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2017年4月9日(日)

「核兵器禁止条約の国連会議」に参加して

志位委員長の報告

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 7日に日本共産党本部で開かれた「『核兵器禁止条約の国連会議』報告会」での志位和夫委員長の報告は次の通りです。


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(写真)報告する志位和夫委員長=7日、党本部

 参加されたみなさん、こんばんは(「こんばんは」の声)。インターネット中継をご覧の全国のみなさんにも、心からのあいさつをおくります。

  (志位氏は、報告に入る前に、4月7日、「米国トランプ政権によるシリア攻撃について」と題する談話を発表したとのべ、その内容を紹介しました)

 3月27日〜31日にニューヨークの国連本部で開催された「核兵器全面廃絶につながる、核兵器を禁止する法的拘束力のある協定について交渉する国連会議(第1会期)」に、日本共産党は、私を団長とする代表団を派遣しました。

 日本共産党代表団は、「国連会議」に、「核軍縮・不拡散議員連盟(PNND)」の一員として公式に参加し、「要請文」の提出、「文書発言」、演説を行うとともに、「国連会議」主催者、参加した各国政府・NGOなどと個別に懇談・要請の活動を行いました。

 わが党の活動は、日本政府が「国連会議」への不参加を決めるもとで、日本被団協、日本原水協などの活動とともに、被爆国日本の国民の声を国連に届ける意義をもつものとなりました。また、わが党の行った要請の内容は、「国連会議」の目的とかみあい、多くの参加国の思いと響きあうものとなり、会議の成功にむけた貢献となったと考えるものです。

 私たちは、会議に先立って3月22日には米国に入り、4月1日に帰国するという長丁場の出張となりましたが、この会議で私たちはたくさんの感動を体験しました。その感動を、私たちだけのものにするのはあまりにもったいないので、日本でたたかう仲間のみなさんにぜひ伝えたい。そう考えて報告会を行うことにいたしました。

 日本共産党代表団の活動は、すべての団員の一体となった奮闘によって支えられたものですが、私が、代表して活動の報告をしたいと思います。

一、「国連会議」の画期的、歴史的意義について

 まず、この「国連会議」の全体的な特徴について報告します。

 「国連会議」の参加国は115カ国を超えました。地域機構や準地域機構――アフリカ連合(AU)、アラブ諸国、中南米カリブ海諸国共同体(CELAC)、東南アジア諸国連合(ASEAN)などが参加し、地域からのステートメント(演説)を行いました。広島の被爆者、世界の核実験被害者の証言が行われ、市民社会――NGO、国会議員、研究者などが会議成功のために積極的役割を果たしました。

 今回の「国連会議」は、戦後の国際政治のうえでも、文字通りの画期的、歴史的意義をもつものとなっています。

歴史初の核兵器禁止条約締結にむけた多国間国際交渉の開始

 第一は、戦後の歴史で初めて、核兵器禁止条約締結に向けた多国間の国際交渉が開始されたということです。日本共産党は、国内外の反核平和運動と協力して、この間、一貫して、「核兵器禁止条約の国際交渉の開始を」と求め続けてきました。それがついに現実のものとなったのがこの「国連会議」にほかなりません。

 「国連会議」では、核兵器を禁止する法的拘束力のある文書について、「原則と前文」、「中核となる禁止事項」、「制度的取り決め」などについて、「生産的、建設的、効果的な形で話し合い」(エレン・ホワイト議長)が行われました。会議の参加者による討論は、きわめて真剣で、集中した、熱のこもったものとなりました。最終日は、第1会期の閉会をつげるホワイト議長に対し、拍手が鳴りやみませんでした。私も参加して、歴史的な条約がつくられていくプロセスを目のあたりにして、強い感動をおぼえました。

 この「国連会議」を生み出したものは何だったか。「国連会議」のエレン・ホワイト議長は、私たちとの会談で、「二つの要素が重なった」と説明しました。

 一つは、「核兵器の非人道性に対する理解が、国際社会の共通認識になった」ことです。広島・長崎の被爆者の一貫した告発、核兵器の非人道性を追及するノルウェー、メキシコ、オーストリアで開かれた3回の国際会議などを通じて、「意図的であれ偶発的であれ核爆発が起これば、被害は国境を越えて広がり」、「どの国、どの国際機関も救援の術(すべ)を持たない」、人道的災厄をもたらすことが共通認識となりました。

 いま一つは、「国連を含む多国間会議の場における核軍縮議論のこう着状態への不満の高まり」であります。国際社会は、2000年のNPT(核不拡散条約)再検討会議で、「自国核兵器の完全廃絶を達成するというすべての核保有国の明確な約束」を確認しています。2010年のNPT再検討会議では、「核兵器のない世界を達成し維持するために必要な枠組みを確立するための特別な取り組みを行う」ことを合意しています。これらは核保有大国も含めた全会一致の合意でした。ところが、その後、核保有大国は、自ら行ったこれらの誓約に背いて、核兵器廃絶を永久に先送りし、自国の核軍備を近代化・強化する態度をとっています。

 核兵器の非人道性が国際社会の共通認識になった、にもかかわらず一握りの核保有大国が核兵器廃絶に背を向けている――ならば、ここは国連と市民社会が、核兵器禁止条約にむけて一歩踏み出そうではないか。こうした「二つの要素が重なって」、この「国連会議」を生み出したのであります。

 私は、これにくわえて、核兵器の全面禁止・廃絶を求める国際署名に、この10年あまりで、世界でのべ5000万人以上が賛同を寄せた。これらの草の根からの世論と運動こそ、この画期的な「国連会議」を生み出した根本の力だということを強調したいと思います。

各国政府と市民社会によって構成された会議――被爆者の声が世界を動かした

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(写真)被爆体験を語る被団協事務局次長の藤森俊希さん=3月27日、ニューヨーク(加來恵子撮影)

