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2018年10月21日(日)

米公文書で判明

1965年当時、駐日米大使発言

“日本核配備認められれば沖縄の施政権を返還”

写真

(写真)公表された1965年7月16日付の米国務省会談記録

(拡大図はこちら)

 米軍の支配下にあった沖縄の地位をめぐる米政府内の会合で、ライシャワー駐日米大使(当時)が、日本や沖縄への核兵器配備が認められれば沖縄の施政権を日本に返還しても構わないとの見解を示していたことがわかりました。米研究機関「ナショナル・セキュリティー・アーカイブ」が米情報自由法に基づいて入手し、公開した米公文書に明記されていました。

 沖縄には最盛期に1300発もの核兵器が配備されており、アジア太平洋地域で最大の核貯蔵庫になっていました。これらは朝鮮半島やベトナムなどでの使用が想定されており、米側が沖縄での核兵器維持に固執していたことがうかがえます。

 1965年7月16日付の「琉球諸島における米国の政策」と題した「秘密」指定の会議メモによれば、ライシャワー氏は、日本が(1)沖縄を含む日本の国土に核兵器配備を容認する(2)有事の際に米軍司令官が琉球諸島全体を統制することを保証する―との条件が満たされた場合、「施政権または“全面的な主権”を日本に返還しても、われわれの基地を島(沖縄)に保持できる」と述べています。

 さらに、リーザー陸軍長官(当時)が「沖縄を日本国憲法の制約の外に置くような新たな協定を想定しているのか」と聞いたのに対して、ライシャワー氏は「核兵器は日本の憲法上、禁止されていない」とした上で、「そのようなものは必要だろう」との見解を示しました。

 また、ライシャワー氏は同年11月に予定されていた沖縄の立法院議員選挙(現在の県議選に相当)に影響を与えるための資金工作を提起、自民党の政治家を介して資金を投入することを提案していました。同氏は「日本の保守政治家にとっても、選挙の勝利は死活的に重要」として問題ないとの認識を表明。沖縄に対し、日本の政治家も金をつぎ込むとの見方を示し、「彼らの資金に上乗せしてもらうだけで、完全に秘匿できる」と主張しました。

 ライシャワー氏が想定していた「沖縄を憲法の制約の外に置く枠組み」は、69年11月に佐藤栄作首相とニクソン米大統領(いずれも当時)が交わした沖縄核密約として結実しました。この密約は今日も維持されており、沖縄が今も「憲法の外」に置かれ続けていることを示しています。


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