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2019年5月13日(月)

2019とくほう・特報

15日 沖縄「本土復帰」から47年

続く米軍犯罪 基地なくしてこそ

女性・若者の思いは

 1972年5月15日の沖縄「本土復帰」から47年。基地あるがゆえの繰り返される米軍犯罪、事件が今も続いています。犠牲になるのは女性と子どもです。たたかう女性や若者たちは、「沖縄と本土の連帯で、平和で安心・安全な島を実現するために、基地なくせと一緒に声をあげ行動することだ」といいます。(阿部活士)


 日本が第2次世界大戦で敗戦となった1945年、戦勝国・米軍は沖縄を占領し統治下に置きました。その統治下の沖縄を知る貴重な写真があります。

 道路の真ん中で倒れた子どもの遺体を囲む米兵とたすきをかけた日本人。1965年4月20日、宜野座村で米軍車両が6歳の女の子をひき殺したのです。さまざまな政党や労組、青年団など幅広い団体が結集した沖縄県祖国復帰協議会(復帰協)が主催した統一行進の最中に出くわした悲劇です。

 撮影したのは、写真家の嬉野京子さんです。グラフィックデザイナーの肩書で沖縄への入域許可証(ビザのようなもの)が下り、1カ月間の滞在が許されました。遺体は米軍が持ち去り、親族が遺体引き渡しを望んでも、面倒な手続きが必要だったといいます。

 当時、沖縄は、ベトナム戦争で北ベトナムを攻撃する米軍の前線基地となっていました。「基地抜き本土復帰」が復帰協に結集する県民の要求でした。

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(写真)嬉野京子さん

 嬉野さんは、72年5月、日米両政府が行った復帰式典に抗議する集会に参加しました。会場の与儀公園は大粒の雨がふっていました。「一生懸命運動をして復帰をせっかく勝ち取ったけれど、祝えない思い。ぐちゃぐちゃのぬかるんだ土のうえの無数の足跡を強調しながら撮影した思い出がある」と嬉野さん。

 復帰前と変わったことはなにか。

 嬉野さんは「基地被害や米軍犯罪は変わらないけど、いつでも行ったり来たりできるようになったことが大きな変化ね。沖縄と本土のたたかい方を交流できるようになった。これは大きい」といいます。

性犯罪をまとめ

 米軍は沖縄戦で沖縄に上陸した45年4月から性犯罪を起こしてきました。

 高里鈴代さんや女性史研究者の宮城晴美さんらは、琉球政府文書や証言などをもとに丹念に調べ「沖縄・米兵による女性への性犯罪」という題名の冊子を96年にまとめました。12版まで版を重ね、冊子に出てくる性犯罪は300以上になります。婦女暴行は訴えないと表面化しません。冊子の記録は、米兵による性犯罪の氷山の一角です。

 ・上陸後まもないころ、妻に暴行をしようとした米兵に立ち向かった50すぎの男性、射殺される(本部村)

 ・米兵2人が子づれの女性宅に侵入。逃げた女性を連れ戻し、強姦(ごうかん)(本島北部)

 こうした悲劇は枚挙にいとまがありません。

 新婦人沖縄県本部副会長の宮里節子さんは、那覇・上ノ山中学の2年生だった63年2月、同級生の弟が米兵トラックにれき殺された事件をよく覚えています。「殺された国道58号まで行ってみんなで手をあわせました。なぜ米兵が無罪になったのか疑問に思いました」

 宮里さんは小学校時代、クラスには何人か“黒んぼう”、“白んぼう”といわれた級友がいたし、米兵との間で生まれた子を引き取って育てた親類もいました。「いまから思うと母親はレイプされたと思う。男は怒って離婚するけど、女性は“子は宝”と育ててくれていた。米兵がいるかぎり暴行事件は続くさ。基地はなくさないといけない」

世代間の対話へ

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(写真)元山仁士郎さん

 若い世代は、沖縄の現状をどう思い、行動しているのか。東京にある大学院に復学した「『辺野古』」県民投票の会」代表の元山仁士郎さんは、先の県民投票で「世代間の対話」と「島々の対話」に心掛けたといいます。

 「私たち若い世代が改めて戦争体験者や祖国復帰運動をした親の世代と話し、沖縄戦・戦争と密接不可分な基地について一緒に考え、話しあいました。とくに75歳以上の方が基地をどう思うか、聞くべき話でした」といいます。改めて気づいたのは“戦争体験者が基地のない沖縄を知っている”ということです。今と比べると不便だけどのどかな風景に、戦争をへて基地がつくられた痛みを想像したといいます。

 県民投票は「普天間飛行場の代替施設として国が名護市辺野古に計画している米軍基地建設のための埋め立て」について、反対が投票総数の7割を超える43万余りでした。

 「県民の民意、思いを数に表せたことも大きいと思う。沖縄の人たちの声は当たり前の要求です。米軍基地がなく子どもたちが自由に遊べること。辺野古に新基地はもういらないこともその一つです。基地はないほうがいいし、少ないほうがいい」と元山さん。

行動は広がって

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(写真)「がんばろう」とこぶしをあげる宮里さん(中央)をはじめ新婦人のみなさん=11日、沖縄県名護市辺野古

 47年目の「本土復帰」を前にした11日、辺野古米軍ゲート前。県民行動の日で、各地域の島ぐるみ会議の旗を持って続々集まります。約800人。宮里さんをはじめ新婦人のメンバーもみえます。

 この日の午前には、沖縄で会議を開くという全国青年司法書士協議会のメンバーが座り込み行動に参加。半田久之会長が「身近な法律の専門家を自任する司法書士とすると、政府の辺野古埋め立ては遺憾で、民主主義に反し憲法に違反する。現場をしっかりみて、自治体への意見書要請などに取り組みたい」と連帯あいさつしました。本土の連帯行動は確実に、各分野に広がっています。

 宮里さんは、本土から応援にきた人から「なぜ沖縄のひとは怒らずニコニコやってられるの?」との疑問にこう答えています。

 「カッカしてどうするの。楽しくゆかいにやらないと仲間はできないし、長続きしないさ。ウヤファーフジ(親や祖父の代)の苦労を思ったらいまの苦労は苦労でないさ」


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