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(写真)発言する被爆者のサーロー節子さん=3月28日、ニューヨーク(加來恵子撮影)

 第二に、「国連会議」は、各国政府と市民社会によって構成された会議となりました。政府だけでなく市民社会の役割を重視することは、国連の良い伝統になっていますが、国連の核軍縮交渉の会議が、各国政府とともに市民社会によって構成されたのは初めてのことであり、その点でもこの会議は画期的なものとなりました。

 会議では、1日15分間ですが、市民社会代表の演説の枠が設けられ、各国政府代表は真剣に耳を傾けました。とりわけ被爆者、世界の核実験被害者の証言は、会議参加者に多大な感銘を与え、会議の道徳的・倫理的な方向性を示すものとなりました。

 生後1年4カ月の幼児の時期に広島で被爆した藤森俊希被団協事務局次長は、会議初日の3月27日に演説しました。藤森さんは、「私が奇跡的に生き延び、国連で核兵器廃絶を訴える。被爆者の使命を感じます。同じ地獄をどの国のだれにも絶対再現してはならない」と訴えました。

 広島で被爆しカナダ在住のサーロー節子さんは、会議2日目の28日に演説しました。サーローさんは、涙で声をつまらせながら、「将来世代だけでなく、広島や長崎で亡くなった被爆者の思いも心に刻んで交渉してほしい」「この条約は世界を変えるし、変えられます。私たち被爆者はそう確信していることを知ってほしい」と語りました。

 2人の被爆者の訴えには、会場から割れんばかりの大きな拍手がわきおこりました。各国政府からの発言でも、被爆者の発言への共感、感動が多く語られました。ホワイト議長は、最終日に、「今週われわれと一緒にいてくれた被爆生存者のみなさんに感謝しています。彼らは核兵器の非人道的な影響をわれわれに鮮明に思い起こさせてくれました」と熱い感謝の気持ちをのべました。被爆者の声が世界を動かした。これが会議に参加した実感でありました。

 日本原水協の代表団も奮闘しました。土田弥生事務局次長は、サーロー節子さんと並んで2日目に演説しましたが、土田さんの演説にも会場から大きな拍手がおこりました。私たちが懇談した外交官からも「良い発言だった」との評価を聞き、うれしい思いでした。原水協は、国際舞台、特に国連の場に、長年にわたって被爆国の声を伝え、核兵器廃絶の署名を届けてきました。そのことによって大きな存在感、市民権を得ていることを感じました。

 会議では、インタラクティブ・ダイアローグ(相互対話)という討論方式もとられました。研究者、科学者、市民社会の専門家がパネリストとなり、彼らの意見や提案をまず聞いてから、政府代表や市民社会代表が議論を深めるという方式です。これは新しい試みとのことですが、文字通り、世界の世論、世界の英知が核兵器禁止条約をつくっていくという会議となったのであります。

世界の本流と逆流が鮮やかに浮き彫りになった

 第三は、「国連会議」をめぐって、世界の本流と逆流が鮮やかに浮き彫りになったということであります。

 会議初日の3月27日、米国のニッキー・ヘイリー国連大使は、英国やフランスの大使など約20カ国の大使とともに議場の外にならんで、「国連会議」と核兵器禁止条約に対する異常な攻撃を行いました。よく国連総会議場で国際会議が行われるさいに、NGOが議場の外でサイド・イベントなどを行いますが、この会議では、NGOは各国政府とともに議場の中にあって会議に参加し、米国が一部の国とともに議場の外で抗議する。立場が入れ替わってしまったのが、何とも印象的で、また痛快でもありました。

 米国などの行動は、彼らの危機感、焦燥感のあらわれにほかなりません。私たちは、長く国連軍縮担当上級代表を務め、原水爆禁止世界大会にも何度も参加した、ブラジルの練達の外交官、セルジオ・ドゥアルテさんとつっこんで意見交換をする機会がありました。彼は、現在の状況についてズバリ、「おもしろいことに、P5(核保有5カ国)が初めて守勢に回っています」とのべました。彼は、「核保有国、とくにP5は、すでに反対という立場で参加しているのです」とものべました。核保有大国が「初めて守勢に回っている」。「国連会議」を無視することができず、攻撃のキャンペーンをやらざるを得なかったことは、「すでに反対という立場で参加している」ことを意味する。ドゥアルテさんのこの指摘は、長年にわたって核軍縮交渉の最前線で働いてきた方ならではの卓見だと感じました。

 米国のヘイリー国連大使は、「核兵器禁止条約は非現実的だ」と攻撃しました。しかし、非現実的で無力なものなら、なぜわざわざ攻撃のキャンペーンをやるのか。異常な攻撃をやらざるをえなかったこと自体が、「国連会議」と核兵器禁止条約のもつ現実的な力、その画期的な意義を証明するものではありませんか。米国と一部の国ぐにの行動は、皮肉なことに「国連会議」の価値をいっそう高めるものとなったのであります。

 日本政府は、会議に出席しながら、「交渉には参加しない」と表明しました。私は、発言した高見沢軍縮大使と面談し、「会議に参加するならば、核兵器禁止条約の交渉という国連総会が決めた任務にそった行動をすべきです。自分たちの主張を宣伝する場に利用すべきではない。いまからでも核兵器禁止条約に反対という立場を改めるべきです」と批判しました。そうすると高見沢氏は「参加したのではありません」という。それでは何かと聞くと「出席です」という(笑い)。理解不能な説明ですが、日本政府が最後まで迷いながら、ともかくも出席せざるをえなかったのは内外の世論に追い詰められた結果であります。

