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2015年7月1日(水)

沖縄・宮森小 米軍機墜落56年追悼

基地なくすため 語り継ぐ

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(写真)献花し焼香する「慰霊祭」参列者=30日、沖縄県うるま市宮森小学校

 1959年、米軍ジェット機が沖縄県石川市(現うるま市)の市街地や宮森小学校に墜落し、児童と住民計18人が犠牲となった事故から56年となった30日、同校で「慰霊祭」が行われました。犠牲者の名前が刻まれている仲よし地蔵には、花束や千羽鶴が手向けられ、遺族や参列者が黙とうしました。遺族会とNPO法人「石川・宮森630会」が主催しました。

 小学3年生だった弟を亡くした遺族会代表の上間義盛さんは声をつまらせながら、「基地があるがゆえの悲惨な事故でした。政府はさらに新たに辺野古に基地を造ろうとし、基地ができるとさらに重大事故が発生する可能性があります。二度とこのような悲惨な事故が起こらないように祈ります」とあいさつしました。

 事故で重傷を負い、一命を取り留めながら大学生のときに後遺症で亡くなった新垣晃さんの母親の新垣ハルさん(88)は「ゆうべ息子が『お母さん来たよ』と帰ってきて一緒に買い物にいく夢を見ました」といいます。「若い人を見ると、息子がどう成長していたかと、つい考えてしまいます」と体育教師を夢見ていた晃さんを思い、涙を流しました。

 当時小学5年生で、現在、事故の証言活動をしている佐次田満さん(67)は「戦争する国に向かう動きがある中、宮森小の事故を風化させてしまったら二の舞いになってしまう。戦争につながる基地そのものをなくすため、語り継いでいかなければならない」と話しました。

 「慰霊祭」に先立ち、始業前に児童会主催の追悼集会が開かれました。


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