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2017年8月13日(日)

日航機墜落32年

利益より命 風化させない

追悼登山 空の安全願う

群馬・上野村 御巣鷹の尾根

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 乗員乗客520人が犠牲となった1985年の日本航空ジャンボ機123便の墜落事故から32年となる12日、事故現場の群馬県上野村の御巣鷹(おすたか)の尾根を遺族らが登山し、犠牲者を追悼するとともに空の安全と事故根絶を願いました。(田代正則、原千拓)


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(写真)「昇魂之碑」の前で日航機事故犠牲者を追悼する親子=12日、群馬県上野村

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(写真)人の命を第一に考える社会を求める日航機事故や事故、災害の遺族たち=12日、群馬県上野村

 救助隊が到着した付近にたてられた「昇魂之碑」には、高齢をおして登山した遺族と、その子どもや孫たちが一緒に手を合わせる姿がありました。それぞれの墓標の前で、昼食をとり、家族の時間を過ごす遺族もいました。

 事故で父=当時(45)=を亡くした女性(49)は、高校2年生と小学6年生の子どもと一緒に登りました。

 「私が自分で登りたいと言いました」と高校2年生。「将来、先生になりたい。子どもたちに、事故で小さな命がたくさん奪われたこと、二度と事故を起こしてはいけないことを伝えたい」と夢を語りました。女性は、「子どもたちには、折りに触れ、事故の話をして、今を一生懸命生きるよう言っています」と話しました。

 父=当時(58)=の追悼に訪れた男性(62)は「いつのまにか、父の年を超えた。何回か大病もしたが乗り越え、父に生かされている気がしています」と言います。墓標に「また来年もくるよ」と声をかけて山を下りました。

 前橋市の男性(49)は、川上英治さん=当時(41)=一家と、父を通じて親交がありました。川上さん家族は4人が事故に遭い、長女の慶子さんが生存しました。

 「私自身も当時、この近くの藤岡工業高校の生徒でした。学校の体育館が遺体安置所につかわれた。ひとごととは思えません」

 「事故には、未解明のことが残されている。そのことも含めて一般の人たちに伝えてほしい。私も風化させないため、年1回登りたい」と強調しました。

 「姉が好きだった」という赤いバラの花束を持った男性(60)は、客室乗務員として乗務していた姉=当時(31)=を亡くしました。「事故を忘れてしまえば、また過ちを繰り返すかもしれない。風化させないでほしい」と話しました。

 御巣鷹山には、さまざまな事故や災害の遺族も登山し、利益より命と安全を大事にする社会を共につくろうと誓い合っています。

 JR福知山線脱線事故で娘を亡くした藤崎光子さん(77)は、「ここに来ると、いろいろな事故遺族とつながり、励ましあえます。安全を大切にする世の中をつくるため、私たち遺族が声をあげていかないといけないと思っています」と話しました。


 日航ジャンボ機墜落事故 1985年8月12日、羽田発大阪行き日本航空123便(ボーイング747型機)が操縦不能になり、午後6時56分に群馬県上野村の「御巣鷹の尾根」(標高約1565メートル)に墜落、乗客乗員524人のうち520人が死亡しました。単独の飛行機事故では現在も世界最悪の犠牲者数。遺族でつくる「8・12連絡会」によると、家計の「大黒柱」を失った世帯は189に上り、22世帯は一家全員が死亡しました。


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