日本共産党

2003年8月31日(日)「しんぶん赤旗」

チュニジアの七日間 (7)

中央委員会議長 不破哲三

「大志」の大会 (上)


いよいよ党大会の会場へ

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大会での不破さんの名札

 私たち一行は定刻の七時半にロビーに下りたが、なにしろ百数十名という集団の動きだから、実際の出発までには、予想どおりかなりのゆとりがあった。ロビーで待っていると、ハマム氏が来て、中国共産党の代表団が会いたいと言っていると伝える。「承知したと伝えてください」と返事をすると、間もなく中国の団員の一人が同じ申し入れに来た。団長は中央対外連絡部の馬文普副部長で、中東・アフリカ地域が担当だとのこと。続いて、通りかかったエジプト代表とあいさつを交わす。

 出発は八時ぐらいだったろうか。三十分ほどでチュニス市内の大会会場に着き、外国代表団は、通路を一つの流れをなして歩く。その流れのなかで、たまたま、中国の馬団長といっしょになった。歩きながら、馬団長の方からは、胡錦濤総書記からのあいさつも伝えられた。私がチュニジアの大会に出席することは、中国大使館にも知らせる機会があったから、そういう段取りになったのだろう。こちらも歩きながら謝意を述べ、「連絡をとりあって、会談の機会をもとう」と話し合った。

会場で席について

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立憲民主連合第4回党大会会場の外国代表団席の不破さん(中央)=7月28日、チュニス

 会場は、見本市などを開いたりもするところだそうで、三千人の代議員が並び、舞台に向かってその左手に外国代表団の席がある。団長だけは前の一郭(いっかく)に席が指定されている。イヤホンでフランス語と英語の同時通訳のサービスがあるが、私は、後ろに尾崎さんの席をとってもらい、アラビア語―英語―日本語の二重通訳に頼ることにした。

 両隣はやはりアフリカ勢。名刺を交換したら、右隣はモロッコ代表(立憲同盟の政治局員)、左隣はモーリタニア代表(民主主義・進歩連合の副党首)だった。モロッコは一九五六年に、モーリタニアは一九六〇年に、フランスからの独立をかちとった国である。モロッコの代表が席をたった時、その右隣の人物とあいさつしたが、これは中東レバノンの代表。レバノン政界ではかなりの右派に属する政党のようだった。

 会場の四周の壁には、チュニジアの国旗(赤旗の中央に三日月と星を白い縁=ふち=どりで描きだしたもの)やスローガンの垂れ幕などが張りめぐらされている。

 係の人が配る帯状の赤い布を受け取る。演壇の役員も代議員もみな首にかけているから、外国代表団もそれにならう。大会での連帯の印の意思表示である。

 その情景をカメラにおさめに来たのが、同行の「赤旗」特派員小泉大介さん。カメラを頭上にかかげて、動かない。画面がうまい情景にまとまるのをじっと待っているようだ。見ていると、時間をかけて二度ほどシャッターを切ったあと、引き揚げていったが、これが小泉流か。あとで見ると、なかなかの瞬間をとらえている。

大会ごとに性格づけの合言葉がある

 大会第一日の主要な議事は、ベンアリ大統領の開会演説だが、その基調は、「大志(フランス語でアンビシォン)の大会」という大会の性格づけに示されていた。

 これまでの記録を見ると、一九八七年にベンアリ氏が大統領になってからの党大会には、すべて大会の性格を象徴する合言葉が選ばれている。一九八八年が「救国の大会」、一九九三年が「堅忍不抜の大会」、一九九八年が「卓越の大会」、そして今回が「大志の大会」である。

 開会演説に、その「大志」を具体化した計画や政策がもりこまれているわけではないが、その主眼はなによりも、国民生活の安定的発展にむけられているようだ。大統領演説が、冒頭の部分で、かつての民族独立の任務と独立チュニジアの社会的発展という現在の任務とを一つの流れのなかで表現したことは、その象徴だったかもしれない。

 「この大会をもって、立憲民主連合は、新たな世紀に入る。われわれの活動は、国の解放の時代だけにとどまらない。植民地時代の立憲民主同盟の活動の焦点は、『国土の一ミリでも植民地下にあれば国民の尊厳は不完全だ』という自覚を広めるところにあった。現在われわれは、『みじめな暮らしをしている国民が一人でもいれば、国民の尊厳は不完全だ』という自覚を広める努力をしている」。(つづく)


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