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2014年8月20日(水)

きょうの潮流

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 迫り来る戦車、降り注ぐ爆弾や銃弾―。日本が降伏してからも戦禍が続いた中国の東北部。とくに、関東軍に置き去りにされた満蒙開拓団の逃避行は悲惨を極めました▼ソ連軍に追われ、迫害してきた中国人民に囲まれ、着の身着のままで広大な大陸を逃げ惑う。15歳で開拓の青少年義勇軍に入った時岡浩さんもその一人でした。山野をさまよい歩いて60日間。吉林(きつりん)にたどり着き、ようやく復員して郷里へ▼国策による「王道楽土」のスローガンのもと、大平原の理想郷を夢見た青年。しかし現実は、平和に暮らす中国の農民から土地や家を奪い、彼らを奴隷扱いにする。アジアを支配し、植民地化していった日本の侵略戦争そのものでした▼身をもって誤りを知った時岡さんは戦後、数人の仲間と裸一貫で福井・武生(たけふ)市(現越前市)の鴉ケ平(からすがだいら)に入植します。笹(ささ)小屋でおかゆをすすりながらの開墾生活。林を開き、荒れ地を一鍬(ひとくわ)、一鍬起こし、やがて村が。「本当の開拓者になることができた」▼時を同じくして、新しい村や社会づくりをめざし、戦争反対を貫いた日本共産党に入党。ランプの下で学び、党員や「赤旗」の読者をこつこつと増やしつづけ、選挙に出たことも▼昨年87歳で亡くなった時岡さん。彼が所属した南越地区委員会は先月、市議選をたたかいながら16人の入党者を迎えました。『開拓一路』と名付けられ、今年発行された彼の遺稿・追悼集にこんな一文があります。「党の一員として、自分は誇りをもって真の平和の開拓者に」


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