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2015年11月6日(金)

韓国各界・各層の人々との関係 発展

日本共産党 全方位の野党外交

緒方副委員長と笠井衆院議員が対談

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 日本共産党の志位和夫委員長が10月20〜23日、韓国の首都ソウルを訪問しました。志位氏の訪韓は2006年9月のアジア政党国際会議(ICAPP)総会出席から5回目。今回は志位氏の著書『戦争か平和か』韓国語版を出版した建国大学の招請で講演し、「日韓親善友好の集いin Seoul」(日韓、韓日の両親善協会と在日本大韓民国民団〈民団〉が主催)に出席しあいさつしました。訪韓に同行した緒方靖夫副委員長と笠井亮衆院議員が、これまでの日本共産党と韓国の各界・各層の人々との関係発展について語り合いました。


「反共」の国是――困難を乗り越えて

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(写真)10月22日、ソウルの建国大学で講演する志位和夫委員長(中祖寅一撮影)

 緒方 わたしたちの野党外交の中で、韓国との関係が大きく発展してきたなと痛感します。韓国は1987年に民主化宣言し、91年に国家保安法が緩和されて外国の共産党との交流の法的条件が生まれました。でも「反共」国是から抜けるのは容易ではなく、歩みは慎重でゆっくりとしたものでした。困難を乗り越えながら進んできました。

 笠井 象徴的なのは、98年に金大中(キム・デジュン)大統領が訪日したとき、不破哲三委員長と志位和夫書記局長が国会で会ったこと。97年には松本善明議員が国会代表団員として列国議会同盟(IPU)のソウル総会に出席しました。日本軍「慰安婦」問題や歴史教科書問題で交流があるときは、吉川春子議員や西山登紀子議員が活躍しました。

 緒方 それを前後して韓国メディアが相次いで不破さん、志位さんにインタビューする。98年から日韓国会議員サッカー大会に穀田恵二議員や宮本岳志議員が参加し、これが続きます。92年から赤旗記者が取材ビザを受けられるようになりました。一つ一つステップを踏んできました。

理解と共感が広まり心通う友好関係が前進

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(写真)緒方靖夫副委員長

 笠井 建国大学での講演で、昨年の高麗大学での講演に続き大学との交流が広がりました。志位さんが訪問するたびに日本共産党に対する韓国の方々の理解と共感が広まり、心通う友好関係が前進しています。

 緒方 歴史問題での立場や、北東アジアの平和と安定を築く道筋について、日本共産党の主張が違和感なく韓国の方々から共感を得ていると感じました。安倍政治への怒りが韓国にもあって、国民連合政府の提案をしている日本共産党への理解が深まる訪問になったのではないでしょうか。

 笠井 建国大学での講演で祝辞を述べてくれた崔相龍(チェ・サンヨン)元駐日大使は、金大中大統領が訪日した際の特別随行員でした。この時の「日韓パートナーシップ共同宣言」が両国関係前進の基礎になりましたが、宣言の起草にかかわった方です。大統領歓迎夕食会で、崔さんの隣に不破さんが座り、その隣に志位さんが座ったという思い出話をしていました。

 2000年の日本共産党第22回大会には民団代表が来賓として初参加し、「共産党の大会に来るとは夢にも思わなかった」と語りました。今回の「日韓親善友好の集い」の朝食会では、民団顧問との間で当時のことが大いに話題になりました。

 こうした交流も、日本共産党と韓国の関係が深まり、広がってきた背景にあるでしょう。

 緒方 国会派遣の訪韓ではなく、党独自の最初の訪問として、私は01年に仁川で開かれた「北東アジア知識人連帯運動国際会議」に出席しました。金大中政権で日本大衆文化開放の政府諮問委員長を務めた池明観(チ・ミョングァン)さんが最高顧問でした。私を招待した理由は、「教科書問題や歴史問題で日本共産党が一番まともだ。この党を除外してきたが、招待してどんな党かをみよう」ということだったんです。私はジロジロと観察されました。

 その3カ月後に、もっと交流しようということで労働組合、参与連帯などの市民団体、歴史家、国会議員などと会う訪韓をしました。03年には韓国与党議員から「イラク戦争反対で頑張っている議員」として交流したいと招待されました。

「植民地支配に反対した党」と認識広がる

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(写真)笠井亮衆院議員

 笠井 韓国では、共産主義者といえば北朝鮮で、鬼のように角が生えていると教えられてきたのに、「角がありませんね」とひと笑いしてから本題に入るという感じでした。いまはそんなこともありません。今回ソウルで会った在日韓国商工会議所の会長さんは、「あなた方が植民地支配に反対してわれわれに連帯してくれた党であることをよく知っている」と言うんです。韓国の方々の中で日本共産党の話が広がっていると強く感じました。

 緒方 日本共産党の野党外交は全方位です。志位さんが初めて訪韓した時も、与野党問わず全ての政党代表に会いました。これは本当に大事で、政権が代わっても付き合いが続いています。

 笠井 取り組みでいうと、国際的な要求実現運動です。植民地期に朝鮮総督府が、朝鮮王朝儀軌という李朝時代の王室記録文献を宮内省(当時)に「寄贈」してしまいます。そのまま戦後も宮内庁書陵部にあった儀軌を取り戻そうという運動が韓国で起きました。

