しんぶん赤旗

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日本共産党

2018年6月24日(日)

きょうの潮流

 お母さんと叫んで、突撃していった少年たち。軍服姿のわが子を探し、山中をさまよった母親。県民を巻き込んだ沖縄戦では身長より大きな銃を抱えてたたかった10代半ばの兵士がいました▼おもに北部の山岳地帯でゲリラ戦を展開するために結成された「護郷(ごきょう)隊」。召集された千人の地元少年を指揮したのは、スパイ養成機関「陸軍中野学校」出身の将校でした。彼らの目的は米軍をかく乱し、本土決戦を遅らせること▼山に潜み、敵陣に夜襲をかける。家屋を焼き、橋を爆破する。勝ち目のない戦場は狂気と化し、無謀な遊撃戦がくり返され、およそ160人が戦死したといいます。秘密部隊だったために詳しい記録は残っていません▼狂気は内部にも。相手のスパイだと疑われた者や、けがや病気で動けない者が上官や命令を受けた仲間の手によって殺される。生き延びた元少年兵は「生まれてこなければよかった」▼来月公開される映画「沖縄スパイ戦史」は、地獄を味わった人びとの証言を通して闇に埋もれた軍隊の真実を掘り起こしていきます。国民を守るどころか、子どもさえ利用し、死に追いやる。それは過去のことではない、歴史を反省しない今につながると▼戦後73年の沖縄「慰霊の日」。犠牲となった少年兵たちと同じ年代の少女が平和の詩「生きる」を歌い上げました。「みんな、生きていたのだ。私と何も変わらない、懸命に生きる命だったのだ/奪われた命に想(おも)いを馳(は)せて、心から誓う。もう二度と過去を未来にしない」


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