2015年12月27日(日)
きょうの潮流
第1次世界大戦の際、クリスマス休戦があったことを本欄で書きました。実はそこでサッカーボールが大きな役割を果たしていました。ドイツとイギリスの兵士が塹壕(ざんごう)で対峙(たいじ)する中、ドイツ兵が持っていたボールが誤って英兵の側に転がるところから、それは始まります▼にらみあっていた兵士が、いつしか塹壕から出て喜々としてボールを追いかける。泥んこの中、日が傾き、雪がちらつくまで。名残惜しそうに“試合”が終わると、ドイツ兵が「メリークリスマス」と、自らのボールを英兵に差し出しました。短編映画「オフサイド」が、実話をもとに描いています▼似た話を聞いたことがあります。第2次大戦中、イタリアで米独の両軍が撃ち合い、けが人が続出した際、あるドイツ兵が提案しました。「戦闘をやめて互いにけが人の手当てをしよう」▼しばしの間、その兵士は相手と話をしたそうです。互いの国や故郷の話、家族の話…。「そのとき私はわからなくなった。なぜ、僕らがたたかわねばならないのか」▼そのドイツ人は、のちに日本サッカーをメキシコ五輪銅メダルに導いた、デットマール・クラマーさんです。今年9月、90歳でその生涯を閉じました。いま追悼の展示が「日本サッカーミュージアム」(東京都文京区)で行われています▼フェアプレーの“窓”からサッカーと社会を見つめる原点はこの戦争体験でした。「アンフェアで人々をすさませるその最大のものが戦争です」。怒気を含みつつ発した言葉が忘れられません。