 同時に、不参加の表明は、多くの参加国、参加者の批判を招きました。被爆者の藤森俊希さんは、日本政府の姿勢について「心が裂ける思い」と語りました。サーロー節子さんは、「母国に裏切られた」、「交渉に全面的に参加する能力のない日本政府を糾弾したい。彼らは外国の要人を広島に呼び、核兵器による惨状を知ってもらうことで核軍縮の重要な役割を果たしているといいますが、米国の核の傘に入り続けていては、それは口先だけで責任逃れの行為にしかなりません」、「そうではなく、日本国民の意思に応えて自主的な立場をとるべきです」と訴えました。

 会議の初日の議事が終わったのち、私たちが、不在だった日本政府席に行くと折り鶴が置かれ、そこには「あなたがここにいてくれたなら」と書かれていました。私が、それを写真に撮り、ツイッターに投稿すると、大きな反響がありました。この折り鶴は、NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」のメンバーがつくったとのことですが、これは会議参加者の、またこの会議に期待と注目を寄せる多くの人々の共通の思いだったのではないでしょうか。

 日本政府は、「国連会議」に参加しない理由として、「核保有国が参加しないもとで禁止条約をつくることは、核保有国と非核保有国の分断を深める」と弁明しました。たいへん腹立たしく、情けない議論であります。私は、現地での記者会見で、こうした日本政府の態度について問われ、次のように批判しました。

 「今回の『国連会議』は、すべての加盟国に参加を要請しており、オープンでインクルーシブ(包括的)の精神で運営されていることを実感します。(日本政府は)『分断』というが、私は逆だと思います。2000年、2010年のNPT再検討会議で全会一致で確認した『核兵器のない世界』への誓約を破って、核軍備増強に走り、『分断』をつくっているのは核保有大国とそれに追随する一部同盟国の側ではありませんか。『核兵器国が参加しないもとで禁止条約をつくることは分断をつくる』という反対論は、つまるところ『核保有国が反対することは何もするな』という追随と従属の議論にほかなりません。唯一の戦争被爆国の政府が唱えるべき議論ではありません」。

 なお参加国でいいますと、北朝鮮は「国連会議」の招集を決めた国連総会決議に賛成しながら、会議に参加しませんでした。これは、核兵器禁止条約が実際に制定される段階で、この条約に賛成するならば、核兵器を放棄しなければならなくなるからです。これは、核兵器禁止条約が、北朝鮮に核兵器放棄を迫るうえでも大きな威力をもつことを示しています。北朝鮮は、「国連会議」の招集に賛成しながら、参加しなかったという大きな矛盾を抱えることになりました。日本政府は、「北朝鮮問題があるから、核兵器禁止条約に賛成できない」と弁明しますが、論理がまったく逆であります。北朝鮮の核問題を解決するためにも、禁止条約によって、核兵器を「違法化」し、この兵器に「悪の烙印(らくいん)」を押すことが重要なのであります。

 「核兵器のない世界」をめぐって、国連を舞台として、世界の本流と逆流が鮮やかに浮き彫りになりました。日本政府が唯一の戦争被爆国の政府でありながら逆流のお先棒を担いだことと対照的に、日本共産党が多くの政府代表、市民社会代表とともに本流のなかで役割を果たしたことは大きな意義があったと、私は、考えるものであります。(拍手)

二、日本共産党代表団の活動について

私たちの活動の概要――「要請文」、「文書発言」、演説

 次に、日本共産党代表団の活動について報告いたします。私たちは、「国連会議」に参加し、会議の成功のために多面的な活動を行いました。

 私たちは、会議開会に先立って、3月24日に、キム・ウォンス国連軍縮担当上級代表、3月26日に、エレン・ホワイト「国連会議」議長と会談し、会議への「要請文」――「核兵器禁止条約の早期締結にむけた国際的合意を」をお渡しし、会議成功に向けた要請を行いました。

 「要請文」は、できるだけ簡潔に「国連会議」に参加する私たちの立場をのべたもので、一読して要点をつかめるようA4の紙の片面に入るようにしました。

 また、「文書発言」――「どのようにして『核兵器のない世界』を実現するか」を国連に提出し、作業文書として受理されました。

 さらに、短いものですが、公式の演説(ステートメント)を行うことができました。国連の会議で日本共産党として発言するのは、初めてのことであります。

 私たちは、「要請文」をもって、個別に各国代表団と懇談・要請の活動を行いました。38の国・機関と、懇談・要請の活動をすることができました。さらに、各国のNGO、「核軍縮・不拡散議員連盟(PNND)」とも懇談し、協力の関係をつくることができました。

要請の内容について――まず「禁止」し、「廃絶」へと進む道を示した

 まず、私たちの要請の内容について報告したいと思います。

 核兵器禁止条約の交渉がいよいよ開始されるという新しい段階での最大の問題は、核保有国の参加をどう考えるかという問題でした。P5――核保有大国とその同盟国は、ごく一部を除いて「国連会議」をボイコットしています。NPTの枠外で核兵器開発を進めている国ぐにもこの会議に参加していません。わが党は、この点にかかわって、「要請文」、「文書発言」、演説のなかで、次のような要請を行いました。「要請文」ではこの部分を太字にしてとくに目立つように工夫しました。

 「核保有国の参加を追求しつつ、かりに最初は核保有国の参加が得られなかったとしても、賛成する諸国の政府によって核兵器禁止条約――核兵器を禁止する法的拘束力のある協定を早期に締結すること。今回の『国連会議』で、核兵器禁止条約の早期締結にむけた国際的合意を達成すること」。

 「要請文」では、この要請を、政治的な角度から位置づけました。すなわち、(1)生物兵器や化学兵器が国際条約によって禁止されるもとで、核兵器は国際条約で禁止されていない唯一の大量破壊兵器となっている。(2)核保有国は、2000年と2010年のNPT再検討会議で行った「核兵器のない世界」への自らの誓約に背き、自国の核軍備を近代化・強化する態度をとっている。(3)広島、長崎の実相を語り続けてきた被爆者の訴え、核兵器の非人道性を追及する一連の国際会議の開催などを通じて、核兵器が人類と決して共存しえない非人道的で残虐な兵器であることは、いまや誰の目にも明らかとなっている。この三つの角度から、国際社会が、核保有国の参加の有無にかかわらず、核兵器禁止条約締結へと一歩踏み出し、核兵器を「違法化」し、それに「悪の烙印」を押すことによって、核兵器全面廃絶への決定的な突破口を開くことの重要性を訴えました。

