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日本共産党

2018年3月16日(金)

シリーズ 憲法の基礎

9条改憲 最初から米国発

 日本国憲法が施行されたのは1947年5月3日でした。驚くべきことに、翌48年2月には、憲法9条改定の動きが始まっていました。震源地は米国の軍部でした。

 米国のフォレスタル国防長官が「日本と西ドイツの再軍備」研究の指示を、ロイヤル陸軍長官に対して発出。同48年5月18日付で「日本の限定的再軍備」という覚書が、ロイヤルからフォレスタルに返されました。

 そこでは、「軍事的観点からだけ見れば、日本の軍隊を創設することが望ましい」とする一方、それは日本の新憲法改定や、米国など占領軍の占領目的を定めたポツダム宣言の破棄を必要とするため「実際的でない」とし、「限定的再軍備」と提起したのです。

 どういうことか――。「中央の統制下にある既存の国家地方警察」の早急な拡大を追求し、これを「後日問題になる可能性がある日本の軍隊の組織化のための媒体」と位置づける。そして「連合国による占領の終結あるいは大幅な削減にあたって日本の限定的な再軍備を最終的に確立するための計画を、現時点で準備しなければならない。この軍隊は、米国によって組織され、初期の訓練を受け、厳格に監督されなければならないし、国内の治安維持、外部からの侵略に対する地域的な防衛行動への従事、国家的威信の回復への貢献などを目的とする」としたのです。

 そのうえで、「防衛のための日本の軍備を最終的に認めるという見地から日本の新憲法の改定を達成するという問題が探求されるべきである」としました。

 日本に軍隊を持たせるには、新憲法の改定などが必要で、すぐにはやれない。そこでまず「警察力」の形で軍隊に準ずる組織をつくり、それを育てつつ将来本格的軍隊を持たせ、改憲の準備をしていくという長期方針を示したのです。この方針は、若干の修正を経て49年2月に米軍の統合参謀本部、つまり軍最高指導部の決定となりました。

 1950年に朝鮮戦争が勃発すると占領軍司令官マッカーサーの命令で警察予備隊がつくられ、52年には保安隊に改組。54年には自衛隊となります。この流れが9条改憲の一貫した原動力となったのです。(随時掲載)


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