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2018年5月26日(土)

主張

イラク日報報告書

これで幕引き到底許されない

 防衛省が23日公表した自衛隊イラク派兵部隊の日報隠蔽(いんぺい)問題に関する調査報告書は、あまりにおざなりで国民の疑念にこたえるものではありませんでした。昨年2月の国会で当時の稲田朋美防衛相が「ない」と答弁したイラク日報が同年3月に見つかりながら、1年以上も報告されなかった異常事態の根本には全くメスが入っていません。報告書には多くの疑問点が残されており、「組織的な隠蔽という事案にはつながらない」(小野寺五典防衛相)と結論付けられても到底納得できません。

文民統制の不全は明らか

 イラク日報隠蔽問題の焦点の一つは、陸上自衛隊研究本部(現在、陸自教育訓練研究本部)で昨年3月27日にイラク日報が発見されていたのに、稲田防衛相になぜ報告がされなかったのかです。

 稲田氏は昨年2月20日の衆院予算委員会で野党議員の質問にイラク日報は「残っていないことを確認している」と答えていました。

 この答弁は4日前の16日に別の野党議員からイラク日報の提出要求を受けて陸上幕僚監部などの一部の課を探索した結果を踏まえたものと報告書は記しています。稲田氏は同22日、イラク日報の再探索を統合幕僚監部に指示したとされます。しかし、そのことを伝える統幕のメールは「つたない文面」で、受け取った側では稲田氏の指示とは認識されませんでした。

 一方、陸幕では16日以降もイラク日報の探索を続けていました。この中で研究本部の総合研究部教訓課の情報公開担当者は前任者からイラク関係の資料はないと申し送りされていたため日報はないと答えます。3月27日にはイラク日報の情報公開請求がありましたが、探索もせずに同30日に不存在と回答します。いずれも上司の教訓課長に報告しませんでした。

 ところが、教訓課では同27日、南スーダン派兵部隊の日報隠蔽問題での特別防衛監察の開始を受けて探索が行われ、課長らがイラク日報を発見していました。上司の総合研究部長はイラク日報発見の報告を指示しますが、教訓課長は必要ないと答えます。結局、陸幕には報告が上がりませんでした。

 関係者の対応は極めて不自然で、しかも、報告書はその意図や動機に一切触れていません。

 それでも浮き彫りになるのは、国会の質問や資料要求、情報公開請求などへのずさん極まりない対応であり、軍事を政治の下に置くシビリアンコントロール(文民統制)の機能不全です。安倍晋三政権の責任は免れません。

 当時は、南スーダン日報の組織的隠蔽が大問題になっていました。その上、稲田氏が「ない」と答弁したイラク日報の存在が明らかになれば問題がさらに拡大するのは必至でした。そのためイラク日報の存在が隠されたのではないかという核心について、報告書は何も言及していません。そもそも稲田氏がイラク日報の再探索を実際に指示したかも調査の対象外です。

緊迫期の日報は依然空白

 陸自のイラク日報は今年4月に初めて一部が公表されましたが、現地情勢が最も緊迫したとされる2004年3月~05年3月分はほとんどありません。激戦地バグダッドなどに米兵らを空輸した航空自衛隊の日報はわずか3日分3ページです。これで幕引きが許されないのは言うまでもありません。


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