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2016年4月25日(月)

イラク戦争で心に深い傷

元米兵と家族に聞く

突然、戦場体験が現れ

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 確かにイラクの戦場から、米国の故郷に帰ってきたはずでした。道路で見かける古い車や外形にへこみやゆがみのある車。米国ではよくある光景なのに、排ガスの匂いや騒音などささいなことが引き金になり、車に爆弾が仕掛けられていると思いました。

眠る間も悪夢に

 爆弾で同僚兵士が吹き飛ばされて血にまみれた軍用車両が、脳裏に浮かびました。強い不安や恐怖、心理的圧迫感が襲い、周りが見えなくなり、心が平穏な日常生活から切り離されました。

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(写真左)父のティムさん

(写真右)ライアン・カラーさん

 「ここは米国なのに、イラクに引き戻されるんです」―。

 西部カリフォルニア州在住のライアン・カラーさん(32)は、心的外傷後ストレス障害(PTSD)の症状について語りました。

 ライアンさんは米陸軍の退役軍人で、2003年3月から始まったイラク戦争で2回、合計26カ月間もイラクに派遣されました。米兵の戦死やイラク市民が殺される現場を多く目にし、即席爆弾(IED)の爆風を受けて、外傷性脳損傷(TBI)も患いました。

 悲惨な戦場体験を突然思い出すフラッシュバックがあり、眠っている間も悪夢として現れました。うつ症状や自殺願望に悩まされました。07年に診断が下されて治療を続け、病状は快方に向かっているものの、完治はしていません。

 自らの体験や病状などを紙に書きながら詳しく説明してくれたライアンさん。

 「ソフト(Soft)のつづりはどう書きましたか?」などと尋ねてきました。TBIによる記憶障害です。

治療に寄り添い

 治療のためにできるかぎりライアンさんに寄り添ってきた父親のティムさん(58)は、息子が自死してしまうかもしれないという強い恐れを常に抱えています。「二次的PTSD」になり、抗うつ剤を飲んでいた時期がありました。

 ティムさんの家の居間で戦場体験を語るライアンさんのそばには、ティムさん、ライアンさんの妻のハンナさん、母親のローラさんが寄り添っていました。

 ティムさんはむせび泣きながら、述べました。

 「私たちはライアンがいなくなることが、とても怖い。これは逃れられない。私たちを悩ませ、狂わせます…」

 ティムさんらは、この状況を「家庭に、心の戦争と戦場がもたらされた」と言い表します。「よく知ってほしい」と語り続けてくれました。

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(写真)イラクの戦場で索敵するライアンさん(手前、本人提供)

当初「警備」が戦闘任務に

「自衛隊も米の戦争に巻き込まれる」

 二度にわたってイラク戦争に送られ、PTSDとTBIの治療を続ける元米兵のライアンさんは、睡眠薬なしでは眠れません。眠れたとしても悪夢を見ます。

 「銃撃戦で相手を撃てず、相手が追いかけてきて私の手や首を切る。車に閉じ込められ、煙が充満して息ができなくなる。それで苦しくて目が覚めます」

 強い不安やうつ症状も続きます。ライアンさんは、PTSDの原因となったイラクでの体験を明かしました。

 「戦争のような最悪の状況では、より攻撃的になり、突発的に市民を殺してしまう。立ち入り禁止の米軍の領域に入る者がいれば、私たちは撃ちました」

同僚が市民殺す

 2003年から04年にかけて、ライアンさんがイラクに従軍していたときのこと。一台のバスが、ライアンさんの部隊に近づいてきました。ライアンさんらは「止まれ!止まれ!」と繰り返しましたが、バスは警告に気付かず、止まりません。

 米兵の一人がバスを止めるために発砲し、バスの乗客の1人が死亡。他の乗客らがその遺体を担いでバスの外に出した場面を、ライアンさんは鮮明に覚えています。

 「それは市民のバスでした。乗客のイラク市民が、私の同僚に撃ち殺されました」と述べ、深いため息をつきました。

 ライアンさんは当初、イラクの首都バグダッドの「グリーンゾーン(安全地帯)」の警備が任務でしたが、8カ月を過ぎたあたりから変わりました。他都市への攻撃、武装勢力の索敵、他の部隊の支援に向かうなど、戦闘任務となりました。

