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2016年9月26日(月)

シンガポール・マレーシア 日本軍戦争跡をたどる(中)

追悼の交流 信頼の基礎

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 南シナ海を望むマレーシアの東海岸、ジョホール州メルシンの丘にある中国式のお墓、義山。その斜面の中腹に「豊盛港華裔先賢公墓」と彫られた追悼碑があります。豊盛とはメルシンのことです。

 「前回来たときと彩色が変わっている。地元の人がよく管理しているからだ」と高嶋伸欣琉球大学名誉教授。1942年2月29日からの3日間に虐殺された400人以上が埋葬されているといいます。

 雨が降る中、ツアー一行が墓の周囲の雑草を取りはじめました。

 中国式の大きな線香を全員が手に持ち、碑の前に立ち、全員で三拝します。

 「地元のお線香を用意して追悼します。加害の日本人がやってきて何をしているのかと地元の方が不快な思いをされないように、お墓の掃除もする。高嶋先生は以前から追悼碑の周りの雑草取りをごく自然に続けてこられました」

 毎年12月に東南アジアから証言者を呼んで集会を開いているアジア・フォーラム横浜の吉池俊子さんは語ります。

70のお墓や追悼碑

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(写真)ネグリ・センビラン州の追悼式典の参列者=8月14日、マレーシア

 ツアーを通じて現地の協力もあり、約70のお墓や追悼碑を二つの国で確認しました。

 マレーシア各州の中でも、「敵性華僑狩り」の名で最大規模の一般住民虐殺が行われたのが、首都に近いネグリ・センビラン(森美蘭)州です。多くが森の中のゴム園で働く労働者であり、家族でそこに住んでいた住民でした。

 広島の第5師団歩兵第11連隊第7中隊の「陣中日誌」1942年3月分に集落を襲って銃剣で女性、子どもをふくめ無差別に刺殺した記録が、防衛省防衛研究所戦史研究センターに残されています。

 8月14日、州全体の追悼式が州都セレンバンにある、山の頂上から裾野まで墓が並ぶ巨大な義山で行われました。「森州日侵時期蒙難同胞71周年紀念 公祭」です。

 毎年行われるこの追悼式にはツアー参加者も招かれ、日本人も線香をあげました。「反恐(=テロ)反戦、提唱和平」宣言が読み上げられ、拍手が響きました。

批判の声知るべき

 高嶋氏はあいさつのなかで、安倍政権が集団的自衛権の行使を狙い、今年も侵略戦争の精神的支柱になった靖国神社に大臣や自民党議員などが参拝したことにふれ、「東南アジアからの批判の声が上がっていることを日本は知るべきだ」とのべました。

 同州の華人団体・中華大会堂が1984年、日本侵略の時期の体験者の証言、資料を広く集めました。しかし、印刷費用で滞っていたマレーシアでの出版を、高嶋氏や林博史関東学院大教授が日本の研究者にも呼びかけて援助、88年に出版されました。こうした長年の交流が互いの信頼の基礎になっています。

(つづく)


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