日は、いつものグレーの背広ではなく、明るく茶っぽい背広姿でさっそうと現れた。

 まず周辺の官庁街の配置の解説。それから、すぐ旧市街のスークへ入り込む。

 スークとは、アラビア語で市場のこと。旧市街は、大部分が迷路のような路地の網の目でおおわれ、路地の両側に商店や工房がすき間なしに並んでいるが、ハマム氏の解説によると、旧市街のこの網の目は、商店や工房の無秩序な集合体ではない。

 同じ種類の商品を造る工房、同じ種類の商品を取引する商店が、同じ場所に集まって、商品ごとのスーク(市場)をつくり、そこで組合をつくって、スークの運営・管理をしている。こういうスークが無数に集まって、旧市街を形づくっているのだ、という。

 最初の路地を入ったハマム氏は、一つの工房に気軽に入ってゆく。帽子づくりの工房で、店先で、布の手入れから帽子を縫い上げ、型をつけるところまで、すべて手作業でやっている。早速かぶらせてもらう。「似合う、似合う」の声はあるが、チュニスの街ではともかく、東京をこの帽子で歩くのは、ちょっと無理のようだ。

踏みしめる石畳にも数百年の歴史がある

 歩きながら見ると、ずっと帽子関係のお店が続く。ハマム氏が、ひょいと路地を曲がると、そこは今度は貴金属のスーク。先に行くと、絨毯(じゅうたん)のスークに出た。その一軒に入って、屋上のテラスに登らせてもらう。旧市街が一望である。

 北側の少し先、旧市街に接するところに官庁風の建物が見える。そこが、ハマム氏の職場である首相府で、こちらに面した側に彼の部屋がある、という。「毎日、スークを展望しながら暮らしているのなら、この迷路を、一つのスークから別のスークへ、少しの迷いも見せずさっさと歩けるのは当然だな」と、笑い話になった。

 旧市街の一つの特徴は、街の角々に小さなモスクが無数にあること。イスラムでは、毎日決まった時刻に礼拝をする決まりになっているため、いくら大きなモスクがあっても、遠くては、スークで仕事をしながら、出掛けるわけにはゆかない。そのために、自分の店で仕事をしながら、短時間で礼拝を果たせるように、手近な所に必ずモスクがあるようにしている、という。

 旧市街は、いわば「下町」だが、スークとしても、組合による管理・運営という仕組みをふくめて、数百年に及ぶ歴史をもっている。私たちが歩く路地の石畳も、十六世紀か十七世紀ごろにつくられたものではないだろうか。チュニスの旧市街は全体が世界遺産に登録されており、スークも世界遺産の重要な内容の一つとなっている。世界遺産のなかでも、「下町」が登録されるというのは、イスラム世界ならではのことかもしれない。

でんでん太鼓を発見

 スークの迷路を抜けたあと、ハマム氏が、ぜひ見せたい所と言って、案内したのが魚市場と青果市場の活気にあふれた情景だった。路地歩きが中心で直射日光に当たらないとはいえ、人込みのなかを二時間近くも歩くと、暑さに体はだいぶうだってくる。

 そこで、道路にテラスの張り出した喫茶店で冷たいものを飲みながら、一休み。

 そのあと、国営の商店をのぞいたら、面白いものを見つけた。子どものためのでんでん太鼓である。紙ではなく、小ぶりながら革を両面にがっちりと張った本格的なもの。タムタムという伝統的な玩具だそうだが、これを振って、左右に下げた球で太鼓を鳴らすという遊び方は、日本とまったく同じだった。

 実は、二十年ほど前、ユーゴスラビアのサラエボを訪問して、イスラムのモスクを訪ねた時、二本歯の下駄を発見して、買って帰ったことがあった。表側はサンダル風だが、裏は下駄と同じ二本歯である。二本歯のはきものというのは、世界であまり聞いたことがないので、日本とサラエボの連関を不思議に思ったのだったが、でんでん太鼓をめぐるチュニジアと日本との連関にも、同じような不思議さがある。偶然の「接近」という可能性は強いが、謎解きの宿題としてかかえておくことにしよう。(つづく)


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