 「文書発言」では、この要請を、条約論の角度から整理するとともに、核兵器の「禁止」から「廃絶」へと進む私たちの展望を明らかにしました。これまでの私たちの運動は、核兵器の「禁止」――核兵器を違法化することと、「廃絶」――核兵器を実際に廃棄してしまうことを、必ずしも条約的に区別せずに、一体的に扱ってきました。しかし、核兵器禁止条約の交渉が具体的に開始される今日の段階では、この問題での整理が必要になります。「禁止」は「廃絶」の不可欠の土台となります。同時に、「廃絶」のためには「禁止」のうえに追加の措置が必要となります。

 私たちは「文書発言」で、以下のような表明を行いました。ポイントが五つほどあります。

 ――第一に、「核兵器のない世界」を達成し維持するための法的措置として、国連加盟国の多数の諸国の支持を得ているアプローチとしては、つぎの二つのアプローチがあります。

 一つ目のアプローチは、「核兵器禁止条約」――「核兵器を禁止する法的拘束力のある文書」であります。この条約は、「禁止」を主題とし、核兵器の開発・保有・配備などの禁止、使用及び使用の威嚇の禁止、領土における持ち込みの禁止などがその要素となります。この条約は「廃絶」に関する措置を含まず、将来の交渉課題として残しています。その意味でこの条約は中間的条約という性格をもちます。

 二つ目のアプローチは、「包括的核兵器禁止条約」であります。この条約には、核兵器の禁止とともに、特定の時間枠のなかでの核兵器廃絶のための段階的計画が含まれています。それは「禁止」と「廃絶」という二つの要素によって構成され、二つの要素を一つの条約で一挙に達成しようというものであります。

 ――第二に、この二つのアプローチは、互いに相いれないものでなく、どちらも「核兵器全面廃絶」という同じ目標の達成をめざすものです。それは、「包括的核兵器禁止条約」を支持する諸国の多くが「核兵器禁止条約」についても支持していることに示されています。私たち日本共産党は、二つのアプローチのどちらに対しても強く支持するものです。

 ――第三に、同時に、今回の「国連会議」では、一つ目のアプローチ――「核兵器禁止条約」の早期締結にむけた国際的合意を達成することが、最も現実的で効果的です。「核兵器禁止条約」は、かりに核保有国の参加がなくてもただちに交渉・締結が可能です。それに対して二つ目のアプローチ――「包括的核兵器禁止条約」は、核保有国の参加がなくては交渉・締結は難しいとされています。核保有国の参加がなくては核兵器の廃棄のための詳細な条項を交渉することは技術的に困難であるからです。核保有国が「核兵器のない世界」の実現に背を向けている現在の国際的な政治状況のもとでは、核保有国の参加の有無にかかわらず交渉・締結が可能な「核兵器禁止条約」がただちに追求できる唯一の方策であることは明らかです。

 ――第四に、「核兵器禁止条約」の締結は、核兵器全面廃絶につながる意義をもちます。国連加盟国の大多数の賛成で「核兵器禁止条約」が締結されれば、核兵器は人類史上初めて「違法化」され、あらゆる兵器のなかで最も残虐なこの兵器に「悪の烙印」が押されることになります。そうなれば核保有大国は、法的拘束は受けなくても、政治的・道義的拘束を受けることになるでしょう。さらに「核兵器禁止条約」は、締約国の領土に核兵器を持ち込むことを禁止することなどによって、核保有大国の核戦略を軍事的に拘束し、破たんさせる可能性をもっています。こうして「核兵器禁止条約」は核兵器全面廃絶につながる意義をもつし、つながるものとして構想されなければなりません。

 ――第五に、核兵器の「禁止」から「廃絶」へと進む力はどこにあるか。それは自然に進むものではありません。「核兵器禁止条約」の力と、世界の反核平和運動の力――二つの力をあわせることが必要であります。この力によって、核保有大国の変化を促し、このプロセスに参加させ、核兵器の全面廃絶へと道を開く。ここにこそ「核兵器のない世界」への大道があります。そのさい、核保有大国とその「核の傘」のもとにある国ぐに――私たちはそれらをまとめて「核依存国」と名付けました――で、「核兵器禁止条約」を求める声を国民多数の声とし、政治の変革をつくり出すことが、決定的なカギとなっています。

 以上の五つのポイントが、私たちが「文書発言」でまとめた内容であります。

 わが党の要請の内容は、昨年12月23日の国連総会決議が「国連会議」に与えた任務に合致したものでした。総会決議では、「国連会議」に、「核兵器全面廃絶につながる、核兵器を禁止する法的拘束力のある協定について交渉する」ことを求めています。ここでは「国連会議」が取り組むべき交渉の対象は、「核兵器を禁止する法的拘束力のある協定」――「核兵器禁止条約」であることを明示しています。同時に、それは「核兵器全面廃絶につながる」ものと位置づけられています。それは、「禁止」と「廃絶」の二つの段階を分ける一方で、「禁止」は「廃絶」に「つながる」ことを明確にしています。まず「核兵器禁止条約」を結び、禁止条約と世界の反核平和運動の力で「廃絶」に進もうというわが党の要請は、国連総会決議が「国連会議」に与えた任務と合致したものでありました。

キム上級代表、ホワイト議長、ドゥアルテ元上級代表との会談

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(写真)キム・ウォンス国連軍縮担当上級代表(左)と握手する志位委員長=3月24日、国連本部(遠藤誠二撮影)

