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2018年4月18日(水)

イラク日報が語る「戦場の真実」

「戦闘」少なくとも9カ所 「日本隊 標的となる可能性」

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(写真)「戦闘が拡大」の記載がある陸上自衛隊イラク派遣部隊日報の写し

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(写真)陸上自衛隊イラク派遣部隊の車列付近で、路上爆弾が爆発した際の被害状況や現場の写真が掲載された日報の写し

 防衛省が16日に開示した陸上自衛隊イラク派兵日報は、多くの部分が黒塗りで隠される一方、「戦闘」や「銃撃戦」といった文言のほか、陸自が活動していたサマワの情勢に関して、ロケット弾や迫撃砲の発射、小火器射撃などの言葉が躍り、隠しきれない「戦場の真実」が浮かび上がっています。「自衛隊の活動地域が非戦闘地域」だという説明の虚構は明白です。

 開示された日報のうち「戦闘」が使われたのは少なくとも9カ所ありました。最初は2004年9月22日。イラク全国の状況を示したページで「一部地域において多国籍軍との戦闘により襲撃が継続」と記しました。

 05年8月21日には、イスラム教シーア派指導者サドル師のサドル派民兵が「より広範囲における攻撃的な戦闘を正当化しようとしている」と記述。同月24日にはサドル師がサドル派民兵に対して「戦闘の停止を命じているものの民兵組織は存続している」と記録しました。

 同年9月19日は、金曜礼拝の様子を記す中で、「シーア派に対する宣戦布告に関連した発言が多くみられたが、テロに対する警戒の注意喚起であり、戦闘を呼びかけるものではないとみられ」と分析しました。

 戦闘の様子を生々しく描いたのが、陸自が活動していたサマワの治安情勢に関するものでした。06年1月22日の日報は、前日に起きた「英軍と武装勢力の銃撃戦」の様子が克明に記されています。(別項1)

 英軍に対し小火器射撃、爆発。小火器射撃を受け応射(死亡2、負傷5)。サドル派事務所付近に英軍車両が停車し、周囲をパトロールし始めたことに反感をもったサドル派民兵が射撃し始めたことに端を発して、「戦闘が拡大」。イラク警察検問所200メートル付近でIED(即席爆発装置)爆発。小火器及びRPG(ロケット砲)をもった武装勢力と交戦、死亡3、負傷5と明記。さらに、サドル派には「多国籍軍排除」の意図があるとしており明確な「戦闘」の意思があるとみなしています。

着弾・射撃

 陸自部隊自身が戦場の脅威にさらされた様子もつづられています。サマワの陸自宿営地は何度も攻撃の標的となりました。

 05年7月4日には宿営地付近にロケット弾が着弾。日報は「連続発生の可能性は否定できず」と記載。この事案を受け、イラク復興支援群長が作戦会議で「対応として■ができないか検討せよ。■という観点からも、早急に検討を進めるようにせよ」(*■は黒塗り)と指導しています。

 「宿営地南側付近において弾痕を確認」(05年11月7日)、「ボンという発射音と共に飛翔音らしき音を確認」(05年12月12日)、「宿営地に曲射火器による射撃がなされた」(06年3月29日)など危険にさらされ続けました。

 群長が「ここはイラクなのだということを再認識し隊員にも徹底せよ」と口にしたのが05年6月23日のサマワの郊外を走っていた陸自車両の付近で起きた爆発でした。(別項2)

 高機動車など4両の車列の3両目右前方付近で爆発が発生。フロントガラスにヒビ、ミラーは割れ落ち、車体に無数のキズが入りました。

 日報は車両の写真を載せるとともに、「爆風で飛ばされた石が当たってできたと思われるキズ多し」「こぶし大~細かい石が散乱」と記しました。

 群長はミーティングで「深刻に考える必要がある」「各指揮官等は、隊員のアフター・ケアを重視せよ」と指導しています。これにより、陸自は短期間ですが宿営地外での活動自粛に追い込まれています。

 日報はこのほか、車両への投石や国旗への落書き、陸自に対する抗議行動なども記述しています。

 サマワでは多国籍軍やイギリス軍、イラク警察、民間人などへの射撃や爆弾攻撃など繰り返し起きていました。06年1月15日、サマワ市内で、徒歩でパトロールしていたイギリス軍が何者かから小火器射撃15~20発を受けました。

 日報はこの事件について、「市街地には射撃位置に適する地点が多数あり、下車して活動する隊員は脆弱(ぜいじゃく)である」として、下車して活動する際には警戒・監視や車両などによる防護などが必要だと記述しています。

恐怖と苦悩

 06年7月に撤退を開始してからも陸自の過酷な状況は続きます。7月8日の日報は「■に対する間接射撃攻撃」と記し、「射撃発射地点であるサマワ市東方付近は、一般に治安が良くなく」として、「日本隊が標的となる可能性はある」と書いています。

