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2014年8月12日(火)

きょうの潮流

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 5万9470人。「9条おじさん」と親しまれた蓑輪(みのわ)喜作さんが集めた9条守れの署名の数です。〈雨の日も風の日もありし署名板いつしかわれの分身となる〉。数々の短歌を残し5日に急逝。85歳でした▼署名を始めたのは2005年12月。居住地、東京・小金井市で「9条の会・こがねい」が発足してまもなくでした。「会の下ささえ」になればと思ったと語りつつ、口ばかりでなく行動で示したかった、と。ひょうひょうとして笑顔を絶やさない人の剛毅さを感じたものです▼1929年、新潟県十日町市で生まれました。農業切り捨て、過疎化の波に追われる地で16歳のときから44年間、学校用務員を務めます。非人間的扱いの悔しさに泣いた日々を経て、用務員室は新しい教育に燃える教師たちとのたまり場に。日本共産党の支部を結成したり農村労組を組織したり。古里は「たたかう自信」を育んでくれました▼〈少年兵のままに還らぬ友顕(た)ちて署名に歩くさくら散る道〉。その古里から侵略戦争に狩り出されて逝った幾多の人々。死者の代わりに、生者には語る責任がある。二度と戦争をしないという憲法を守りぬきたい。蓑輪さんを署名に駆り立てた思いです▼豪雪地帯の古里から、95年、次男の住む小金井市に。病を抱え、己とたたかい、戸別訪問で、公園で、バス停留所で、こつこつ集めた9条署名▼10日の告別式には蓑輪さんの勧めで署名した若者の姿も。〈せいいっぱい生きて愛してたたかってこの世終われば悔いなかるべし〉


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