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(写真)国連会議のホワイト議長(右)と握手する志位委員長=3月?日、ニューヨーク(遠藤誠二撮影)

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(写真)ドゥアルテ元国連軍縮担当上級代表(中央)と志位委員長(左)、笠井亮政策委員会責任者=3月26日、ニューヨーク(遠藤誠二撮影)

 わが党は、こうした政治方針をもって、「国連会議」に働きかけましたが、これは会議の任務とかみあい、会議参加者の立場と響きあうものとなり、成功にむけた一つの貢献となったと考えるものです。

 私たちは、「国連会議」開会に先だつ3月24日、キム・ウォンス国連軍縮担当上級代表と会談しました。私たちの要請に対して、キム上級代表は、「志位委員長のご指摘のように、核兵器のない世界を実現するためには核兵器保有国を参加させることが必要です。法的拘束力を持つ条約は核兵器廃絶に至る重要なステップです。いかにして禁止条約から核兵器の廃絶に至るか。核兵器保有国の参加が必要になります」と応じました。まず禁止条約を締結し、それをステップとしながら核保有国を参加させ廃絶に進む。これが国連総会決定によって「国連会議」に与えられた任務であることが、キム上級代表から語られました。さらに、キム上級代表は、「被爆者のメッセージを世界に普及することはわれわれの義務です」、「核保有国を禁止のプロセスに加わるよう促すためには世界の世論の広がりが非常に重要であり、署名キャンペーンは重要な方法です」とのべました。キム上級代表が、市民社会との協力こそ「核兵器のない世界」に進む力であることを強調したことは、わが意を得たりという思いでありました。

 私たちは、「国連会議」開会の前日の3月26日、エレン・ホワイト「国連会議」議長と会談しました。ホワイト議長は、コスタリカ出身の外交官です。彼女は、「今週は歴史的な1週間になります」とのべ、第1会期で核兵器禁止条約への道筋をつけることへの、並々ならぬ決意を語りました。最も印象的だったのは、私が、日本で「ヒバクシャ国際署名」が取り組まれ、すでに170万筆以上になったことを紹介し、英語とスペイン語の署名簿を手渡し、「世界で数億を目標に取り組まれています」とのべたときのホワイト議長の反応でした。彼女は、胸に両手をあてて聞き入り、笑顔で次のように語りました。「それは私にとって強さを与えてくれるものです。こんなにたくさんの人々が真剣になって考えてくれるのをうれしく思います。地球上の命、将来世代の命を守ることはわれわれ世代の責務です。これだけ多くのメッセージがあることを知り、感動しました」。私は、「私も議長のその言葉に感動しました」と応じました。「国連会議」の責任者が、署名の話をこれほど感情豊かに受け止めてくれたことはとても感動的でありました。

 私たちは、同じ日に、セルジオ・ドゥアルテ元国連軍縮担当上級代表と会談しました。ドゥアルテさんのニューヨークでのアパートメントに招待され、1時間半にわたって多面的に意見交換を行いました。私が、「要請文」を渡して説明しますと、ドゥアルテさんはじっと文面を読んで、「まさに、この通りです。とてもいい。たいへん明確なものですね」と評価してくれました。私が、「ヒバクシャ国際署名」について話しますと、「とてもいい。私も署名しましょう」とその場で自らペンをとり署名しました。

 キム上級代表、ホワイト議長、ドゥアルテ元上級代表――3人に共通していたのは、草の根の運動への強い期待でした。草の根からの一筆一筆の署名こそ、国際政治の最前線で核兵器禁止条約をまとめようと努力している人々にとって、最大の励ましとなり、支えとなる。そのことが異口同音に語られたことを、全国のみなさんに報告しておきたいと思います。(拍手)

38の国・機関との懇談・要請――「要請文」の立場は多くの参加国に共有された

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 さらに、私たちは、「要請文」をもって、38の国・機関と個別に懇談・要請を行いました。会議開始前、昼食休憩、閉会後など、あらゆる機会をとらえて行いました。ニューヨークでは時差の関係で、朝早く目が覚めてしまいます。そこで私たちは朝6時には朝食をとり、朝食をとりながら打ち合わせを行い、毎日10時から会議が始まりますが、9時半には会場に行きます。私たちが一番乗りです。会議開始前の時間も利用して懇談・要請を行いました。懇談・要請は、国連代表部を訪問して1時間におよぶものもあれば、会場のロビーで数分程度というものもありました。その概要は、4月3日付「しんぶん赤旗」で紹介しましたので、ぜひご覧いただければと思います。

 懇談では、多くの国の代表から、「『要請文』は私たちと同じ立場」、「この『要請文』にはわれわれがやっていることが書かれている」などの賛同の声が寄せられました。アルジェリアの代表は「この『要請文』の立場は、会議のほとんどの参加国と共有するものです」と語りました。

 メキシコのルイスカバーニャス外務副大臣との会談はとても印象的でした。彼と私は、ルイスカバーニャスさんが駐日大使を務めていた時代からの旧知の関係で、まず再会を喜びあいました。彼は、駐日大使として何度も原水爆禁止世界大会に参加し、副大臣に就任したあとも広島を訪問している外交官です。私が「要請文」をお渡しして、説明しようとしますと、私が説明する前に、ルイスカバーニャスさんは、大きな声で私たちの「要請文」の太字で書いてある要請の部分をすべて読み上げました。そして、「ここの太字の部分、まったく同感です。『できるだけ早く』という部分も考えが一緒です」とのべました。私は、言うことがなくなってしまった(笑い)。「打てば響く」といいますが、「打つ前に響いた」(笑い)会談となりました。

