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2016年5月29日(日)

きょうの潮流

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 ゾウ舎の前に設けられた献花台には別れを惜しむ人たちの列ができていました。花束のほかに、はな子の好物だったリンゴやバナナがいっぱい。思い出に浸り、涙を浮かべる姿もありました▼タイから1頭のアジアゾウが日本に来たのは戦後間もない頃。当初、上野動物園で飼育された赤ちゃんゾウは、戦時中の猛獣処分で餓死した「花子」の名を受け継ぎます。焼け野原がひろがり、再開された動物園にも人気者がいない地で▼「ゾウが見たい」。戦争で傷ついた子どもたちの願い。それが関係者の努力と結びつき、各地から唯一ゾウが生存していた名古屋に走ったのが「象列車」でした。はな子が“平和の使者”として大歓迎されたのはそんな時代でした▼しかし、国内最高齢となった69歳の生涯は顔や体に深く刻まれたしわのように波乱に富んでいました。2度も死亡事故を起こし鎖でつながれた日々、歯が抜け落ちて食事も一苦労。それでも人間への信頼は失いませんでした▼死ぬまで60年以上も過ごした井の頭自然文化園。そこで親子2代にわたって飼育に携わった山川宏治さんは、多くの人がはな子に自分の人生を投影してきたといいます。「たぶんはな子はいちばん人間に近いゾウ。人生というものを持ってしまったゾウ」だと▼ありがとう―。献花台のそばで、はな子へのメッセージを書く親子。ゾウはその風貌から何かを瞑想(めいそう)しているかのようにみえます。戦後日本の歩みを見つめてきたはな子。静かな目にはどう映っただろうか。


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