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2017年11月24日(金)

きょうの潮流

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 〈漂泊(さすらひ)の信濃びとわれ東京のこの地に生きて世を終へむとす〉―長野県の農村に生まれ、50年以上を東京都文京区で暮らした歌人・窪田空穂(くぼたうつぼ)(1877〜1967年)の生誕140年・没後50年を記念して、文京ふるさと歴史館で特別展が開かれています▼生涯に1万4千首以上の歌を詠んだ空穂。青天に映える春の桜、照り返す夏の若葉、夕日を集める秋の紅葉、白い富士山を望む冬の椿(つばき)などが、湯島天神や護国寺、住まいのある目白台を背景に細やかに歌われ、それは日々の生活を慈しみ、精いっぱい生き抜こうとする強い意志そのものに感じられます▼故郷で代用教員をしていた頃の教え子だった妻を三女の死産に伴って亡くし、47年に次男がシベリアで戦病死した空穂は、愛する者たちの命を惜しみ、そのかけがえのなさを歌に刻み続けました▼長歌「捕虜の死」は、生死不明だった次男の最期を帰国した戦友に知らされ詠んだ痛恨の挽歌(ばんか)です。極寒の土室の収容所で、高粱(こうりゃん)の粥(かゆ)に下痢は止まらず、着た切りの軍服に巣くうシラミにたかられ、チフスでもだえながら死んだというわが子を描出します▼「子を憶(おも)ふ」と題した歌〈いきどほり怒り悲しみ胸にみちみだれにみだれ息をせしめず〉にやり場のない憤怒と苦悩を込め、晩年になっても〈死にし子の年を数ふる愚かさをしばしばもしぬ愚かなり親は〉と詠んだ空穂▼この慟哭(どうこく)を今、胸に焼き付けたい。子が殺されることも、わが子を殺され親が嘆き続けることもない社会の実現に向けて。


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