 オーストリアのトーマス・ハイノッチ国連大使との会談も忘れられません。「要請文」を説明すると、ハイノッチさんは、「たいへん良いものです。われわれの目的としているものに支持を寄せてくれて感謝します」と応じました。私が、「オーストリアが核兵器廃絶で積極的役割を果たしている理由はどこにあるのでしょう」と尋ねると、印象深い答えが返ってきました。「一つは、人道に重きを置いた外交を行ってきたことがあります。もう一つは、われわれは、ひとたび戦争が起きれば核兵器によって大きな惨事になったであろうと予測される東西冷戦を経験しています」。「オーストリアでは、核兵器廃絶は超党派、すべての政党が支持しており、憲法でも核兵器禁止をうたっています」。とても納得のいく説明でした。

 メキシコとオーストリアは、この「国連会議」開催で大きな役割を果たした国ですが、深いところで相互に理解しあえる会談ができたことはうれしいことでありました。

 同時に、懇談・要請のなかでは、核兵器廃絶という方向では一致しているけれども、そのアプローチについては研究、検討の途上にあるという国もありました。ある国の代表は、「最初の会議なので、(核兵器廃絶の)プロセスについてはまだ決めていません。各国の話を聞き、どうするのかを考えていきます。(『要請文』は)とても役にたつものです」と率直に語ってくれました。ある国の代表は、「私たちは禁止条約で一歩を踏み出すことが重要という立場ですが、参加国のなかには『すぐに核兵器の全面廃絶をすべきだ』という主張もあります」と説明してくれました。ある国の代表は、「日本共産党が、核問題で、これだけシャープな問題提起をして、この会議で訴えていることに感銘を受けました。この『要請文』はよく研究したい。(日本共産党の『文書発言』についても)よく研究したい」とのべました。これらは、「国連会議」の目的には賛同しているけれども、どういうアプローチで「核兵器のない世界」に進むのかについては、いろいろな模索が存在することをうかがわせるものでした。

 私たちの「要請文」は、核保有国の参加をどう考えるかを正面から端的に規定づけたものですが、こうした規定は政党の立場だからできるものであり、政府の立場では同じことを考えていても言いにくいということがあると思います。また、国によっては、核兵器の「禁止」と「廃絶」の条約論的な整理が研究、検討途上という国もあるように感じました。さらに、「核兵器禁止条約の力と、世界の反核平和運動の力――二つの力をあわせることで、核保有大国の変化を促し、このプロセスに参加させ、核兵器の全面廃絶へと道を開く」という私たちの提起には、いくつかの国から強い賛意が表明されましたが、この提起も戦後、長年にわたって、日本被団協、日本原水協とともに、原水爆禁止運動に取り組んできたわが党ならではの提起だったと思います。

 日本共産党代表団が、核兵器禁止条約について、政治論の角度からも、条約論の角度からも、運動論の角度からも、今日の情勢にそくして私たちなりに論を発展させて「国連会議」に提起したことは、会議の成功にむけて一つの貢献になったと考えるものであります。(拍手)

日本政府不在のもとで、被爆国・日本国民の声を、国連に届けた

 私たちの懇談・要請活動での、もう一つの共通した特徴は、唯一の戦争被爆国である日本の政党がこうした要請をしていることに、多くの国が、大きな意義と激励を見いだしているということでした。

 ニュージーランドの代表は、「日本政府が来ていないなかで、日本の市民の声を届けてくれたことに感謝します」と語りました。サウジアラビアの代表は、「日本は被爆国であるので、みなさんの訴え(『要請文』)にはインパクトがあります。こうした活動を歓迎します」と評価してくれました。ウガンダの代表は、「なぜ日本政府はこの場に来ていないのでしょうか。こうして国会議員は来ているのに。残念です」と語りました。コスタリカの代表からは、「日本の人々の気持ちを伝えてくれてありがとうございます」との声が寄せられました。ある国の代表からは、「日本政府は禁止条約に反対しました。なぜですか。核の傘の下にいたらだめです。被爆者のために賛成するように政府につたえてほしい」と語りました。

 67回もの南太平洋上での核実験によって深刻な被害を受けたマーシャル諸島の代表の発言も印象深いものでした。次のような発言でした。「わが国は、日本とは共通の被爆の経験があります。日本は核兵器廃絶を世界にアピールする強いポジションを持っています。日本から多くの非政府組織(NGO)が参加して訴えていることは励ましです。先ほどの(日本共産党の)演説で、多くの日本国民がこの会議を歓迎していると聞きました。この『要請文』にある内容で活動している政党に感謝します。私たちはあきらめません。核兵器の惨害を知っている国民として、日本国民とともにがんばっていきたいと思っています」。

 なお在米の日本メディア関係者の話によると、私たちが会議で懇談・要請などの活動を行っていたため、各国代表のなかには、「日本からも会議に参加しているよ」と、日本共産党代表団を日本政府代表団と誤解している国もあったといいます。(笑い)

 日本共産党代表団の活動は、日本被団協の藤森俊希さん、日本原水協の代表団のみなさんの活動とともに、日本政府不在のもとで、被爆国・日本国民の声を、国連に届けるという点で、大きな意義ある活動だったと考えるものであります。(拍手)

国連の公式会議で初めて行った演説について

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(写真)3月29日、ニューヨークの国連本部で開かれた「国連会議」で演説する志位委員長(遠藤誠二撮影)

 日本共産党代表団は、「国連会議」で、市民社会の代表の一人として、演説(ステートメント)を行うことができました。国連の公式会議で党の代表が演説を行うのは初めてのことであります。

 これは当初は、予想もしていないことでした。市民社会の代表には、1日15分間の発言時間が割り当てられています。世界中から多くのNGOが会議に参加し、演説を希望しており、1人に割り当てられた演説時間は2〜3分程度です。非常に「競争率」が高い(笑い)。ですから私たちは、初日に演説した被爆者の藤森さんは別格として、日本からの演説は日本原水協までではないかと考えていました。

