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2015年10月30日(金)

本と私の交流史

「日本共産党がんばれ!図書館の会」での

不破哲三さんの記念講演から

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 17日に党本部で開かれた「日本共産党がんばれ!図書館の会」設立のつどいで行われた不破哲三・党社会科学研究所所長の記念講演「本と私の交流史」から、不破さんの本とのかかわりを中心に抜粋して紹介します。


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(写真)講演する不破氏。手にするのは乱丁本でつくった自家製のレーニン抜粋集=17日、党本部

 図書館は一国の文化的発展を支える大きな土台の一つです。人間の知的な発展にとって、本を手にとって読むことは他には替えられません。

子どものころからの古本屋歩き

 私はとにかく子どものときから本が好きで、おとなの本でも何でも読みました。当時、昭和の初期には、円本(えんぽん)といって1円で買える全集物がたくさんありました。中でも、現代大衆文学全集という分厚い本で吉川英治『鳴門秘帖』、前田曙山(しょざん)『落花の舞』、白井喬二(きょうじ)『新撰組』など、近所の人からも借りて片っ端から読みました。

 母親が古本屋で買ってくる明治の頃の小説もよく読みました。村上浪六(なみろく)の俠客(きょうかく)小説や黒岩涙香(るいこう)の翻訳もの『巌窟(がんくつ)王』(モンテクリスト伯)や『噫(ああ)無情』(レ・ミゼラブル)。歩きながら読んでいて、ある時ひょっと顔をあげたら目の前に馬の鼻面。東京の中野区に住んでいましたが、まだ馬車が自動車より多かった頃です。

 父について本屋に行くのですが、これが古本屋で、私はずっと、本というのは古本屋を探し歩いて買うものだと思っていました。戦後も占領が終わる頃まで左翼の出版物は少なく、戦前のものを古本屋で一生懸命集めました。古本屋歩きが加速して、結婚してからも年末の行事といえば夫婦で神田の古本屋街へ行くこと。古本屋歩きの習慣は今も続いています。

 買う基準は、すぐに読むものというより、いつか役に立つかもと頭に引っかかるかどうかです。買って何年も手に取らないものもありますが、いったん買ったものは、いつか役に立つだろうと取っておく主義です。

国会図書館―百合子と『資本論』

 先ほど、国会質問のために共産党の議員が国会図書館を大いに活用していると紹介されました。私の場合、質問のためでなく、別のことで使うことが多かったんです。

 一つは、1980年代に宮本百合子を研究したときです。百合子の戦時中の仕事を調べるために、百合子の「婦人と文学」を研究しました。全集に入っていたのは、戦後、自由な空気のもとで書き直したものです。戦前の原作は、太平洋戦争前夜、執筆禁止の合間を縫って、日本文学史に取り組んだものでした。

 ぜひその原作を読みたいと国会図書館で調べると、連載した雑誌13冊が全部ありました。その文面からは戦時下の緊張感がひしひしと伝わってきます。女性作家を中心に明治以降の文学史の脈動を生き生きと描き出し、弾圧されたプロレタリア文学運動に連載の6回をあて、日本の社会と文学の将来への希望で結ばれる。よくぞここまで書いたと、その感動を込めて「戦時下の宮本百合子と婦人作家論」(1986年)をまとめました。

 この百合子の仕事自身、上野の図書館に通って書いたものです。連載直後に、「実際に役立つ国民の書棚としての図書館の改良」という図書館論を「都新聞」に寄稿し、図書館の改良を提案しています。

 国会図書館との縁のもう一つは、マルクスです。『資本論』に、日本の江戸時代の様子を引いて「日本は、我々の全ての歴史書よりもはるかに忠実なヨーロッパの中世像を示している」と書いた文章があるんです。それだけの日本認識をなぜ書けたのか。日本社会を内部からつかんで、しかもヨーロッパ中世と比較できる訪問者のものを読んだに違いない。それが何かが、大きな疑問でした。

 その後、国会で千島問題を取り上げるために、千島をめぐる幕末事情を調べようと、当時の外国人の旅行記を読んでいて出合ったのがイギリス公使オールコックの『大君の都』です。日本全国を旅して庶民生活や農業の様子も詳しい。しかもヨーロッパ中世との比較論が豊かに出てきます。

 「これだ」と思って『資本論』と比べると、それらしい痕跡がいろいろ出てくる。それで私は「マルクスと日本」(1981年)という論文で、マルクスのネタ元は『大君の都』だろうと書きました。

 原本があるか国会図書館に聞くと、ちゃんとありました。百数十枚にのぼる、オールコックが描いた日本の情景の挿絵も、鮮やかでした。見ると、幣原(しではら)喜重郎財団の判が押してある。新憲法制定時の首相です。国会図書館に寄贈したんですね。

 実際、大英図書館のマルクスが通った当時の図書目録にオールコックの本があったことを確かめた研究者もいました。最近、新メガ(マルクス・エンゲルスの本格的全巻全集)でマルクスのノート部分の編集にあたっている人の、「オールコックについてのノートはなかった」という報告もありました。ただ、マルクスも、読んだものすべてをノートするわけでもないでしょう。私は今も、マルクスが中世ヨーロッパとの比較論をあれだけの確信をもって『資本論』に書きこめた根拠は、オールコック以外にないだろうと思っています。

国際的論争のなかで思い出すこと

 1966年に日本共産党は、ベトナム、中国、北朝鮮を訪問しました。中ソ論争があり、私たちもソ連の干渉とたたかっていましたが、ベトナム戦争に直面し、論争問題は横において大同団結することを呼びかけました。しかし中国は頑として拒否する態度です。この統一戦線問題でアジアの諸党と話し合うための訪問でした。

