「しんぶん赤旗」
日本共産党
メール

申し込み記者募集・見学会主張とコラム電話相談キーワードPRグッズ
日本共産党しんぶん赤旗前頁に戻る

2016年9月2日(金)

きょうの潮流

このエントリーをはてなブックマークに追加 Yahoo!ブックマークに登録 mixiチェック

 レオタードの色は、華やかな赤から抗議の黒へと変わっていきます。1964年東京五輪。当時、体操女子のチェコスロバキア代表だったベラ・チャスラフスカさんの演技に日本中が注目しました▼「名花」。流れるような優美な体操はそうたたえられました。それから4年後のメキシコ五輪。個人総合で連覇を果たした彼女の演技は気迫がほとばしりました。直前に生まれ育ったプラハの街がソ連の戦車に踏みにじられていたのです▼68年、覇権主義のソ連とは別の道を歩もうとしたチェコの民主化運動は最高潮に。「プラハの春」と呼ばれた運動をチャスラフスカさんも支持。多くの知識人や著名人とともに、誤った社会主義との決別を表明した「二千語宣言」に署名しました▼チェコの自主的な運動を「社会主義からの逸脱」と非難したソ連は東欧4カ国の軍隊を率いてプラハに侵入。武力で干渉し、弾圧と迫害が始まりました▼祖国のヒロインの生活も一変します。職を奪われ、度重なる脅迫や盗聴におびえ、命ともいえるスポーツも取り上げられる。しかし絶望と苦悩の日々の中でも、彼女は最後まで署名を撤回せず、信念を貫き通しました▼それから約20年後、東欧諸国が改革を成し遂げた後、大統領顧問となったチャスラフスカさんは本紙特派員のインタビューにこう答えています。「良いことは必ず勝利すると信じていた」。74年の激動の生涯。一輪の名花はどんな困難にも枯れることなく、自由を求めて凜(りん)として輝きつづけました。


見本紙 購読 ページの上にもどる
日本共産党 (c)日本共産党中央委員会 ご利用にあたって