 私たちが演説をすることができたのは、多くの方々のお力添えのおかげであります。私たちは「核軍縮・不拡散議員連盟(PNND)」の一員として会議に参加しましたが、PNND事務局長のアラン・ウェアさんには、私たちの会議の参加から演説まで、温かいサポートをしていただきました。私たちはニューヨークにつくと、PNNDから参加したみなさんと懇談をもちました。私は、演説テキストについて説明しましたが、アラン・ウェアさんは賛同してくれただけでなく、ネイティブの立場でよりよい英語に仕上げることまでしてくれました。カナダからはリンダ・ダンカン共同議長(新民主党)が参加しており、PNNDの演説枠をどうするかが相談になりましたが、一つの演説枠を、仲良く日本とカナダで分け合うことで合意しました。私たちは、2日目の最後に演説する予定となり、発言席につきました。ダンカンさんは私のテキストを見て、「英語でスピーチするのですか」と聞いてきます。私が「そうです」と答えると、「それは素晴らしい。それなら私が発音をチェックしてあげましょう」と言う(笑い)。私が発音の難しい単語をいくつか話すと「とても良い」と優しくほめてくれ(笑い)、とても良いコンビになりました。ところが、私たちの演説の直前のところで、2日目の議事は終了が告げられ、演説は3日目にまわされてしまいました。ダンカンさんは、その日に帰国する予定で、無情にもせっかく用意した演説ができなくなり、たいへんに残念がっておられました。結局、私は、3日目に、彼女に代わって欧州でPNNDの活動を担当しているフランスのジャンーマリ・コリン氏とともに演説をすることになりました。

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(写真)演説する志位委員長が2カ所のモニターで映しだされた国連第4会議場の政府代表席=3月29日、ニューヨーク(遠藤誠二撮影)

 私たちの演説が実現するうえで、もう一方、たいへん世話になった方がいます。ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)・国際運営グループ共同議長の川崎哲(あきら)さんです。川崎さんは、私が参加することを知ると、演説が実現するよう力を尽くしてくれました。NGOの発言の全体のコーディネートをやっているICAN事務局メンバーに私たちを会わせてくれ、そこでも私は演説テキストについて説明し、内容への賛同をえて、ICAN事務局のメンバーのみなさんは、演説者リストに入れることを約束してくれました。

 ごく短時間の演説でしたが、実現するまでには多くの方々の支援があったことを、感謝とともに報告しておきたいと思います。(拍手)

 そして、私たちの演説が実現したのは、わが党がたんに被爆国の政党というだけではなしに、「国連会議」とかみあった政治方針をもってこの会議にのぞんだことが評価されたからだと思います。

 私の演説は、「要請文」の立場を凝縮してのべたものですが、冒頭に「日本政府が、この議場にいないことはたいへんに残念なことです。しかし、被爆者の方々と日本国民の大多数がこの『国連会議』を強く支持していることは明らかです」と表明しました。「たいへんに残念」。この気持ちは、会議に参加していた多数の諸国の代表の共通の気持ちだったと思います。同時に、被爆者の方々と日本国民の大多数が核兵器禁止条約の実現を願っていることは明らかであり、その思いを伝える必要があると考えました。

 私の演説に対して、セルジオ・ドゥアルテ元国連軍縮上級代表は、「被爆国日本から、今、始まった核兵器禁止条約のプロセスにとって励ましを受けました。とても良い発言でした」と感想を語ってくれました。オランダのNGO「パックス・クリスティ」のメンバーからは、「日本政府の代わりに、核兵器をなくせという日本の真の声をアピールした演説でした。日本政府の欠席とみごとな対比を示しています」という声が寄せられました。

 多くの方々の支援によって、被爆国・日本で活動している政党の立場から、日本国民の声を肉声で国連に届けることができたことは、「国連会議」に参加しての私たちの最大の喜びだったことを、報告しておきたいと思います。(拍手)

「国連会議」第1会期は、私たちの想像をこえる成果をあげた

 5日間にわたって開催された「国連会議」の第1会期はどういう成果をあげたか。3月31日、ホワイト議長は、閉会にあたってのあいさつで、次のように表明しました。

 「この1週間の作業は、非常に奮いたたせてくれるような内容でした。議論は核兵器の全面廃絶につながる、法的拘束力のある文書のすべての側面を扱いました」「私は、われわれが任務を成し遂げることができるだろうと非常に楽観的になることができました。(第2会期が終わる)7月7日までには条約を採択することによって仕事を終えるという議長の決意を表明したい。……私は、会議に参加しているみなさんへの草案を、5月の後半か、6月1日までには提示できるようにしたい」。

 さらにホワイト議長は、すべての参加者が禁止条約締結への断固とした強い支持を示したとし、国連総会決議が「国連会議」に課した任務を遂行する議長の強い決意を重ねて表明し、「私は、すべての参加者に感謝したい。そして6月にもう一度あいましょう」とのべ、会議の休会を宣言しました。会場からは大きな拍手が続きました。

 「7月7日には条約を採択」という議長の発言は、「国連会議」の第1会期が、率直にいって私たちの想像を超える成果をあげたことを示しています。私たちは、今回の「国連会議」について、条約の採択までには一定の時間が必要で、今年の会議ではそこまでには至らないのではないかと考えていました。ところが国際社会は、この5日間で、そうした予想を覆すスピード感で、条約の採択にむけて動いたのであります。

 仮に、「7月7日に条約を採択」されたとすれば、歴史上初めての核兵器禁止条約が今年中にも誕生する可能性があります。もちろん、今後、核保有大国などからの攻撃も予想され、難しい問題も起こるでしょうし、予断は許されませんが、「国連会議」の第1会期は、驚くほどの大きな成果を達成したといえると思います。私は、ここには平和を願う世界の巨大な世論が働いていることを強く実感するものであります。