 当時の中国は万事レーニンを論拠に議論するので、会談準備のため、レーニンの統一戦線に関する文献を全部集めて10人の団員全員が読むことにしました。しかし、コピー機もワープロもない時代です。乱丁本から必要な資料をつくろうと、全集出版元の屋根裏に積み上げた本の山の中から全集の全巻を探し出しました。そこから必要なページを割いて、統一戦線論を中心に戦争論、革命論などの自家製の抜粋集を十数冊つくりました。

 統一戦線の問題は複雑で、レーニンの主張にも時代的な発展があり、特に最後の時期の国際統一戦線論が重要です。そのことがわかるように、抜粋集も時代的に区分すると10冊にもなりました。

 上海まで船でゆきましたから、丸2日、みんなで読みまわしをしたのです。これも国際論戦の中の忘れ難い思い出の一つになっています。

『スターリン秘史』でも古本屋歩きが役立った

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(写真)『スターリン秘史』研究で役立てた本の一部。『冬戦争』(後ろ左)、『大戦の秘録』(後ろ右)、『戦争とソ連外交』(手前)

 『スターリン秘史』(新日本出版社)の研究のきっかけとなったのは、『ディミトロフ日記』との偶然の出合いでした。

 ある研究書を読んでいたら、スターリンが1941年にディミトロフ(コミンテルンの書記長)にコミンテルン解散を指示したとあった。初耳だと驚いて典拠を見ると『ディミトロフ日記』とありました。

 調べると、もともとのブルガリア語の日記が1997年に出版され、その後、ドイツ語、中国語、英語、フランス語の各版が出ていました。英語や中国語版は抜粋で、ドイツ語版は全文だがコミンテルン解散で終わっている。フランス語版が完全本です。

 読むと、驚くことばかりでした。スターリンに関する本は状況証拠で書いたものが多い。ところが、この『日記』は、スターリンの身近にいた人物が、スターリンの言動を他人の目を意識せずじかに記録している。その中には、これまで歴史の事実だと思ってきたことと全く逆のことが無数にあるのです。

 ただ、スターリンは自分の本心は側近にも言いません。スターリンがその時こう言った、という事実は重要でも、それだけでは歴史の真実に迫れないのです。『日記』を縦糸に、それと交わる横糸となる資料が大事です。その横糸として、以前何となく買っておいたもので、役に立ったものがずいぶんありました。

 一つは、ソ連の首相や外相を務めたモロトフの演説・論文集『戦争とソ連外交』(高山書院)です。1941年4月の出版です。真珠湾攻撃で戦争が一気に拡大した年ですが、日ソ中立条約の締結直後の時期には、こういう本が出せる条件があったんですね。スターリンは1939年初め以降、公式な発言をせず、ドイツとの不可侵条約締結をはじめ、どんな外交問題でもモロトフに発言させているので、この本は貴重です。いまモロトフの論文集など出す人は世界中にいませんよ。当時でなければ出せなかった貴重なものです。

 戦後の冷戦初期にアメリカ国務省が発表した『大戦の秘録』(読売新聞社)は、スターリンがヒトラーとどう手を結んだかを示すドイツ外務省の外交文書を集めた本で、鉄鋼労連の専従時代に神戸の古本屋で買いました。当時は読んでも、真相がよくつかめなかったのですが、今読むと歴史の真実が生きて迫ってきます。

 もう一つは、日本の外務省が、国共内戦中の1948年11月に出した『毛沢東主要言論集』。49年春、代々木の古本屋で買いましたが、毛沢東の主要な文献が入っていて、現在『毛沢東選集』にないものが相当ある。選集を出すときに削除された部分までわかる点でも貴重です。

 チャーチルの『第二次大戦回顧録』(全24巻、毎日新聞社)も役立ちました。ただ日本語版は、大急ぎの仕事だったのでしょう、翻訳が意味不明のところがけっこうあります。たまたま古本屋で原本6巻本を手に入れていたので、必要な補正に利用することができました。これも古本屋めぐりの産物ですね。

各国共産党との交流を通じて

 それから、各国共産党との交流の中で手に入れたものがあります。1984年のフィンランド訪問でもらった『冬戦争』。ソ連・フィンランド戦争(1939〜40年)当時のフィンランド外相が書いた外交記録で、この戦争のこれほど生々しい記録は読んだことがありません。1982年のユーゴスラビアの党大会では、「自由にお持ちください」と置いてあった出版物で役立ちそうなものを片っ端からもらってきて、これも大いに役立ちました。

 理論交流で2007年に中国を訪問したときには、北京一の繁華街の書店で『建国以来劉少奇文稿』の最初の部分4冊を買ってきました。これも、読んで驚きました。

 1949年の11月、新中国の誕生直後に北京で開かれたアジア・大洋州労働組合会議で、劉少奇が武装闘争の大号令をかけたんです。翌年には、いわゆる「五〇年問題」で、日本共産党への武装闘争方針の押し付けが始まりました。私たちは、そこに劉少奇演説の流れを見ていたのですが、この本の第1冊に劉少奇のスターリン宛ての手紙(49年8月)があり、“労働組合会議で武装闘争を呼びかけるのは反対だ”と訴えていました。それをスターリンは押し切ったのです。

 本の中の1文献、数ページのものですが、「五〇年問題」は最初から最後までスターリン主導だったことを理解する大きな助けになりました。これも本をめぐる国際的な交流がもたらした産物の一つでした。

 いま、日本の政治で、日本共産党が提案した国民連合政府、統一戦線の提案が、現実政治を動かす大きな動きになろうとしています。この新たな歴史的時期に発足する、みなさんの「図書館の会」が大いにその役割を果たされるよう期待しています。


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