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2014年8月6日(水)

きょうの潮流

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 日本のプロ野球で最も多くヒットを打った張本勲さんには、六つ上のお姉さんがいました。色白で背が高く、やさしかった自慢の姉。その点子(てんこ)さんを原爆で奪われます▼あの日。5歳だった張本さんは、遊びに行こうと広島の家を出た瞬間、閃光(せんこう)とともにすさまじい衝撃に襲われました。気がつくと、目の前は真っ赤。爆風で飛んできたガラスの破片で傷つきながら、かばってくれた母親の血でした▼勤労奉仕に出ていた点子さんが見つかったのは2日後。担架で運ばれてきたその姿に言葉を失いました。全身が焼けただれて赤くはれあがり、顔を見ても姉とは信じられない。「熱い、痛い」とうめき苦しみつづけて亡くなりました▼いまも記憶に残る大切な人の思い出。手元に遺品は一つもありません。悲しんだ母親がすべて処分してしまったからです。ところが、69年の歳月をへて奇跡が起きます。その姉と女学校で同級生だった人とつながったのです▼数年前に新日本出版が発行した『張本勲 もう一つの人生』。それを読んだ人が担当者に電話をかけます。“知り合いに南崎綾子さんという方がいる。彼女は当時のクラス全員が写った写真も持っている”。連絡を受けた張本さんは電話口で嗚咽(おえつ)しました▼南崎さんも原爆によって体の3分の2に火傷(やけど)を負いました。その後、九死に一生をえて、82歳のいまも語り部として活動しています。会える日を楽しみにしている張本さんと南崎さん。過ちは二度とくり返してはならない、おなじ思いを胸に。


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