 私は、心から呼びかけたい。この画期的な動きを実らせるかどうか。それを決めるのは世界の草の根からの世論と運動であります。とりわけ被爆国・日本から、「ヒバクシャ国際署名」を広げに広げ、今年を「核兵器のない世界」への第一歩を踏み出したといえる年にしていくために力をつくそうではありませんか。(拍手)

三、世界の躍動する姿、野党外交の新しいステージ

世界は、逆流や複雑さをはらみながらも、平和と進歩への歩みを刻んでいる

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(写真)国連会議で被爆体験を語る被団協事務局次長の藤森俊希さん=3月27日、ニューヨーク(加來恵子撮影)

 最後に、全体をふりかえって感じたことを、2点ほどのべておきたいと思います。

 第一は、世界は、逆流や複雑さをはらみながらも、着実に平和と進歩への歩みを刻んでいるということであります。

 「国連会議」の初日、米国を先頭にしたわずか20カ国程度の国連大使が「核兵器禁止条約反対」を議場外で叫ぶなか、世界の多数の国ぐにと市民社会が参加して、国連総会議場で歴史的会議が開始されました。その光景は、世界の本流はだれか、逆流はだれか、その姿を鮮やかに示すものとなりました。

 この「国連会議」でとくに主導的な役割を発揮したのは、メキシコ、オーストリア、コスタリカ、アイルランド、ブラジルなどの国ぐにでした。ここには発達した資本主義国、新興国、途上国などさまざまの国がありますが、なかでもオーストリア、コスタリカ、アイルランドなどの「小さな国」が、「大きな存在感」を発揮していたことが印象的でした。こうした国ぐにが主導した「国連会議」が、核兵器問題という国際政治の根本問題で、P5――核保有大国の攻撃をはねかえして、会議を成功に導くために堂々と大活躍している。ここには、21世紀の世界の姿が示されています。

 それは一言でいえば国の大小で序列のない世界であります。いまの世界で大切なのは、国の大小でもなければ、経済力の大小でもなければ、ましてや軍事力の大小ではありません。世界の道理にかなった主張をしている国ならば、小さな国でも世界から尊敬され、大きな力を発揮します。道理にかなっていない国、他国の言いなりになっているような国は、何を言っても相手にされません(笑い、拍手)。それは、「国連会議」での日本政府のみじめな姿が示したことです(拍手)。世界のすべての国ぐにが、対等・平等の資格で、世界政治の主人公になる新しい時代が到来しているのであります。

 日本共産党の綱領は、20世紀に起こった最大の変化として、「植民地体制は完全に崩壊し、民族の自決権は公認の世界的な原理という地位を獲得し、百を超える国ぐにが新たに政治的独立をかちとって主権国家となった」ことをあげています。この20世紀に起こった「世界の構造変化」ともよぶべき巨大な変化が、国の大小で序列のない世界をつくり、その力が、いま「核兵器のない世界」をめざす画期的な流れとなってあらわれている。「国連会議」はそうした世界の躍動する姿を生きた形で示すものとなったのであります。

「国連会議」への参加を通じて、新しい道、新しい友人、新しい財産をつくった

 第二に、日本共産党自身についていえば、「国連会議」への参加は、私たちの野党外交のステージとスケールを、一段と高めるものとなったといえると思います。

 これまでのわが党の野党外交は、他国の政府との関係では個々の関係はありましたが、諸政府が構成する多国間の国際会議に、わが党が正式の構成員として参加することは考えられませんでした。わが党は、これまでもNPT再検討会議、非同盟諸国首脳会議、イスラム諸国機構の総会などに代表団を派遣した経験はありましたが、これはオブザーバーやゲストとしての参加でした。また、わが党は、アジア政党国際会議(ICAPP)を重視して参加してきましたが、これは多国間の国際会議であっても、政党間の会議でした。国連という世界で最も重要な多国間の国際会議に、公式に参加し、演説をするというのは、わが党にとってまったく初めての体験となりました。

 私たちは、この活動に取り組むことによって、たくさんの新しい道が開けたという感を強くしています。わが党と各国政府との関係が、一挙に拡大しました。メキシコのルイスカバーニャス外務副大臣との会談では、「今後、メキシコでこの話の続きをしよう」ということで意気投合しました。ローマ法王庁との会談もたいへんに印象深いものでした。国連代表部のサイモン・カサス神父に、私たちの「要請文」をお渡しして説明しますと、カサス神父は、「会議での演説に感謝します。要請文の立場は、理性的なもので、よく理解できます。ローマに来られるさいは、バチカンにも寄ってください」と語りました。カトリックの総本山との対話の道も開かれてくるかもしれません。

 私たちは、政党間でも、CND(核軍縮キャンペーン)の一員として参加したイギリス労働党のファビアン・ハミルトン下院議員と交流する機会がありました。ハミルトンさんは、イギリス労働党の影の内閣で平和軍縮大臣をつとめています。5カ月前、ジェレミー・コービン党首が新たにつくった大臣とのことでした。イギリス労働党との交流の道も開かれたように思います。ハミルトンさんは、「2020年の次期総選挙で勝利し、英国として核兵器禁止条約にサインしたい」との決意を私たちに語りました。私が、日本も負けてはいられないと(笑い)、日本で野党共闘をすすめていることを話しますと、「次の選挙で良い結果が出ることを願っています」とのエールが返ってきました。日本やイギリスが核兵器禁止条約に署名する日がくれば、世界が大きく変わることは間違いないでしょう。(拍手)

 「国連会議」は、今日の世界の希望ある姿、躍動する姿を私たちの目に焼き付けました。そして私たちはこの会議への参加を通じて、たくさんの新しい道、新しい友人、新しい財産をつくった思いであります。

 みなさん。この成果を深い確信にして、この日本での平和と進歩をめざすたたかい、新しい政治を築くたたかいをさらに発展させようではありませんか。

 ご清聴ありがとうございました。(大きな拍手)


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