 7月12日には宿営地の南西約4キロにロケット弾とみられる弾着がありました。日報は「引き続き撤収に当たっては、間接射撃等に対する注意が必要」としています。

 戦場の苦悩がつづられていたのはサマワの隊員だけではありませんでした。

 05年10月10日の日報はバグダッドに派遣されていた隊員が、床屋で散髪をしたところ髪が変色して抜け始めました。医務室からは「IED攻撃を受けた後、コンバットストレスのため、髪が抜ける等の症状が出ている」との回答があったといいます。

 イラク南部バスラに派遣された隊員は、06年4月17日の日報で「ここバスラでもロケット弾攻撃を受け、脅威に対して敏感になっていると感じる。『ドアの閉まる音』(着弾音に非常によく似ている)にも反応するようになる」とその心情を吐露しています。

 《別項1》【英軍と武装勢力の銃撃戦】(21日)1622、ポリス通りで英軍に対し小火器射撃、爆発。1630、小火器射撃継続。イラク警察との共同パトロールを実施、小火器射撃を受け応射(死亡2、負傷5)。1630頃、サドル派事務所付近に英軍車両が停車し、周囲をパトロールし始めたことに反感をもったJAM(サドル派民兵)が射撃し始めたことに端を発して、戦闘が拡大

 《別項2》6月23日0900羊4叉路から東へ約500m付近 復興支援現場に向かう途中の陸自車列(4両:軽装甲機動車・高機動車・高機動車・軽装甲機動車)が西から東へ走行中、3両目右前方付近で爆発 人員・武器:異常なし 車両:3両目フロントガラス(2重ガラスの外側)にヒビ、キズ及び右ドアノブ付近に凹み

憲法にも特措法にも違反

「『非戦闘地域』要件満たす」成り立たない

 小野寺五典防衛相は17日の記者会見や国会での質疑で、イラク日報に「戦闘」という文言が複数記述されていることについて、「非戦闘地域」の要件を満たしていると強弁しています。

 その理由は(1)イラク特措法第2条3項に定められている「戦闘行為」は、国際的な武力紛争の一環として行われる殺傷・破壊行為である(2)日報に書かれている「戦闘」事案はテロ行為など、国内的な治安問題にすぎない。「国又は国に準ずる組織」によるものではない―というものです。

 しかし、これらは「派兵ありき」で無理やり作り出した虚構の論理にすぎません。そもそも、イラク戦争は同国内での多国籍軍と旧政権残党など各種武装勢力との「戦闘行為」であり、伝統的な国家間紛争とは全く様相が異なります。首相官邸でイラク派兵を仕切っていた柳沢協二・元内閣官房副長官補も著書のなかで「イラクのような『国内戦』においては、『非戦闘地域』という概念の適用にはそもそも無理があった」(『官邸のイラク戦争』)と自省しています。

 航空自衛隊による武装米兵の空輸を「憲法9条1項に違反する」と断じた2008年4月の名古屋高裁判決は陸自の活動にも厳しい評価を与えています。

 判決は、イラク全土で戦闘が続いていることをあげ、「サマワだけが例外的に『非戦闘地域』であったといえる根拠はどこにもない」と指摘しています。

 その上で、「復興支援」という名目であったとしても、陸自が占領軍・多国籍軍の一員としてサマワに駐留を続けており、その陸自を狙った攻撃が相次いでいることから、「他国との武力行使との一体化」を避けるというイラク特措法の制約は破られており、「憲法9条に適合するように厳格に解釈されたイラク特措法にも違反し、結局、(海外での武力行使を禁じた)憲法9条1項に反する」と明快に指摘しています。

 今回、明らかになったイラク日報の「戦闘」発生の文言と照らし合わせれば、こうした指摘の説得力はいっそう増しています。

 政府は虚構の論理にしがみついてイラク派兵を正当化することをやめ、米国を含む諸外国のように、イラク派兵の全面的な検証に踏み出すべきです。

未公開・黒塗り多数 全面開示を

 防衛省は16日に陸上自衛隊イラク派兵部隊の日報435日分を公開しましたが、これらは約5年におよぶイラク派兵のごく一部にすぎません。例えば、迫撃砲やロケット弾などによる宿営地やその周辺への攻撃が集中した2004年4月~12月については2日分しか公表されておらず(表)、意図的に削除した疑いさえぬぐえません。公表された日報も黒塗りが目立ちます。

 また、6日に存在が発表された航空自衛隊イラク派兵部隊の日報は04年3月6~8日の3日分しか公開されていません。空自は激しい戦闘が続いていた首都バグダッドなどで武装米兵などの空輸を行っていました。

 今回、公開された日報で「戦場の真実」の一端が明らかになりましたが、全体の解明はほど遠いと言えます。

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