2017年9月20日(水)
沖縄新基地阻止に挑む
ハンセン病元患者両親の思い胸に
大宜味村在住 1級土木施工管理技士 奥間政則さん(51)
ハンセン病元患者の両親の痛切な思いを胸に、沖縄県名護市辺野古、東村高江での政府による米軍基地建設の無謀な工事を告発し続けている人がいます。大宜味村(おおぎみそん)在住で1級土木施工管理技士の奥間政則さん(51)です。(山本眞直)
|
奥間さんは名護市屋我地島(やがじしま)と今帰仁村(なきじんそん)の離島、古宇利島を結ぶ大型架橋の古宇利大橋などの難工事に携わったことを誇りとしてきた土木技術者です。
基地問題には深い関心を持っていなかった奥間さんが米軍基地問題に関わるきっかけとなったのは2015年5月、那覇市での新基地建設反対県民集会に参加したことでした。
「県民の反対を無視した政府の強行な態度へのわじわじい(沖縄の方言で腹立たしい、の意味)する思いと集会の熱気にふれ、土木屋の立場で踏み出せないジレンマがあったが、覚悟を決めた」
父の手記と証言
その思いの奥底には父の手記と証言(名護市のハンセン病療養所の証言集)がありました。
手記には復帰後も変わらない米軍基地の存在への怒りの言葉がありました。元那覇市長の翁長雄志氏が「新基地は作らせない」と党派を超えたオール沖縄での県知事選立候補にふれ、「辺野古の飛行場は二百年はもつといわれている。(略)あと二百年は遠過ぎる」と。
屋我地島の北端に位置する沖縄愛楽園はハンセン病患者(元患者を含む)のための国立療養所で、父が最初に入所した施設です。園内には療養者の「納骨堂」、「声なき子供たちの碑」があります。
療養所では、らい予防法(1996年廃止)で患者同士の結婚は禁じられ、男性は断種、女性が妊娠した場合は強制的に中絶・堕胎されました。
同碑は、闇に葬られた新生児がまつられています。奥間さんは同碑を見つめながら言いました。「父が愛楽園で結婚していたら、自分は両親との出会いはなかった。あっても生きていられなかった」 奥間さんは、父親が愛楽園から移った奄美大島(鹿児島県)の和光園で療養中の女性と結ばれ、当時の園長がキリスト教者で出産も認めていた同園で生まれました。両親は2000年から愛楽園に再入所。父親は昨年、亡くなりました。
「土木屋の誇り」
|
3年ほど前に、父親が手書きで執筆した手記をパソコンで打ち直す作業を始めました。そうした中で、愛楽園に完成した交流会館に足を運んだ時でした。
元患者たちの証言集を見せられ、その中に父の証言もありました。まじめに働く意欲があっても、ハンセン病後遺症の曲がった指を見られれば、差別と偏見による嫌がらせが始まり職場を転々とした体験など、両親が口にすることのなかった数々がつづられていました。
奥間さんは、言います。「父は私や母に暴力をふるい、酒におぼれるというどうしょうもない人間だと見下げて、親子の会話もなかったが、父の苦労、抑えきれない怒りやくやしさを初めて知り、涙が止まらなかった」
「声なき子供たちの碑」の先、エメラルドグリーンの海原を横切る古宇利大橋。奥間さんが担当した橋脚工事は、琉球石灰という地盤の弱い地質で難工事の連続でした。新基地予定の大浦湾も海底の地質は複雑で巨大な基地を支える護岸工事は危険視されています。
奥間さんは土木技術と知識をフルに発揮、新基地建設での護岸工事などでのずさんな設計を指摘し、防衛局を追及しています。
辺野古のゲート前。自慢の土木作業着姿でマイクを握る奥間さんの“口癖”が響きます。「土木屋の誇りにかけて、豊かな海を壊し、戦争のための軍事基地をつくらせない」