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2014年6月20日(金)

混乱イラクの背景

米軍の戦争と占領 現政権の宗派主義

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 イラク北部でスンニ派過激派組織「イラク・シリアのイスラム国(ISIS)」が急速に支配地域を拡大し、第2の都市モスルを制圧し、首都バグダッド近郊まで迫っています。イラクのマリキ政権は、非常事態令の発令を議会に提起するとともに、多数派であるシーア派の宗教感情に訴えて義勇兵を募り、反攻作戦を強めています。2003年に米軍の侵攻によって当時のサダム・フセイン政権が打倒されました。米軍の占領統治を経て、主権を回復し、以来3度の国政選挙を実施してきたイラク。11年に米軍の「完全撤退」も実現したこの国で何が起こっているのか。背景を探りました。


 イラクの政治評論家、アラー・ハダド氏は今回の事態を受け本紙にこう喝破しました。

 「混乱の根本には、米軍の戦争と占領、そしてそれにつづけてマリキ首相が推し進めた宗派主義政策がある」

 記者(小泉)は米軍が03年3月に開始したイラク侵略戦争と占領をカイロとイラクの現場で取材してきましたが、ハダド氏の指摘にまったく同感です。

米の「分断統治」

 米軍の戦争強行まで、イラクにはテロ攻撃もイスラム教シーア派とスンニ派の対立も存在しませんでした。首都バグダッドでは夜遅くに外出してもまったく問題なし。両派同士の結婚もごく普通に行われていました。

 しかし戦争はすべてを変えてしまいました。米軍の無慈悲な攻撃は、数十万とも百万ともいわれるイラク人の命を奪っただけではありません。今回、過激派が乗じることになる「宗派対立」も引き起こしました。

 米占領当局は、かつて欧米各国が植民地支配の常とう手段とした「分断統治」の手法をイラクにも適用しました。すなわち、イラク北部を主にクルド人(人口の約2割)、中西部をスンニ派アラブ人(同2割)、南部をシーア派アラブ人(同6割)の地域に分け、「連邦制」とする政策を押し付けたのです。

 米占領当局の圧力の下、05年に制定されたイラク憲法はこの「連邦制」を明記しました。地方政府に独自の憲法や治安部隊を持つことを認め、「国家内国家」ともいえる強力な権限を与えた同憲法は、国連も内部文書で「国家分断のモデルである」と指摘した代物でした。

 産油地帯である北部と南部を優遇したこの政策にはスンニ派が激しく反発。06〜07年にかけて、イラクは「内戦」状態に陥りました。

スンニ派を弾圧

 11年末に米軍が「完全撤退」して以降、シーア派のマリキ首相が「分断統治」を引き継ぎ、スンニ派迫害を大規模に進めることになります。

 国防相、内相という重要ポストを兼務したマリキ首相は、同年12月、スンニ派のハシミ副大統領をテロ関与の容疑で告発し逮捕を命令。これを手始めに、スンニ派政治勢力への弾圧を一気に強めました。

 昨年4月、スンニ派住民が多数の北部の町で起きた反政府デモを政府軍が弾圧し、数十人の死者を出してから「宗派対立」が激化し、現在まで毎月1000人前後がテロや暴力で死亡する事態がつづいています。

 この混乱の中、ISISは今年に入り、ファルージャをはじめとする西部各地に進出。今回の北中部各都市制圧の足がかりをつくることになりました。

 (カイロ=小泉大介)

過激派「イラク・シリアのイスラム国」とは

シリア内戦で勢力を拡大 突出した戦闘力と残虐性

 イラク北部で支配地域を急速に広げているスンニ派の過激派組織「イラク・シリアのイスラム国(ISIS)」はいったいどういう組織なのか。

 ISISは、2003年の米国のイラク侵攻後、同国内で発生した武装反乱に参加した、イラク生まれのアブ・バクル・アルバグダディ氏が設立しました。同氏は、「イラクのアルカイダ」に加わり、その後同組織と分かれて「イラクのイスラム国(ISI)」を立ち上げました。11年以降、シリアのアサド政権の民主化デモへの武力弾圧がきっかけで内戦が激化すると、それに参加して突出した戦闘力と残虐性を発揮し、組織を「イラク・シリアのイスラム国(ISIS)」へと改称しました。

 現在1万5000人ほどの戦闘員を抱えており、中には3000人の外国人戦闘員が含まれているといわれます。ロシアのチェチェン共和国やアラブ各国、さらには英仏独など欧州の出身者もいるとされます。

 ISISの勢力拡大には、シリア内戦の展開が大きく寄与しています。

 アサド政権打倒をめざすシリアの反政府勢力にたいし、トルコやペルシャ湾岸の産油国などから人の移動や武器・資金など多くの支援が送られ、ISISもその受け皿のひとつとなりました。またシリア国内の油田地帯を確保し、欧米人の誘拐で多額の身代金を得て、資金力を増大させました。

 アサド政権も、反政府派にくさびを打ち込むために、ISIS支配地域への空爆を控えてきたとも指摘されます。

 13年3月にシリア北部の州都ラッカを制圧。今年1月にはイラクの西部アンバル州のファルージャを支配下に置き、さらにニナワ、キルクーク、サラハディンの北部の諸州で支配地域を拡大しました。

 ISISは、シリアの少数派の住民虐殺や宗教施設の破壊、イラクでのシーア派、クルド人への迫害などを行いつつ、両国にまたがる擬似国家的な統治を敷いているとも伝えられます。

 イスラム法の極端な規範を住民に押し付け、喫煙、音楽、サッカーなどを禁止し、女性にはベール着用を強制しています。

 ISISがスンニ派住民の一定の支持を受けるなかで、イラク政権は、シーア派の宗教感情に訴えて反攻作戦を強めています。今後、民間人にたいする暴力、殺りくなどを含む深刻な宗派間の紛争へと発展する懸念が強まっています。

 (伊藤寿庸)

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