血がつく持ち物

 06年から07年の2回目の従軍では、1回目の従軍より頻繁に戦闘を経験。爆弾や銃撃で仲間の兵士が亡くなっていくのを目の当たりにしました。

 戦死した仲の良かった兵士の装備品を、戦闘現場から持ち帰ろうとしたときのことを、ライアンさんは日記でこう書いています。

 「彼の持ち物は血にぬれていた。彼の汗のぬくもりがまだ残っていて、私の手に伝わってきた。自分の中の何かが、失われていくような気がした」

 ライアンさんは帰還後、「自分がまだ生きていることを、悪いことのように感じる」という、「サバイバーズ・ギルト(生存者の罪悪感)」を抱えるようになりました。

 イラクに従軍するまでは米軍を、「自由や民主主義を、他の国の人々にもたらす存在」だと思っていました。体力に自信があったことなどから、高校生のときに入隊を決意しました。

現実知り反戦へ

 ライアンさんは、イラクでの戦場経験から米軍の現実を知りました。「完全に反戦の立場になりました。イラクでしたことは正しいことではなかった」と語ります。09年に退役、現在、教員か看護士になるために学校に通っています。

 父親のティムさんは、息子が「戦場に連れ戻される」様子を何度も見てきました。

 「居間や台所、寝室にいるにもかかわらず、息子の心の中でいまわしい戦争が行われているのです」

 ティムさんは周りから、「従軍してくれてありがとう。息子さんが帰ってきて良かったね」などとよく言われますが、そのことも苦しみの一つです。「確かに生きて帰ってきたことはうれしい。でもそれで終わりではないのです」と述べました。

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(写真)不安を抱えながら暮らす父親のティムさん(奥左)、ライア ンさん(奥中央)、ライアンさんの妻のハンナさん(奥右)、 ライアンさんの母親のローラさん(手前左)と祖母のジョイ スさん=3月、カリフォルニア州ムリエタ(洞口昇幸撮影)

 米軍の基礎訓練を終えて自信に満ちているライアンさんの姿を見たとき、ティムさんは誇りに思いました。しかし、帰還後に自殺願望に苦しむ息子の姿を見て、今は後悔する日々です。ティムさんは訴えます。

 「私は自国を愛しているし、軍事ではなく外交で解決する役割を担ってほしい。一定の防衛力は必要ですが、軍隊と戦闘は最終手段であってほしい」

 日本で自衛隊を「普通の軍隊」にしようとする動きがあると説明すると、ライアンさんは「自衛隊がより攻撃的に、常備軍になれば、好戦的な米国と同盟関係の日本は、米国の海外で行う戦争に巻き込まれるでしょう」と、警告しました。

 軍隊が、水資源や自然エネルギーの供給などのインフラ整備、医療援助を主要任務とする組織に転換してほしいと、ティムさんは力を込めます。

 「私はこれが夢だとわかっていますが、いつの日か、現実となることを願っています」

(ワシントン=洞口昇幸 写真も)


 心的外傷後ストレス障害(PTSD) 戦争、災害、虐待などで命や尊厳が脅かされ、心に傷を負うことです。出来事を突然思い出すことによる苦痛、不安、緊張などの症状があり、数年過ぎた後に発症することも。家族、周囲の人間に心を開けなくなることがあります。過剰飲酒や薬物依存に陥ることや、うつ症状から自殺に至ることもあります。米議会調査局の報告書によると、2000年から15年6月までにPTSDと診断された米軍人は、合計17万7461人です。

 外傷性脳損傷(TBI) 頭部への強い衝撃で脳が傷つくことで発症し、感覚障害、失語症、記憶障害、暴力的や無気力になるなどの症状があります。米国防退役軍人脳傷害センターによると、2000年から15年までにTBIと診断された米軍人は、合計34万4030人です。


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