2003年6月24日(火)「しんぶん赤旗」
国立大学の目標や計画の内容に文部科学省が関与し、その達成度の評価を予算配分に連動させる国立大学法人法案(別項)。まさに大学、学問の国家統制法案です。文部科学省はこれまで、「目標や計画は漠としたもの」「個々の研究者の研究内容までは問わない」などと、言い逃れを図ってきました。しかし、実際には「準備」の名目で、各大学に詳細な目標・計画の案の作成、提出を求めてきたことが発覚。参院での審議が十日以上もストップする事態になっています。文科省の大学介入の実態を、現場に見ました。(坂井希記者)
「夏休み返上の作業が、後で全部ひっくり返った」。地方の国立A大学で、中期目標・計画の原案作りにかかわった教員は語ります。
遠山敦子文科相は昨年六月、国立大学長会議で、「志高く(法人化の)諸準備に当たられることをお願いしたい」「準備段階から大学間の競争が始まっている」と号令をかけました。これを受け、A大学では七月中旬から作業を開始。目標・計画の項目の柱を立て、それにそって各学部が案を作り始めました。
この教員の所属する学部では全教官の意見をききながら作業を進めましたが、夏休み中で時間がとれず、学部長のもと数人で作成した学部もありました。「法人化されればこうしたトップダウンが日常茶飯となる」との不安が、学内に一気にひろがったといいます。
文科省からは当初、「できるだけ詳しく書くように」「目標は数値で示せ。そうでなければ後で評価しようがない」との指示が伝えられました。作業は膨大で、困難を極めました。
十一月になって文科省は「中期目標・中期計画の項目・記載事項」を示しました。「望ましい卒業後の進路」「国家試験受験・合格率の具体的目標」「産業界、地域社会との連携の推進方策」などを「必要的記載事項」として列挙したものでした。A大学では、これにそって書き直す作業が必要になりました。
ところがこの文書が「細かすぎる」との声が国立大学協会からあがり、国会でも追及されたため、文科省は十二月、新たな文書「国立大学法人(仮称)の中期目標・中期計画の項目について(案)」を出しました。しかもこのときには「目標や計画は簡略に全学一本にまとめて」「目標は数値化しない」など、文科省の指示は正反対に変わっていました。それまでの作業の多くがムダになってしまったのです。
この教員は「制度の設計もできていないのに突っ走るからだ」と憤りを隠しません。B大学で法人化対策の委員会の担当者を務めた教員も、「まるで月替わりメニュー」と、文科省の右往左往ぶりを証言しました。
法人化後は、「経営の効率化」が厳しく要求されます。運営交付金の一部が、経営効率化の観点から、毎年一定の比率で減額されることも心配されています。
A大学では、特定運営費交付金が毎年1%減額されるとした場合、大学の財政収支がどうなるかを試算しました。その結果、現在は負債はゼロですが、六年後には数億円の赤字が出ることがわかりました。
「億単位で研究費がついたり産業界から金が出たりするのは、旧帝大など一部。上位二十に入れない大学は地をはうしかない」。
厳しい現実に直面したA大学では、とれるところからは全部とる、とばかりに、学生への証明書発行や自転車駐輪場の有料化、図書館の延滞料金の徴収、追試を受ける学生から追試代をとる、などの“金策”がまじめに検討されているといいます。
「文科省は『競争的環境の中で個性輝く大学を』なんて言いますが、実際には文科省の示す項目にそって計画を作るんだから横並びですよ」。前出のB大学の教員が目標・計画作りにかかわっての実感です。
目標・計画の作成という「入り口」と、評価という「出口」の両方で文科省が目を光らせる。法人化後、従来のあり方と決定的に変わるのはこの点です。大学がやりたいことでも、予算がつかないと思えば計画には盛り込めない。やりたくないことでも、教員任期制などは文科省の顔色を見て「やる」と書かざるをえない――。大学への重圧は計り知れません。
「国策にあうかどうかで大学のあり方が左右される。これでは十年後、二十年後の日本の高等教育は絶対によくなりません」(B大学の教員)。日本の学問、教育研究の未来がいま問われています。
国立大学法人法案 全国八十九の国立大学の設置者を法人とする法案。法人化後は、各大学の教育研究から経営にわたる六年ごとの中期目標を文科相が定め、それを達成するために各大学が作成する中期計画も文科相の認可を受けます。目標・計画の達成状況は、文科省内に設置される大学評価委員会および総務省によって評価され、その評価が予算配分に直結し、財政面からも国の関与が強まります。