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2019年2月4日(月)

主張

ビキニ被災65年

深刻な被害の重みを直視せよ

 南太平洋マーシャル諸島のビキニ環礁でアメリカが行った水爆実験の被災から3月で65年です。

 1954年3月1日未明の水爆実験で被ばくした静岡県のマグロ漁船・第五福竜丸の無線長・久保山愛吉氏が亡くなる衝撃的なニュースに、魚などへの放射能汚染に対する不安も重なり、核兵器反対の世論が一気に高まりました。原水爆禁止を求める署名は有権者の半数近くの3200万人に達し、翌55年には第1回原水爆禁止世界大会が開かれました。

救済に本腰を入れる時

 原水爆禁止運動の原点といわれるビキニ被災は、今日も重要な意義をもっています。

 3月1日のアメリカによるビキニ環礁での水爆実験では、第五福竜丸だけでなく、周辺で操業中の推計1400もの漁船が被ばくしたことが政府文書に記されています。被災した船員は高知県をはじめ各地におよびます。放射能汚染によって、実験場周辺の多くの島民がいまも故郷に帰れず、健康被害に苦しんでいます。放射性物質は太平洋の広範囲に拡散するなど、その被害は極めて甚大です。

 一昨年の核兵器禁止条約成立の原動力は、広島と長崎の被爆者の訴えとともに、こうした核実験被害者の告発でした。ビキニを含め67回ものアメリカの核実験が行われたマーシャル諸島共和国は、禁止条約を交渉した国連会議で、今日まで続く被害を訴えました。それらの声と運動が結実し、核兵器禁止条約は、「核兵器使用の被害者(ヒバクシャ)および核実験の被害者にもたらされた容認しがたい苦難と損害に留意し」(前文)、その「被害者援助と環境回復」(第6条)を義務付けたのです。

 ヒロシマ・ナガサキの実相とともに、ビキニ被災の実態を国内外に広く訴えていくことは、被爆国の重要な責務です。

 ビキニ実験の被災者は、核軍拡競争の犠牲者でもあります。アメリカはソ連(当時)の水爆実験成功(1953年)に対抗して巨大な水爆実験を連続して行い、核兵器開発を加速させました。

 日本の反核世論がその妨げとなることを恐れたアメリカは、わずかな「見舞金」でビキニ被災の「政治決着」をはかり、日本政府も第五福竜丸以外の船舶の被ばくを隠し、被災者を放置しました。米核戦略に追随し、人権を侵害し、公文書を隠ぺいしてきた罪は極めて重いと言わざるを得ません。

 市民団体や学者、被災者の追及により厚生労働省は2014年、存在を否定してきた広範な乗組員への被ばく調査結果を、ようやく公表しました。しかし、国は「健康に影響するような被ばくはなかった」と主張し、被災者らは国家賠償請求訴訟を起こしています。政府は被災の実態にもとづき、被ばく船員たちの救済に本腰を入れるべきです。被爆国の政府としての責任が厳しく問われています。

禁止条約の署名・批准を

 2020年は被爆75年です。被爆者の平均年齢は81歳を超えています。日本政府は一刻も早く、核兵器禁止条約に署名、批准すべきです。ヒバクシャ国際署名運動をはじめ日本と世界の共同行動を発展させるためにも、今年の3・1ビキニデー集会と関連行事(27日~3月1日、静岡市と焼津市)を大きく成功させることが期待されています。


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