 緒方 07年に衆院で石井郁子議員が、参院で私が韓国に返すよう政府に求めました。それを知った返還運動団体の代表団が訪日し、参院選直前、一緒に外務省に要請に行きました。

 笠井 もともと儀軌があった韓国北東部の月精寺というお寺の住職がたいへん喜んで、私と緒方さんをお寺に招待してくれ、8月に訪問しました。

 緒方 北朝鮮との休戦ラインに近く、非常に反共意識も強いところだそうですが、自治体首長、幹部、地方議員らが大歓迎してくれました。

 笠井 返還の仕事は私が緒方さんから引き継ぎました。返還運動団体が日本に来れば、私たちが一緒に外務省などに出向き、私たちもたびたび韓国を訪問するという相互訪問の協力と運動です。日本でも超党派の運動に発展しました。10年8月に菅直人首相の談話で韓国への引き渡しが発表され、11年12月にソウルで返還記念式典があり、韓国政府が私と駐韓日本大使を招待しました。文化体育観光相から感謝の言葉を受けました。

06年の志位委員長初訪韓が画期に

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(写真)朝鮮王朝儀軌が保管されていた月精寺の五台山史庫を訪れた笠井氏(左から2人目)、緒方氏(右から2人目)と同寺の正念住職(中央)=2007年8月23日、平昌郡(韓国江原道)(面川誠撮影)

 緒方 2006年の志位さんの初訪韓はインパクトが大きかった。独立運動家が投獄され、処刑までされた西大門刑務所歴史館を訪問した時は、大変な数の取材記者が押し寄せました。時がたつにつれて、志位さんの訪韓が当たり前になる。同時に深い理解に基づく取材と報道が増えています。

 笠井 今回、韓日議連の幹部との会談で、北東アジア平和協力構想と「慰安婦」問題が議論になりました。韓国側からは、「いい構想だが、共産党だけでは難しい」という懸念に対して、「儀軌返還も最初は日本共産党だけだったが、実現したじゃないか。よく話し合って協力を強めることが大事だ」という意見も出ました。

 緒方 韓国の人々と共同で取り組み、返還を実現したことが日本共産党への信頼を高めたのですね。

 笠井 未解決の大問題は「慰安婦」です。12年8月、「慰安婦」被害者が共同生活する「ナヌムの家」から日本の全国会議員に招待状が届きましたが、行ったのは党を代表した私一人でした。13年8月には、「ナヌムの家」15周年、併設する「日本軍『慰安婦』歴史館」21周年の式典があり、志位さんのメッセージを私が出席して伝えました。14年9月には「慰安婦」セミナーに招待され、所管の女性家族相と懇談しました。日本共産党として、超党派で一貫して努力していることが理解されたと思います。

 緒方 侵略戦争と植民地支配に反対してたたかい、誤った歴史への反省を明確にした交流だから、党を知ってもらえば理解は早い。

 笠井 10年10月には、それまで加入を拒んでいた日韓議連が、日本共産党にも入ってほしいということで、党議員全員が加入しました。しかもこの間の党躍進で人数も倍増しました。

 緒方 日本共産党と韓国の交流の積み重ねがあったから、共産党抜きではできなくなったんですね。

 笠井 日韓・韓日議連は昨年10月の合同総会で「慰安婦」問題について、河野談話と村山談話にふさわしい行動を取る、被害者の名誉を回復する措置を取る、という2点を明記した共同声明を採択し、今年7月の合同総会でも再確認しました。私たちが主張し、共同で努力して全体のものになったことは、問題解決のために大事なことです。

 日韓議連役員として志位さんは、3度にわたり青瓦台(大統領府)で、李明博(イ・ミョンバク)、朴槿恵(パク・クネ)両大統領との会談に出席しました。

 緒方 非政府組織(NGO)や労組との交流や連帯も大事です。韓国から原水爆禁止世界大会に毎年参加するようになったり、日韓の被爆者連帯が進んだり。

平和的統一と「北」の非核化を重視

 緒方 私たちの交流で一貫しているのは、南北朝鮮の平和的統一を支持する立場であり、北朝鮮の非核化です。

 韓国社会が民主化で変わるにともなって、交流も発展した。戦争法反対のたたかいについて、建国大学での志位さんの講演を聞きに来た小さいお子さんを持つ韓国人女性が、「自分たちの経験から、『ママの会』に共鳴できる。連帯する」と言っていました。私たちも国民の運動を発展させるために、党が変わらなければと頑張っている。そういう響き合いの中で交流が進んでいると感じます。

 笠井 日韓関係の発展を口にすると、「韓国の味方だ」「韓国に帰れ」などと言われることがあります。私たちは日本の国民的大義に立って、歴史を踏まえた当たり前の付き合いをやろうという立場です。同時に、言うべきことはきちんと言います。竹島(韓国名・独島)問題でも、歴史的経緯を踏まえれば日本の領土だと主張して、韓国の議員と激論になったこともあります。

 今回も志位さんが産経新聞の前ソウル支局長が韓国大統領の名誉を棄損したとして起訴・求刑されたことに懸念を伝えました。互いの立場を理解すれば、大局的な立場から日韓両国の関係、国民の友好をどう前進させるかという議論ができる気持ちいい関係になります。


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